四つ目の条件。
カイネルは深く息を吐いた。
長く張り詰めていたものを、ようやく身体の外へ吐き出すような息だった。
そのまま椅子の背へゆっくりと身体を預ける。
そして――。
正面に座る少年へ、静かに視線を向けた。
「それでは、レイズよ」
「はい」
「本題へ入る」
その一言だけで、部屋の空気が変わった。
先ほどまで僅かに残っていた柔らかな空気が消え、再び王と当主の交渉の場へ戻っていく。
窓の外から入り込んだ風が、薄いカーテンを揺らした。
それ以外には、ほとんど音がない。
カイネルは膝の上で指を組む。
「三つの条件のうち、一つはすでに満たされた」
レイズが僅かに眉を動かす。
「一つ……?」
「ああ」
カイネルは小さく笑った。
「お前と余が、こうして直接言葉を交わしたことだ」
「…………」
「それだけで、余は十分に満足している」
予想していなかった言葉だった。
レイズは僅かに目を見開く。
しかしカイネルは、それ以上そのことについて語ろうとはしなかった。
「故に残る二つについて、答えを聞かせよ」
「……分かりました」
レイズは一度だけ深く息を吸った。
そして吐く。
ここからだ。
ここまで話してきたことを、形にしなければならない。
「まず、一つ目の条件についてです」
声は落ち着いていた。
「もし魔族が王国領を侵した場合――王国がそれに反撃することを、アルバードは止めません」
カイネルの瞳が僅かに細くなる。
「ほう」
「それは復讐ではなく、自衛だからです」
レイズは真っ直ぐ王を見る。
「国が民を守るために剣を取る。それまで否定するつもりはありません」
「…………」
「ですが」
声が一段低くなった。
「そこから先は違います」
カイネルは黙って続きを待った。
「襲われたから襲い返す」
「殺されたから殺し返す」
「王国の民が死んだから、その怒りのまま魔族領へ踏み込む」
「それを認めれば、終わりません」
レイズ自身、そのことを嫌というほど理解していた。
奪われた者が怒る。
怒った者が奪い返す。
そして奪われた側が、また怒る。
正義という名前を掲げながら。
誰もが自分こそ被害者なのだと信じながら。
殺し合いだけが続いていく。
「だから、王国が魔族領へ報復を目的として進軍することは認めません」
「ならば」
カイネルが問い返す。
「王国の民の怒りは、どこへ向ければよい?」
レイズは迷わなかった。
「アルバードへ」
「…………」
カイネルの表情が止まった。
「……何?」
「その怒りは、アルバードが受けます」
「レイズ」
「王国が魔族へ刃を向けようとするのであれば」
レイズは静かに告げた。
「その前に、俺たちが立ちます」
それは穏やかな声だった。
だが内容は、決して穏やかなものではない。
「アルバードが止めます」
「必要なら戦います」
「王国の怒りが、そのまま魔族への無秩序な報復へ変わることだけは許さない」
「…………」
「だから王国には、王国の民を守ることへ力を使ってほしい」
「その代わり」
レイズは拳を握った。
「その先は、俺たちが背負います」
長い沈黙。
カイネルは何も言わなかった。
ただレイズを見ていた。
やがて。
「……なるほどな」
ほんの僅かに、口元が緩んだ。
「お前は戦いそのものを否定しているわけではないのだな」
「はい」
「守るための剣と、憎しみから振るう剣を分ける、と」
「そうです」
「……よかろう」
カイネルは頷いた。
「少なくとも、理想だけを語っているわけではないことは理解した」
レイズも静かに頭を下げる。
「ありがとうございます」
「では二つ目だ」
「はい」
「メモリアルストーン」
その名が出た瞬間、レイズの表情が少し変わった。
こちらについては、かなり考えてきている。
「その技術について、アルバードは王国へ提供する意思があります」
「ほう」
「ただし、すべてを無条件に渡すわけではありません」
レイズは机へ指を置いた。
