いじっぱりな男達
そうして――。
長かった話し合いは、ひとまずの終わりを迎えた。
王国とアルバード。
長い年月をかけて積み重なってきた確執。
簡単な言葉だけで消し去れるものではない。
それでも。
少なくとも今日。
王国の頂点に立つ者と、アルバードの当主は。
互いを敵としてではなく。
これから先を共に考える相手として、向き合うことができた。
国王カイネルの表情には、確かな満足があった。
アルバードへ来た意味はあった。
いや。
それ以上だった。
想像していた以上の答えを、この少年から得ることができた。
そして最後には。
半ば己の我が儘とも呼べる四つ目の条件まで、しっかりと飲ませることができた。
一方。
その隣を歩くレイズも笑っていた。
「…………」
笑っていた。
表面上は。
(学院……)
笑顔。
(王国の学院……)
笑顔。
(しかも特待生……)
笑顔。
(絶対めんどくせぇぇぇぇ……!)
心の中では頭を抱えていた。
王国との戦争は回避できた。
魔族との関係についても、一定の線引きができた。
メモリアルストーンの技術提供についても話がまとまった。
これだけ見れば大成功である。
なのに最後の最後。
なぜか自分の学生生活が始まることになった。
(十四歳で当主やりながら学生ってなんだよ……)
レイズは思う。
(俺、忙しくない?)
当主。
領地経営。
魔族との問題。
王国との関係。
文明開発。
そして。
学生。
(最後のだけ明らかに毛色違うだろ……)
だが。
もう言ってしまった。
『私にできることなら何でもします』
格好つけて。
堂々と。
国王の目を真っ直ぐ見ながら。
言ってしまった。
(過去の俺ぇ……)
ほんの少し前の自分なのだが。
(なんで条件聞いてから返事しなかったんだよ……)
後悔しても遅い。
しかも隣を歩いている張本人は。
非常に機嫌が良さそうだった。
「…………」
レイズは横目でカイネルを見る。
満足そうである。
(この人……)
(絶対楽しんでるよな……)
そんなことを考えながら。
二人は扉の前へ辿り着いた。
そして。
扉が開く。
ここから先は。
王国側の騎士たち。
そしてアルバードの面々
クリス。
ディアナ。
イザベル。
リアナ。
リアノ。
皆が待っているはずだった。
話し合いが無事に終わったことを伝えれば。
きっと皆も安心する。
そう。
レイズは思っていた。
――のだが。
「…………」
レイズの足が止まった。
カイネルも止まった。
二人の目の前に広がっていたのは。
想像していたものとは。
まったく違う光景だった。
「…………」
「…………」
まず。
床に座り込んでいる女がいる。
ディアナだった。
「うぅ……」
泣いている。
明らかに泣いている。
しかも。
かなり本気で。
その周囲では、王国から同行してきた騎士たちが完全に困り果てていた。
「ディ、ディアナ殿……!」
「どうか、お立ちください!」
「その……クリス殿も悪気があったわけでは……!」
「いや、しかしこれは……!」
「と、とにかく涙を……!」
歴戦の騎士たちが。
一人の女性を前にして、完全に狼狽えていた。
そして。
少し離れた場所。
「…………」
クリスがいた。
外を見ている。
ものすごく外を見ている。
窓の外に何かとてつもなく興味深いものでも存在するかのように。
絶対に。
ディアナの方を見ようとしない。
そして。
「ちょっとクリス!」
イザベルの声が響く。
「いい加減ディアナに謝りなさい!」
「…………」
クリスは答えない。
「クリス!」
「……謝ることなどありません」
「あるでしょ!」
「ありません……」
即答。
「だってディアナ泣いてるじゃない!」
「泣けば正しいという理屈にはなりません」「そういう話してないの!」
イザベルが頭を抱える。
そんな中。
リアナだけは。
「…………♪」
ニコニコしていた。
そして。
扉のところに立っているレイズへ気付く。
「あっ」
笑顔がさらに明るくなる。
「レイズ様!」
「…………」
