グレサスは気付いた。
そうして、王都には一人、ひどく上機嫌な様子で帰還を果たした男がいた。
遠くに王都を囲う巨大な城壁が見え始めた頃から、その男の口元には隠そうとしても隠しきれない笑みが浮かんでいる。普段から豪快に笑うことの多い男ではある。しかし今のそれは、戦いに勝利したときとも、強敵を前にしたときとも違っていた。
「ハハハ……」
笑いが止まらない。
ようやく見つけたのだ。
長い間、王国の人間たちが何度挑もうとも、その全容どころか入口に立つことすら困難だったジュラ。その不可思議な森が、いかなる基準で侵入者を拒み、いかなる基準で道を閉ざし、そして何をもって一部の存在を奥へ通しているのか。その謎を解き明かすための、決定的とも思える鍵を。
もっとも――それが本当に鍵であるという保証など、どこにもなかった。
証拠があるわけでもない。
学術的な裏付けがあるわけでもない。
ましてや専門家による検証など一切行われていない。
現時点では、グレサスという一人の男がジュラで経験した出来事から導き出した、限りなく個人的な推測にすぎない。
そして今の王国にとって、それが最優先事項であるかと問われれば、答えは明確に否だった。
王国では今、アルバードから持ち込まれたメモリアルストーンによって、これまでの常識そのものが覆されようとしている。水。光。火。冷気。浄化。それらの魔法を人間の適性から切り離し、道具として利用するという新しい考え方。その応用によって新たな雇用が生まれ、魔力石の需要が高まり、魔物討伐そのものの価値さえ変わろうとしている。
国全体が、まさに次の時代へ足を踏み出そうとしていた。
だが――。
そんなことは、今のグレサスにとってどうでもよかった。
「ハハハハ!」
王都の門をくぐってなお、グレサスの機嫌はいい。
自分は見た。
あの白い存在を。
あの不思議な、白く、巨大で――何よりもふもふとした存在を。
そしてグレサスは確信していた。
あれこそが神獣である、と。
何を根拠にと言われれば、グレサス自身にも明確には説明できない。しかし、グレサスにとってそんなことは大した問題ではなかった。
己の目で見た。
己の肌で感じた。
ならば、それで十分だった。
「待っていろ……必ず正体を暴いてやるぞ」
小さく呟きながら王都へ入ったグレサスだったが、しばらく進んだところで、ようやく周囲の異変に気がついた。
「……ふん?」
王都が、妙に騒がしい。
騒がしいといっても、混乱しているわけではない。事件が起きたような慌ただしさでもなければ、戦争の準備をしているような緊張感でもない。
兵士たちが忙しなく行き交っている。
その横を、見慣れない器具を抱えた技術者たちが駆け抜けていく。
文官らしき者たちが何枚もの書類を抱えながら議論し、そのすぐ横では職人たちが金属の線らしきものを運んでいる。
しかも妙なのは、その誰もが疲弊した顔をしていないことだった。
忙しい。
明らかに忙しい。
それなのに――どこか楽しそうなのだ。
何か新しいものを見つけた子供のように、目を輝かせながら動き回っている。
グレサスはしばらくその光景を眺めた。
「……なんだ?」
近くを通った兵士へ尋ねようとも思ったが、すぐにやめる。
おそらく国力を高めるための何かだろう。
アルバードから持ち帰った物について、カイネルが何やら大騒ぎしていたことくらいは知っている。
「……まあ、よいか」
それだけで興味を失った。
技術。
産業。
経済。
新たな制度。
そのようなものは、それを得意とする者たちが考えればいい。
少なくともグレサスは、己がその輪の中へ入ったところで役に立つとは微塵も思っていなかった。
それよりも重要なことがある。
ジュラだ。
神獣だ。
白いもふもふだ。
自分が持ち帰った情報こそ、今の王国にとって極めて大きな価値を持つ。