「メモリアルストーンそのものより重要なのは、それをどう扱うかです」
「続けよ」
「ミスリル線、鉄線、金線」
「それらを魔力の通り道として利用します」
「そして魔力石と組み合わせる」
「そうすることで、一時的な魔法ではなく、ある程度継続して効果を発生させる仕組みを作ることができます」
カイネルは黙って聞いていた。
「例えば灯り」
「熱」「保温」
「そういったものは比較的実現しやすい」
「ですが、水、土、氷などになると話は変わります」
「ほう?」
「魔力石だけでは難しいんです」
レイズは説明を続ける。
「魔力石は万能ではありません」
「中にある魔力には限りがあります」
「使えば減る」
「無くなれば止まる」
「だからこそ、装置として成立させるには魔力石だけに頼らない仕組みが必要になります」
カイネルの目が少しずつ鋭くなっていった。
単なる魔道具の話ではない。
これは――。
文明そのものの話だ。
「なるほど」
カイネルは呟く。
「魔法を使える者だけが利用するものではなく」
「魔法そのものを仕組みの一部へ組み込むのか」
「はい」
「…………」
カイネルは窓の外へ視線を向けた。
この屋敷へ来てから、何度驚かされたことだろう。
灯り。
冷却。
湯。
水。
生活の中へ自然に組み込まれた、これまでの王国にはない発想。
しかも。
この少年は、それを独占しようとしていない。
「王国が望むのであれば」
レイズが続ける。
「材料の加工方法」
「制御」
「魔力石の交換」
「保管」
「安全管理」
「それらも含めて、段階的に教えます」
「ただし」
「監視と制限は必要です」
「……兵器への転用か」
「それもあります」
レイズは即答した。
「便利なものほど、使い方を間違えれば危険になります」
「だから技術だけ渡して終わりにはしたくありません」
「王国とアルバードが、一緒に管理する形が理想です」
カイネルは長く息を吐いた。
「……よかろう」
そして。
ゆっくりと頷いた。
「一つ目」
「二つ目」
「どちらも余は納得した」
レイズの肩から、僅かに力が抜けた。
(…………よし)
終わった。
ようやく。
本当にようやくだ。
ここまで来た。
王国とアルバード。
長く続いた対立。
互いに疑い。
互いを敵と見なし。
いつ戦争になっても不思議ではなかった
関係。
それが今。
対話によって、終わろうとしている。
「レイズ・アルバード」
「はい」
「約束せよ」
王の声へ戻る。
「その技術は双方の責任の下で扱う」
「王国もまた、それを濫用せぬことを誓おう」
レイズは深く頭を下げた。
「約束します」
「アルバードは技術を売るだけではありません」
「王国と共に歩くための知識として提供します」
二人の視線が重なる。
王と。
若き当主。
その瞬間。
長く続いてきた王国とアルバードの因縁は、一つの大きな区切りを迎えた。
剣ではなかった。
魔法でもなかった。
互いの言葉によって。
ようやく、歴史が動いた。
「…………」
カイネルは目の前の少年を見つめていた。
十四歳。
まだ少年と呼んで差し支えない年齢。
それなのに。
この少年は国王である自分を前にしながら、自らの思想を曲げなかった。
王国へ媚びることもしなかった。
かといって敵意を剥き出しにすることもない。
必要なものは受け入れ。
拒むべきものは拒む。
そして。
自分だけが利益を得ようとはしない。
(……惜しい)
カイネルの胸に。
ふと。
そんな感情が生まれた。
(あまりにも惜しい)
アルバードだけに置いておくには。
この少年は――。
あまりにも。
「…………」
カイネルの口元が、ほんの僅かに緩んだ。
その変化に。
レイズは気付かなかった。
むしろ。
(終わったぁぁぁぁぁぁぁ……!)
心の中では盛大に安堵していた
(よかった……!)
(なんとかなった……!)
(カイネル、めちゃくちゃ話分かる人じゃん……!)