レイズは返事をしなかった。
できなかった。
なぜなら。
状況が。
まったく理解できない。
隣を見る。
カイネルも。
珍しく。
完全に呆気に取られていた。
「…………」
「…………」
王と当主。
二人揃って。
ぽかん。
である。
そして。
ほぼ同時だった。
「お前たち!!」
「貴様ら!!」
二つの声が重なった。
「「何をしているんだ!!!」」
「っ!?」
「ひっ!?」
「へ、陛下!?」
「レイズ様!?」
その場にいた者たちが一斉に振り返る。
クリスの身体まで僅かに跳ねた。
王国騎士たちは。
もっと酷かった。
「へ、陛下!!」
一斉に姿勢を正す。
「はっ!!」
先ほどまでディアナをどう慰めるべきか困り果てていた者たちが、瞬時に王国騎士の顔へ戻った。
ただし。
顔には明確に書いてある。
――助かった。
と。
カイネルが眉を寄せる。
「何事だ」
「…………」
誰も答えない。
「余がレイズと話をしている間に」
カイネルの視線が。
泣いているディアナ。
騎士たち。
クリス。
イザベル。
順番に移っていく。
「なぜこのような惨状になっている?」
「惨状って……」
イザベルが小さく呟いた。
だが。
実際。
そう呼んでも差し支えない。
一方。
レイズは。
クリスを見ていた。
「…………クリス」
「ハッ!!」
クリスが勢いよく振り返る。
「レイズ様!」
「説明しろ」
「…………」
「何があった」
「…………」
クリスの視線が。
一瞬だけ。
ディアナへ向く。
そして。
また窓の外へ戻った。
「…………」
「クリス?」
「…………」
「こっち見ろ」
「ハッ!」
見る。
「何があった」
「…………」
答えない。
「クリス」
「…………」
レイズの眉が。
ぴくっと動く。
その時。
「へ、陛下!」
王国騎士の一人が声を上げた。
「我らから説明いたします!」
「申せ」
「はっ!」
騎士は一度息を整えた。
「我々は、ディアナ殿との久方ぶりの再会ということもあり……」
「ほう」
「その……会話を弾ませておりまして」
「それで?」
「はっ」
騎士の額に。
汗が浮かぶ。
「我らがアルバードへ至るまでに見たものについて話していたのです」
「…………」
「街並み」
「人々の様子」
「そして……」
騎士はレイズを見る。
「メモリアルストーンを利用した数々の技術について」
「なるほど」
カイネルが頷く。
「我々も驚きました」
別の騎士も口を開く。
「正直に申し上げれば」
「アルバードという場所に対し、我々はもっと……」
言い淀む。
「もっと?」
レイズが聞く。
「…………」
「言え」
「……寂れた土地を想像しておりました」
「おい………」
「申し訳ございません!」
騎士が即座に頭を下げる。
カイネルが僅かに笑う。
「だが実際には違った」
「はっ」
「我々の想像とは、まるで異なっておりました」
「活気があり」
「民も笑っている」
「見たことのない設備まである」
「故に」
「レイズ様の功績について話していたのです」
「…………」
レイズの口元が。
ほんの少し。
上がった。
「まあ……」
髪を僅かに触る。
「そこまで言われると……」
「レイズくん」
「はい」
イザベルの声。
レイズの背筋が伸びた。
「続けて」
「はっ!」
騎士が説明を再開する。
「それで……」
視線が。
ディアナへ向いた。
「ディアナ殿が」
「…………」
ディアナが。
僅かに顔を上げる。
目元が赤い。
「その……」
騎士は非常に言いづらそうに。
それでも。
覚悟を決めた。
「『レイズ様は最近、少し調子に乗りすぎているので、止めなくては駄目です』と」
「…………」
沈黙。
レイズの顔が止まった。
「…………俺?」
「はっ」
「俺が?」
「はっ」
「調子に乗ってる?」
「…………」
「そこは返事しろよ」
「は、はっ!」
「肯定するな!」
「申し訳ございません!」
その瞬間。
「違います!!」
クリスの声が響いた。
全員が振り返る。
「レイズ様は!!」
クリスが一歩前へ出る。