少なくとも――グレサス本人はそう信じて疑っていなかった。
「ハハハ!」
再び笑いながら、グレサスは城へ向かった。
もっとも、すぐにカイネルのもとへ行くつもりはなかった。
まず会うべき者がいる。
他の座位持ちの騎士たちは、すでにカイネルからそれぞれ役割を与えられ、王都の各所で動き始めていた。
その中で、現時点でこれといった役割を与えられず、王城に残っている者は二人。
一人は、今しがた帰還したグレサス。
そしてもう一人は――。
「デュラン!」
静養のために用意された部屋へ、扉を叩くことすらせずグレサスが入ってきた。
寝台の上で身体を休めていたデュランは、声を聞いた瞬間に眉間へ皺を寄せた。
「……帰ってきたのですか、グレサス」
「なんだその顔は。友の帰還だぞ。もう少し喜べ」
「その友人にこうして寝台へ送り込まれた記憶が、まだ新しいものでしてね」
「ハハハ! まだ言っているのか!」
「誰のせいだと思っているんです?」
もちろんグレサスだった。
少し前に行われた模擬戦。
その結果として、デュランは今も療養を余儀なくされている。
しかしグレサスはまったく悪びれない。
むしろ窓の外へ視線を向けながら、楽しそうに口を開いた。
「デュランよ。周りを見てみろ」
「……?」
「皆、馬鹿みたいに国力だの技術だのを磨くために走り回っているぞ」
デュランが大きく息を吐いた。
「馬鹿みたいに、はさすがに失礼でしょう。陛下も臣下の皆様も、王国のために動いているのですよ」
「分かっている。だが見ろ。それに比べてお前はどうだ。いつまでこんなところで眠っているつもりだ。座位持ちの騎士が泣くぞ」
「誰のせいで……」
デュランはそこまで言って、諦めたように目を閉じた。
「……まあ、もういいでしょう。それで?」
「ん?」
「その顔です。あなたがそんなに機嫌よく帰ってきたということは、ジュラで何か見つけたのでしょう?」
その瞬間だった。
グレサスの表情が明るくなる。
まさにその言葉を待っていたと言わんばかりに。
「よくぞ聞いた!」
「聞かなければいつまでも話し始めないでしょうからね」
それからグレサスは、ジュラで経験したことを語り始めた。
道が閉ざされたこと。
何度進もうとしても、まるで森そのものに拒まれるように目的地へ辿り着けなかったこと。
それまで自分たちがジュラについて考えていた常識では説明できない現象。
そして――そこで遭遇した白い存在。
デュランは最初こそ適当に相槌を打っていた。
しかし話が進むにつれ、少しずつ表情を変えていく。
グレサスの説明には飛躍が多い。
主観も多い。
何より本人の思い込みがあまりにも強い。
それでも、ジュラで実際に起きた現象そのものには無視できない部分があった。
そして一通り話し終えたグレサスは、満足そうに腕を組んだ。
「――ということだ」
「……なるほど」
「デュラン」
「はい」
「今こそ、俺とお前でジュラを開拓するぞ」
「…………はい?」
デュランの表情が止まった。
しかしグレサスは構わず続ける。
「そして、あの白いもふもふ」
「白い……?」
「あれは神獣と呼ばれる存在だ」
「…………」
「絶対に捕まえるぞ」
デュランはしばらく無言でグレサスを見つめた。
「……えっと」
「なんだ?」
「グレサス。一人で盛り上がっているところ申し訳ありませんが……それは、おそらく神獣ではないと思いますよ」
グレサスの眉が動いた。
「俺を疑うのか?」
「疑うとか、そういう話ではありません」
デュランは額へ手を当てる。
「学院では神獣に関する伝承を学ぶ機会があります。もちろん実在するかどうかも含めて不明な点は多いですが、それを専門的に調べている者もいます。私の友人にもいました」
「ならば、その専門的な知識とやらが間違っている」
「なぜそうなるのです?」