完全に気を抜いていた。
この王なら。
もう無茶なことなど言わない。
そんな。
根拠のない確信すら持ち始めていた。
だからこそ。
「レイズ」
「はい?」
「条件を、もう一つ加える」
「…………はい?」
レイズの思考が一瞬止まった。
「…………もう、一つ?」
「ああ」
カイネルは楽しそうに笑っている。
だがレイズは、まだ余裕だった。
(まあ……いいか)
(三つも受けたんだ)
(今さら一つ増えたところで……)
そして。
少しくらい格好をつけたかった。
「分かりました」
レイズは背筋を伸ばす。
「その条件が何かは分かりませんが」
堂々と。
「私にできることなら、何でもします」
言った。
言ってしまった。
後のレイズが、この数秒前の自分を殴りたいと本気で思うことになる言葉を。
「そうか」
カイネルは優しく微笑んだ。
「ならば話は早い」
「はい」
「我が王国には、学院がある」
「…………」
「学院……ですか?」
唐突だった。
レイズは首を傾げる。
学院。
学校のようなものだろう。
そう考えたところで――。
「…………あ」
気付いた。
アルバードには、ない。
少なくともレイズが知る限り。
この領地に、王国の学院のような教育機関は存在していなかった。
では自分は?
ヴィル。
イザベル。
クリス。
そして、母親代わりのように自分を支えてくれたリリアナ。
自分の教育は、ほぼアルバード内部だけで完結している。
「気付いたか」
「……はい」
カイネルは静かに続けた。
「学院とは、ただ知識を教える場所ではない」
「王国の歴史」
「王国の在り方」
「王国の民として何を守るべきか」
「そして、どのような者が国を支える人材となるべきなのか」
「それを教える場所でもある」
レイズの表情が少しずつ硬くなる。
「言い換えれば」
「王国の思想が、最も色濃く反映される場所の一つだ」
「…………」
王国の思想。
その言葉だけで。
レイズの頭に様々なものが浮かんだ。
魔族。
戦争。
アルバード。
王国から見れば。
魔族は長く敵だった。
そして、その魔族との間に立つアルバードもまた、決して歓迎される存在ではなかった。
「その意味が分かるか?」
「……なんとなく」
レイズは慎重に答えた。
「王国の思想を、次の世代へ伝える場所でもある……ということですよね」
「そうだ」
「そして」
カイネルは僅かに目を伏せた。
「アルバードの者が学院へ入ることは、これまで認められてこなかった」
「え?」
「余の父」
「先代国王が固く禁じていた」
「…………」
レイズは驚いた。
だが。
同時に納得もした。
それほどまでに。
王国とアルバードの溝は深かったということだ。
「では……」
レイズは少し身を乗り出した。
「もしかして」
「これからは、アルバードに住む人たちも学院へ受け入れてくださるんですか?」
カイネルの口元が。
ニヤリと上がった。
「無論だ」
「……!」
「受け入れよう」
「本当ですか!?」
「ああ」
レイズの顔が明るくなる。
しかし。
「だが」
「はい?」
「まずは」
カイネルの視線が。
真正面からレイズを捉えた。
「お前だ」
「…………」
「…………はい?」
レイズの顔から。
笑顔が消えた。
「レイズ」
「…………はい」
「お前が我が王国の学院へ入学しろ」
「…………」
沈黙。
「…………」
さらに沈黙。
「…………は?」
完全に頭が真っ白になった。
「いや」
レイズは瞬きを繰り返す。
「待ってください」
「何をだ?」
「なに言ってるんですか!?」
先ほどまでの当主らしい口調が一瞬で消えた。
「俺、当主ですよ!?」
「知っている」
「アルバード守らないといけないんですよ!?」
「知っている」
「仕事あるんですけど!?」
「それも知っている」
「じゃあなんで学院なんですか!?」
「だからこそだ」
カイネルは即答した。
レイズが止まる。
「……だからこそ?」
「ああ」
王の表情が再び真剣なものへ変わった。
「アルバードとしての責務は、今ここで一つ果たされた」
「王国との戦いは終わる」
「ならば」
「次にお前が成すべきことは何だ?」
「…………」
「王国との関係を、より強固なものへ変えることではないのか?」
レイズは言葉を失った。
「レイズ・アルバードが王国の学院へ通う」
「その意味は大きい」
「昨日まで敵と呼ばれていた家の当主が」
「明日から王国の若者たちと同じ場所で学ぶ」
「それ以上に分かりやすい証明があるか?」
「…………」
「アルバードは、もう敵ではない」
「王国の中へ受け入れられた」
「それを示す象徴となる」
レイズは。
黙った。
いや。
黙るしかなかった。
(…………なるほど)
そして。
始まった。
レイズの。
盛大な深読みが。
(そういうことか……)
(学院は王国の思想を次の世代へ教える場所)
(つまり)
(俺がそこへ入るってことは……)
(王国の教育そのものへ、アルバードという新しい価値観を持ち込めってことなのか……!?)