「調子に乗っているのではありません!!」
「クリス?」
「皆を導く者として!」
「アルバードの当主として!」
「上に立つ者に必要な威厳を示しておられるだけです!!」
「…………」
レイズは。
何も言わなかった。
「それを!」
クリスは続ける。
「調子に乗っているなどと!!」
「いや」
レイズが口を挟もうとする。
「クリス」
「レイズ様は黙っていてください!」
「なんで!?」
本人なのに。
発言権がなかった。
「クリス殿!」
王国騎士が慌てて止める。
「ディアナ殿は決してレイズ・アルバードを否定したわけでは――」
「貴様!!」
「っ!?」
「レイズ様と呼べ!!」
「そこ!?」
レイズの声が響いた。
「今そこ!?」
「当然です!」
「当然なの!?」
「レイズ様はアルバードの当主です!」
「いやそうだけど!」
「敬意を持って呼ぶべきです!」
「今それどうでもいいから!」
「どうでもよくありません!」
「俺がどうでもいいって言ってんの!」
イザベルが。
額へ手を当てた。
「もう……」
そして。
ディアナが。
ゆっくり顔を上げる。
「わ、私は……」
声が震えている。
「レイズ様を……否定したわけでは……」
「ディアナ」
「……はい」
「とりあえず泣かないで」
「だって……」
ディアナはクリスを見る。
クリスが。
また外を見る。
「クリス!!」
イザベルが怒鳴る。
「こっち向きなさい!」
「…………」
「聞こえてるでしょ!」
「…………」
「クリス!」
「……聞こえています」
「じゃあ向きなさい!」
渋々。
本当に渋々。
クリスが振り返る。
ディアナは。
涙を拭いながら続けた。
「私は……」
「ただ……」
「レイズ様は最近……」
「その……」
ちらっと。
レイズを見る。
「なに?」
「……少し」
「うん」
「格好をつけすぎるところがあるので……」
「…………」
「…………」
レイズの笑顔が。
固まった。
「それを」
ディアナは続ける。
「クリス様が」
「側で止めて差し上げた方がいいと思っただけです……」
「…………」
「だって……」
「レイズ様は」
「一度決めると」
「その……」
「後のことをあまり考えない時が……」
「…………」
「…………」
レイズは。
黙った。
「だから」
「クリス様には」
「レイズ様の言うことを全部肯定するのではなく」
「時には止めてあげてほしいと……」
「そう言っただけで……」
その瞬間。
「それが違うと言っている!!」
クリスが反論した。
「ひっ……!」
ディアナの肩が跳ねる。
「クリス!!」
イザベルが怒鳴る。
「レイズ様は!」
「皆の前に立つために!」
「必要な威厳を――」
「クリス」
低い声。
「ハッ!!」
クリスが。
反射的にレイズを見る。
「レイズ様!」
「…………」
レイズは。
ものすごく静かな顔をしていた。
「土下座しろ」
「…………」
「…………ハッ?」
クリスが固まった。
「土下座」
「…………」
「ディアナに」
「…………」
「今」
「…………」
「謝れ」
「レイズ様!?」
「いいから」
「ですが!」
「謝れ」
「…………」
「…………ハッ」
クリスが。
ゆっくりと膝をつく。
その場にいた王国騎士たちが。
ほっと息を吐いた。
「ディアナ」
「…………」
「申し訳……」
「ちゃんと」
レイズが言う。
「…………」
「…………申し訳ありませんでした」
「顔」
「…………」
クリスが顔を上げる。
「……申し訳ありませんでした」
「…………はい」
ディアナも。
ようやく少しだけ笑った。
これで。
ひとまず。
騒動は終わった。
――はずだった。
「でも」
イザベルが言った。
「…………」
レイズの身体が。
なぜか。
ぴくっと反応した。
「ディアナは間違ってないわよね?」
「…………」
「ね?」
イザベルが。
にっこり笑う。
「レイズくん」
「…………」
「なんで俺を見る」
「だって」
「クリスだけの問題じゃないもの」
「いや」
レイズが一歩下がる。
「俺は関係ないだろ」