グレサスは当然のような顔をした。
「よいか、デュラン」
妙に真剣な声だった。
「神獣に出会う。それは確かな実力がなければ絶対にできない」
「……はぁ」
「考えてみろ。ジュラだぞ?」
グレサスは一本の指を立てる。
「そもそも並の者では奥へ入ることすらできぬ。強さがなければ、生き残ることさえ難しい。そのジュラで、明らかに普通ではない存在と遭遇した。ならば神獣である可能性は極めて高い」
「随分と都合よく話を組み立てますね」
「そしてだ」
グレサスはデュランの言葉を無視する。
「実際に神獣を見た。そんな者が、今の王国に俺とお前を除いて何人いる?」
「なぜ私まで見たことになっているのです?」
「これから見るからだ」
「話を進めないでください」
しかしグレサスは止まらない。
「どうだ?」
「……少なくとも私たちの世代では、という話ではありませんか」
「そうだ」
「認めるのですか」
「だが、明確に実物を見たという記録はほとんどない。それならば俺とお前で証明すればいい」
「…………」
「神獣が存在する。その姿を確認する。ジュラが何を基準として人間を拒んでいるのかを調べる。もし神獣がジュラの理そのものに関わっているのであれば、それを解き明かす」
先ほどまで白いもふもふを捕まえると騒いでいた男とは思えないほど、グレサスの声が真剣なものへ変わっていく。
「そして、その情報を王国へ持ち帰る」
デュランは黙った。
「それこそが今、俺たちのやるべきことだ。違うか?」
「……違うでしょう」
「なに?」
「国力を上げることが我々の役目です。王国中がそのために動き始めているのでしょう?」
するとグレサスは待っていたと言わんばかりに指を向けた。
「それこそだ!」
「……何がです?」
「俺たちのような者が、技術だの政治だのへ無理に口を挟んでどうする」
デュランが少しだけ目を見開く。
「技術者には技術者の役割がある。文官には文官の役割がある。国をどう動かすかは陛下や、それを専門とする者たちが考えればいい。俺たちがそこへ割り込んで、やつらの仕事まで奪う意味などない」
「…………」
「俺たちは何のために強くなった?」
その言葉だけは、デュランの胸へ素直に入った。
剣を振るうため。
敵を倒すため。
王国を守るため。
普通の兵士では向かえない場所へ向かうため。
誰も対処できない存在を、自分たちが引き受けるため。
「……確かに」
デュランが小さく呟いた。
「そのために強くなったわけではありませんからね。技術開発に口を出すために、ここまで剣を振ってきたわけではない」
「そうだろう!」
グレサスが笑う。
「アルバードへ剣を向ける必要がない。魔族とも今すぐ戦う必要がない。ならば、今の俺たちにできることは簡単だ」
「ジュラを調べる」
「ああ」
グレサスは力強く頷いた。
「王国の誰も持っていない情報を持ち帰る。それが国にとって価値あるものならば、十分に国力へ繋がる」
――あながち、間違ってはいない。
それが厄介だった。
動機は怪しい。
白いもふもふを捕まえたいという欲望が透けて見える。
しかし理屈そのものは、完全には否定できない。
デュランは小さく息を吐いた。
「……しかし、私はまだ療養中です」
「そんなものは、こうすればいい」
「は?」
次の瞬間。
グレサスから膨大な魔力が溢れた。
それがデュランの身体を包み込む。
「なっ――」
傷ついていた肉体へ、猛烈な勢いで治癒がかかり始める。
「グレサス!!」
デュランが慌てて身体を起こした。
「何をしているのです! この傷はあなたの傷と同じで、無理に一気に癒していいものでは――!」
「知らぬ」
「知らぬではありません!」
「デュラン。お前のその傷は、たかが模擬戦でできたものだ」
「その模擬戦の相手はあなたでしょうが!」
「ハハハハ!」
「笑い事ではありません!」