とんでもなく大きな話になり始めた。
(魔族は敵)
(アルバードも敵)
(そんな教育を受けてきた奴らの中へ)
(アルバードの当主である俺が入る)
(そして)
(その認識を、根本から変えていく……)
レイズの額へ。
冷たい汗が浮かんだ。
(重っっっっ!!)
カイネルは。
そんなレイズを見ていた。
難しい顔をしている。
真剣に考えている。
自分が口にした条件の意味を。
必死に。
深く。
どこまでも深く。
(…………)
カイネルは少しだけ罪悪感を覚えた。
なぜなら。
確かに 今言ったことは嘘ではない。
学院へレイズを入れることには政治的な意味がある。
王国とアルバードの融和。
次世代への象徴。
王国の価値観を変えるきっかけ。
その全てが存在する。
だが。
根本にある理由は。
もっと単純だった。
(……余は)
カイネルは心の中で苦笑した。
(この少年を、王国との間に繋ぎ止めておきたいのだな)
気に入った。
ただ。
それだけだった。
レイズ・アルバードという少年を。
もっと見たい。
もっと王国へ関わらせたい。
そして。
できることなら。
王国にも、この少年の考えを取り込みたい。
王としての計算。
それだけでは説明できないほど。
カイネルは目の前の少年へ惹かれていた。
「ですが!」
レイズが突然顔を上げた。
「陛下!」
「なんだ」
「俺、十四歳ですよ!?」
「知っている」
「勉強なんてついていける自信ないですよ!」
「…………」
カイネルは。
ゆっくり窓の外を見た。
アルバードの街並み。
そして。
ここへ来るまでに目にしたものを思い出す。
メモリアルストーン。
灯り。
水。
冷却。
熱。
魔法を。
戦うためではなく。
人々の生活を豊かにするために利用する文明。
「レイズよ」
「はい」
「お前は」
「これほどのものを作り上げておきながら」
カイネルは窓の外を指した。
「自分が学問についていけぬと、本気で思っているのか?」
「…………」
「いや、これは……」
「思い付いただけというか……」
「その思い付きを形にできる者を、世では才ある者と呼ぶ」
「…………」
「ぐっ」
正論だった。
「それに」
カイネルの声が少しだけ重くなる。
「余も、やらねばならぬことがある」
レイズが顔を上げる。
「アルバードとの戦いが終わったことは、余が宣言できる」
「だが」
「魔族との戦いまで、今日ここで終わったと宣言することはできぬ」
「…………」
「王国もまた、多くを失った」
「親を失った者」
「子を失った者」
「家を焼かれた者」
「故郷を奪われた者」
「それらの者へ」
『今日から魔族を憎むな』
「余がそう命じたところで」
「心まで変えられると思うか?」
「……いいえ」
「そうだ」
「王であろうと」
「人の心までは命令できぬ」
カイネルは目を伏せた。
「学院にもいる」
「戦争で親を失った者が」
「家族を奪われた者が」
「魔族を憎んでいる者が」
「そして」
「アルバードを憎んでいる者も」
「…………」
レイズの顔が引きつった。
「いや」
「ちょっと待ってください」
「なんだ?」
「それ聞いたら余計に行きたくなくなったんですけど!?」
「そうか?」
「そうですよ!」
レイズは思わず机へ両手を置いた。
「俺、アルバードですよ!?」
「ああ」
「アルバードって名乗って学院行くんですよね!?」
「当然だ」
「喧嘩になるでしょう!?」
数秒。
カイネルが。
大声で笑った。
「ハハハハハハハッ!!」
「なんで笑うんですか!?」
「いや」
目尻を僅かに拭いながら。
「喧嘩とは」
「また随分と可愛らしい言葉を選んだものだ」
「可愛くないですよ!」
「喧嘩程度で済めば、むしろ平和であろうな」
「ならなおさら行きたくないですよ!?」
「安心せよ」
カイネルは笑みを消した。
「アルバードへ危害を加える者がいれば」
「余が許さぬ」
「いや!」
レイズは即座に返した。
「陛下が後ろ盾になったって同じですよ!」
「ほう?」
「表向き何もできなくなるだけです!」
レイズは珍しく早口になった。
「陰でぐちぐち言われる!」
「すれ違うたびに睨まれる!」
「机に何かされる!」
「物が無くなる!」
「聞こえるか聞こえないかくらいの声で悪口言われる!」
「…………妙に具体的だな」
「いじめってそういうものなんですよ!」