「あるわよ?」
「ない」
「あるの!」
「ない!」
「ある!」
「ないって!」
「レイズくん」
イザベルは。
ゆっくり。
首を傾げた。
「格好つけて」
「後先考えないこと」
「あるでしょ?」
「…………」
「…………」
「ない!」
若干遅かった。
「今の間なに?」
「何もない!」
「絶対何かある」
「ない!」
「じゃあ私の目を見て言って」
「…………」
「レイズくん?」
「…………」
レイズは。
イザベルの目を見た。
「俺は」
「うん」
「格好をつけて」
「うん」
「後先のことを考えないなんてことは」
「うん」
「…………」
脳裏に。
ほんの少し前の光景が。
鮮明に蘇った。
『その条件が何かは分かりませんが』
やめろ。
『私にできることなら』
やめてくれ。
『何でもします』
「…………」
レイズの顔から。
血の気が引いた。
そして。
『我が王国には学院がある』
『お前が我が王国の学院へ入学しろ』
「…………」
レイズは。
ゆっくり。
目を逸らした。
「あはは……」
乾いた笑い。
「あはははは……」
「…………」
イザベルの目が。
細くなった。
「レイズくん」
「なんでしょう」
「何したの?」
「何も」
「何かしたでしょ?」
「してませんよ…?」
「私の目を見て」
「…………」
レイズは。
床を見た。
「レイズくん」
「…………」
「何したの?」
「…………」
答えない。
イザベルは。
その反応だけで。
理解した。
「…………あぁ」
短い声。
「やったわね?」
「やってない!」
「やった顔してる!」
「やってない!」
「じゃあなんでこっち見ないの!」
「床が綺麗だから!」
「嘘つき!」
リアナとリアノが。
くすくすと笑っている。
ディアナも。
泣いていたはずなのに。
僅かに口元が緩んでいた。
クリスだけは。
まだ膝をついたまま。
「レイズ様は悪くありません!」
「お前は黙ってろ!」
「ハッ!!」
そして。
その一部始終を。
黙って見ていた男がいた。
国王カイネル。
「…………」
カイネルは。
実に。
満足そうだった。
つい先ほど。
この少年が。
自信満々に。堂々と。格好良く。
『私にできることなら何でもします』
と言ったことを。
この場で唯一。
正確に知っている。
「…………」
カイネルの口元が。
ゆっくり上がる。
「そういえば」
「…………」
レイズの肩が。
跳ねた。
「レイズよ」
「…………」
「なんでしょうか」
「余は」
「先ほどのお前を」
「実に立派だと思ったぞ」
「…………」
レイズの顔が。
ゆっくりカイネルへ向く。
(やめろ)
目で訴える。
だが。
カイネルは国王だった。
そんな無言の懇願に屈する男ではない。
むしろ。
面白そうに。
笑った。
「うむ」
そして。
地雷を。
何の躊躇もなく。
踏み抜いた。
「かっこよかったではないか」
「…………」
沈黙。
イザベルが。
ゆっくり。
レイズを見る。
「…………レイズくん?」
「…………」
「何したの?」
「…………」
「レイズくん?」
「…………」
「こっち見て?」
「…………」
レイズは。
カイネルを見た。
カイネルは。
笑っていた。
それはもう。
大変満足そうに。
「陛下ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
アルバードの屋敷に。
若き当主の絶叫が響き渡った。
王国とアルバード。
長く続いた対立は。
この日。
確かに終結へ向けて、大きな一歩を踏み出した。
歴史的な一日だった。
王と当主が互いを認め。
新たな時代へ歩き出した日。
後世の歴史書には。
きっと。
厳かに。
そして荘重に。
そう記されるのだろう。
ただし。
その歴史書には。
和平交渉を終えた直後。
アルバード当主が国王に向かって。
「余計なこと言わないでくださいよぉぉぉぉぉ!!」
と叫び。
「ハハハハハハハ!!」
王国国王が腹を抱えて笑っていたことまでは。
おそらく。
記されることはない。