だが治癒は止まらない。
デュランは頭を抱えた。
「あなたという人は本当に……どこまで……」
やがてグレサスは魔力を収める。
そして先ほどまでとは違う、どこか戦場へ向かう前のような顔でデュランを見る。
「デュラン」
「……なんです」
「教えろ。お前が知っているジュラの知識を」
デュランが顔を上げる。
「そして俺と共に考えろ。皆が動き出している。ならば――俺たちも動くぞ」
その声には覚悟があった。
まるで王国軍を率いて戦場へ赴くときのような、重く、揺るぎない響き。
デュランも思わず表情を引き締めた。
しかし――。
グレサスの胸中にある本音は、もう少し単純だった。
(早く、あの白いもふもふを捕まえに行くぞ)
結局のところ、それである。
こうしてデュランは半ば強制的に、再びジュラへ向かうこととなった。
友人であるとはいえ、デュランにとってグレサスは上司でもある。
そもそも最初から、完全に断れるような話ではなかった。
「……せめて陛下へご挨拶をして、正式に許可をいただいてからです」
「ああ。もちろんだ」
「本当に分かっていますか?」
「俺をなんだと思っている」
「その質問には答えないでおきましょう」
二人はそのままカイネルのもとへ向かった。
そして――玉座の間へ足を踏み入れた瞬間。
デュランは思わず立ち止まった。
そこは、以前まで彼が知っていた玉座の間とは、まるで別の場所になっていた。
王が座り、臣下が並び、重々しい空気の中で国政について話し合う場所。
本来ならそうであるはずだった。
しかし今は違う。
机が運び込まれている。
その上には金属線や魔力石、書類、試作品らしき器具が所狭しと並んでいる。
文官と技術者が身分の違いなど忘れたように意見をぶつけ合い、その横では別の者が新しい案を書き留めている。
そして、その中心にいるのは――国王カイネル。
「ハハハ!! 次だ! 次なる発想を考えよ!」
「はい! 陛下! それでしたら次は、火のメモリアルストーンを――!」
「待て! 先に浄化だ! 水路へ利用できる規模を調べよ!」
「それでしたら魔力石一つあたりの持続時間を――!」
「測れ! すべて測れ! 数字にせねば比較できぬ!」
「はっ!」
もはや玉座の間というより、巨大な開発室だった。
しかも――誰も嫌そうな顔をしていない。
カイネル自身が楽しんでいる。
臣下たちも楽しんでいる。
技術者たちは、次は何を試そうかと目を輝かせている。
その光景はどこか、かつてアルバードの屋敷でレイズがイザベルたちと新しい物を作り、試し、失敗し、また次を考えていた姿によく似ていた。
カイネルも。
臣下たちも。
完全にはまってしまったのだ。
文明が発展するということ。
昨日まで存在しなかった物が、今日には形になること。
一つの発想から十の可能性が生まれ、その十からさらに百の可能性が広がっていくこと。
その面白さに。
その熱狂に。
そして――自分たちの手で王国が変わっていくという実感に。
「次だ! 止まるな! アルバードにできて王都にできぬなどと誰が決めた!」
「はっ!!」
「我ら自身で考えよ! レイズから答えをもらうことばかり考えるな! あやつが一つ作ったのなら、我らはそこから二つ、三つと作ればよい!」
「はい!!」
熱気に満ちていた。
だが――。
その騒がしさが、一瞬にして消えた。
グレサスとデュラン。
王国でも指折りの二人の座位持ちが、揃って姿を現したからだ。
臣下たちが次々と姿勢を正す。
技術者たちも口を閉ざす。
カイネルも二人へ視線を向けた。
「おお……グレサス。それにデュラン」
グレサスは返事をせず、周囲を見渡していた。
そこで――気づいた。
いつもとは違う。
部屋が違うのではない。
置かれている道具が違うのでもない。
天井に新しい照明が取り付けられていることでもない。