レイズは机を叩く。
「苛めの本質って!」
「大人から見て分かりやすい場所だけで起きるものじゃないんです!」
「表から見えないところから始まるんですよ!」
「…………」
カイネルは。
しばらく黙ってレイズを見た。
そして。
「いじめ、か」
小さく呟いた。
「だが……」
レイズはまだ食い下がる。
「それが怖いというのであれば」
カイネルが遮った。
「アルバードは」
「とうの昔に存在しておらぬだろう」
「…………」
レイズが止まる。
「周囲から嫌われ」
「王国から疎まれ」
「魔族との間に立ち」
「それでもなお」
「アルバードは今日まで立ち続けてきた」
カイネルは真っ直ぐレイズを見る。
「その名を背負っているお前が」
「誰よりも理解しているのではないか?」
「…………」
「ぐぬぬ……」
何も言い返せない。
「じゃあ」
しばらく考えた末。
「せめて名前を伏せるとか」
「駄目だ」
「即答!?」
「レイズじゃなくて別名で……」
「意味がない」
「ですよねぇぇぇ……」
頭を抱える。
カイネルはそんなレイズを見て。
ほんの少し楽しそうだった。
「安心しろ」
「アルバードを名乗ることについては、余も準備を整える」
「……準備?」
「ああ」
「何をするんです?」
「それは後で分かる」
「それ一番怖いやつじゃないですか……」
レイズは深く息を吐く。
そして。
恐る恐る尋ねた。
「ちなみに」
「なんだ?」
「この条件」
「断ったら……?」
「…………」
カイネルが。
笑った。
「先ほど」
『私にできることなら何でもします』
「そう言ったのは誰だった?」
「…………」
レイズの顔が固まる。
思い出した。
数分前の自分。
堂々と。
格好良く。
胸を張って。
言った。
(俺だぁぁぁぁぁぁぁ!!)
頭を抱えた。
「なんで俺あんな格好つけたんだよ……」
「何か?」
「なんでもありません……」
「それに」
カイネルは淡々と続ける。
「学院へ通えというだけだ」
「命を差し出せとも」
「領地を寄越せとも」
「財をすべて渡せとも言っておらぬ」
「無茶な条件ではあるまい?」
「理屈ではそうなんですけどぉ……」
レイズは机へ額をつけたくなった。
「こっちにも準備がありますし……」
「勉強についていける自信もないし……」
「そもそも」
ふと。
重大な疑問に気付く。
「俺」
「何年生になるんです?」
「…………何年生?」
カイネルが不思議そうに首を傾げた。
「はい」
「一年とか二年とか……」
「何を言っている?」
「え?」
「学院は、そのような分け方ではない」
「…………」
「等級で分けられる」
「あ」
「なるほど……」
レイズは少し安心した。
「じゃあ俺は、一番下から――」
「最上位だ」
「…………」
「…………はい?」
「最上位等級」
カイネルは当然のように言った。
「扱いとしては」
「特待生となるだろう」
「…………」
「…………特待生?」
「ああ」
「いやいやいやいやいや!!」
レイズが再び立ち上がりそうになる。
「それ!」
「めちゃくちゃ頭いい奴とか!」
「天才とか!」
「そういう奴が集まるところですよね!?」
「概ね間違っていない」
「俺にそんな可能性ありませんよ!?」
「そうか?」
「そうですよ!」
「では」
カイネルは何気なく。
一人の名を口にした。
「イザベル・レイバード」
「…………」
「彼女も特待生だった」
「…………」
「…………え?」
レイズの動きが止まる。
「今」
「なんて?」
「イザベル・レイバード」
「彼女も王国学院の特待生だった」
「えぇぇぇぇぇぇぇ!?」
部屋に。
レイズの叫びが響いた。
「イザベルって学院行ってたの!?」
「何を驚いている?」
今度はカイネルの方が不思議そうだった。
「レイバードは明確に王国領だ」
「当然、イザベルには学院へ入学する資格がある」
「いや」
「そうですけど!」
「聞いてない!」
「余に言われても知らぬ」
「それはそうですけど!」
カイネルは小さく息を吐く。
「彼女は優秀だった」
「非常にな」
「数年で学院を卒業した」
「…………」
「ヴィルの血が流れていることを抜きにしても」
「紛れもない才女だった」
「…………あいつ」
レイズの頭に。
眠そうな顔をしたイザベルが浮かんだ。
『ほぇ〜……』
(あいつそんな頭良かったの!?)
知らなかった。
全然知らなかった。
「ただ」
カイネルの声が少しだけ変わる。
「学友には」
「さほど恵まれなかったようだがな」
「…………」
レイズの表情から笑いが消えた。
「それについては」
カイネルは少し考えてから続ける。
「レオナルディオが手を回していたはずだ」
「…………」
その名前。
レオナルディオ。
聞いた瞬間。
レイズの瞳が静かになった。
「……レオナルディオ」
「ああ」
「そうか……」
先ほどまで学院へ行きたくないと騒いでいた少年の顔が。
一瞬で。
アルバード当主のものへ戻る。
(その頃から)
(レイバードへ関わっていた……)
(イザベルにも……?)
また。
新しい疑問が生まれた。
カイネルはその変化を見逃さなかった。
だが。
今は何も言わない。
これ以上。
この少年へ一度に背負わせる必要はない。
カイネルは静かに立ち上がった。
「では」
「…………?」
「四つの条件」
「すべて満たされたものとする」
「…………」
「余は王国へ戻る」
「ちょっ」
レイズが顔を上げる。
「待ってください!」
「何だ?」
「いや」
「学院の話!」
「決定した」
「決定した!?」
「ああ」
「俺まだ承諾した覚えが……!」
「何でもすると言った」
「そこ拾わないでくださいよぉぉぉ!!」
カイネルは。
楽しそうに笑った。
「ハハハハハ!」
「笑い事じゃないんですけど……!」
レイズは完全に項垂れた。
「あはは……」
「ほんとに……」
和平交渉。
王国との関係改善。
メモリアルストーン。
魔族との問題。
そこまでは。
覚悟していた。
なのに。
(なんで最後が学校なんだよ……)
人生とは分からない。
異世界へ来て。
領主になって。
王国と交渉して。
そして。
十四歳にして。
まさかの学生生活である。
そんなレイズとは対照的に。
カイネルは穏やかな顔をしていた。
「レイズ」
「……はい」
「今日は」
王ではなく。
一人の人間として。
どこか優しい声で告げる。
「実に有意義な時間だった」
レイズが顔を上げる。
「アルバードよ」
「感謝する」
「…………」
その言葉だけは。
レイズも茶化すことができなかった。
ゆっくりと立ち上がる。
「こちらこそ」
深く頭を下げた。
「ありがとうございました」
カイネルは頷く。
そして扉へ向かって歩き始めた。
レイズも、その後を追う。
王国とアルバード。
長く敵対してきた二つの勢力は。
この日。
確かに一つの戦いを終わらせた。
そして同時に。
レイズ・アルバードの物語には。
誰も予想していなかった新しい舞台が加わることになる。
――王国学院。
かつてアルバードの名を持つ者が、決して踏み入ることを許されなかった場所。
王国の未来を担う若者たちが集い。
王国の思想を最も色濃く受け継いできた場所。
そこへ。
よりにもよって。
アルバードの現当主が入学する。
レイズはまだ知らない。
それが王国の若者たちへ。
そして。
王国そのものへ。
どれほど大きな波紋を生むことになるのかを。
ただ今は。
(…………学校かぁ)
カイネルの背中を追いながら。
(絶対面倒なことになるじゃん……)
それだけを。
心の底から確信していた。