――人だ。
一人一人の表情。
以前ならば、この場所には常に重い空気が漂っていた。
王国の未来。
軍事。
貴族。
魔族。
アルバード。
国益。
何かを決めれば、誰かが不利益を被る。
何かを守れば、何かを諦めなければならない。
国を動かすということは、そうした選択の連続だった。
だからこそ臣下たちの表情には疲労があった。
カイネルもまた、苛立ちを隠せないことが多かった。
しかし今は違う。
誰もが前を見ている。
誰もが次を考えている。
何を失うかではなく――何を生み出せるかを考えている。
まるで夢を見る少年たちのように。
グレサスは僅かに目を細めた。
その様子を見ていたカイネルが、得意げに笑う。
「……気づいたか?」
グレサスがカイネルを見る。
「ええ」
「そうであろう!」
カイネルは嬉しそうに天井を指差した。
そこには、蝋燭とは異なる柔らかな光が灯っている。
メモリアルストーン。
光の魔法を記憶した石と魔力石を組み合わせて作られた、王都で最初期となる照明設備だった。
「ここにも新たな光を取り入れた!」
カイネルの声には、隠しきれない喜びがある。
「蝋燭ではないぞ。魔力石によって光を維持している。まだ効率には改善の余地があるが、それでも見よ! 煙も出ぬ。蝋も垂れぬ。そしてこれほど明るい!」
だが――。
グレサスが見ていたものは、それではなかった。
彼が気づいた『光』とは。
この場所にいる者たちの顔に宿ったものだった。
しかしグレサスは、それをわざわざ訂正しなかった。
ただ鼻で小さく笑う。
「フッ……ええ。気づきました、陛下」
隣で一部始終を理解したデュランが、天井と周囲の臣下たちを交互に見る。
そして僅かに笑った。
「これは……また。一段と明るくなりましたね」
何が、とは言わない。
カイネルは当然、照明のことだと思った。
グレサスは人々のことだと受け取った。
そしてデュランだけが――その両方について言っていた。
「そうであろう!」
カイネルが満足そうに笑う。
「デュランよ! 傷も癒えたのであれば、お主も協力せよ。お主の知見も必ず役に立つ。今は一人でも多く、物事を考えられる者が欲しい!」
「陛下、その前に」
グレサスが遮った。
カイネルの眉が僅かに動く。
「……なんだ、グレサス。余の言葉を遮るとは」
しかしグレサスは気にしない。
「ジュラで――神獣を見つけました」
静寂。
数秒。
カイネルの表情が固まった。
「…………な」
そして身を乗り出す。
「な、な、な……神獣だと!?」
「はい」
「確かなのか!?」
「ええ」
隣でデュランが何か言いたそうな顔をした。
しかし黙った。
「そして、あれは間違いなくジュラの解明に関わります」
グレサスは堂々と言い切る。
「ですが、私一人では解明できませんでした」
その言葉に、カイネルだけでなく臣下たちまでざわついた。
グレサス。
王国最強の剣とまで呼ばれる男。
その男が自ら『一人ではできない』と言ったのだ。
「グレサスですら……解明できぬと?」
「はい」
グレサスは笑みを浮かべた。
「ですが――デュランがいれば必ず」
「…………」
デュランがグレサスを見る。
「ジュラについての知識。神獣に関する伝承。そして私とは異なる視点。それらが必要です。ゆえに陛下」
グレサスが頭を下げた。
「デュランをお貸しください」
「…………」
デュランは完全に言いたいことがあった。
そもそも神獣であると確定していない。
捕まえるつもりだということも、グレサスは意図的に伏せている。
何より自分はつい先ほどまで療養中だった。
しかし――敢えて口を挟まなかった。
カイネルは腕を組み、考え込む。
「ふむ……」
そして周囲を見る。
「確かに……余も今、やることが山積みとなっている」
メモリアルストーン。
水源。
浄化。
照明。
魔力石。
新しい雇用。
魔物討伐制度。
考えなければならないことはいくらでもある。
「グレサスとデュラン。お前たち二人が今この場にいなくとも……当面は問題ないか」
その言葉を聞いた臣下の一人が、すぐに頭を下げた。
「陛下!」
「なんだ」
「問題ございません!」
男は力強く答えた。
「今はまだ技術の基礎を固める段階です。グレサス様とデュラン様のお力を借りずとも、我々で進めることができます!」
別の技術者も頷く。
「むしろ我々にお任せください! レイズ殿がアルバードで行ったことを、そのまま真似るだけでは意味がありません。我々自身の手で、王都に適した形へ発展させてみせます!」
「そうか!」
カイネルが嬉しそうに笑った。
その光景を見ながら、デュランは理解した。
今、この場所にグレサスは必要ない。
そして――自分も。
それは決して、価値がないという意味ではなかった。
役割が違うのだ。
今ここで必要なのは、剣ではない。
新しい物を考える頭。
試す者。
作る者。
制度へ変える者。
そして何より――失敗しても次を考え続けられる者。
ならば、自分たちは別の場所へ向かえばいい。
特にグレサス。
この男を無理にここへ置いておけば、下手をすれば場の士気を下げかねない。
何しろ本人は、国の技術発展そのものにほとんど興味がない。
「……陛下」
デュランが一歩前へ出た。
「必ず、良き報告を持ち帰ってまいります」
グレサスがすぐに振り向く。
「ハハハ! デュラン! お前も乗り気ではないか!」
「あなたほどではありません」
「ならばよい!」
カイネルが立ち上がる。
「グレサス!」
「はっ」
「デュラン!」
「はっ」
「ジュラの調査――そなたらに任せた!」
二人が同時に頭を下げる。
「必ずや」
グレサスが答える。
デュランも続いた。
「陛下のご期待に添えるよう努めます」
「うむ! 行って参れ!」
そうして二人は玉座の間を後にした。
扉が閉まる。
一瞬だけ静かになった室内で、カイネルは満足そうに椅子へ身体を預けた。
そして天井を見上げる。
柔らかな光が、玉座の間全体を照らしている。
「ふふふ……」
思わず笑みがこぼれた。
「グレサスよ」
誰に聞かせるでもなく呟く。
「お前ほどの男でも、メモリアルストーンの明るさには思わず目を奪われるのだな」
嬉しかった。
普段、剣と戦い以外にはほとんど興味を示さないあのグレサスでさえ、王都へ生まれた新しい光には気づいた。
それほどの変化なのだ。
それほどのものを、今、自分たちは作ろうとしている。
カイネルはますます上機嫌になる。
「さて!」
勢いよく立ち上がった。
「続きだ! 次は何を試す!」
「はい! 陛下!」
再び玉座の間へ熱気が戻っていく。
その誰もが未来を見ていた。
その誰もが、自分たちの手で王国を変えられるかもしれないという期待に胸を躍らせていた。
確かに――王都には新しい光が灯っていた。
ただし。
カイネルは最後まで気づいていなかった。
グレサスが立ち止まり、思わず目を向けたもの。
あの男が『気づきました』と答えたもの。
それは天井で輝くメモリアルストーンなどではない。
新たな可能性を前にして。
これまで重苦しい国政に追われ続けていた臣下たちが。
いつもなら苛立ちを隠せずにいた国王自身が。
まるで少年のように笑い。
次は何ができる。
次は何を作れる。
もっと良くできるのではないかと。
夢中になって未来を語っていた――。
その表情の明るさだった。
そして、そのことを唯一理解していたデュランもまた。
敢えて何も言わなかった。
だからカイネルは知らない。
グレサスが王都で初めに見つけた新たな光が、レイズの生み出したメモリアルストーンそのものではなく。
それによって照らされた――。
王国に生きる者たちの顔に宿った光だったことを。




