デュランの誇り。
向かい合った二人の間に、言葉では言い尽くせない緊張が張りつめた。
デュランは静かに息を吸い、剣ではなく木刀を構える。
「……グレサス殿、手加減はいりません。全力で――私にぶつけてみろ。」
グレサスは肩をすくめ、皮肉めいた笑みを浮かべた。
「ずいぶんと他人行儀だな、デュラン。俺のことは“グレサス”と呼び捨てで構わんだろう?」
「いいえ。」デュランは目を細め、冷たく答えた。
「あなたは――かつての友ではない。己の誇りを履き違えた者を呼び捨てにするほど、私は軽薄ではありません。」
その一言に、グレサスの笑みがわずかに歪む。
「……大きく出たな。」
言葉を合図に、二人の足元に魔力の陣が広がった。
デュランの全身を淡い風の光が包み、鎧の隙間から魔力の粒子が零れる。
一方、グレサスの加護はまるで嵐のように膨れ上がり、重力すら歪ませるほどの圧を放った。
その差は、誰の目にも明らかだった。
王の手が玉座の肘掛けを握り締め、わずかに震える。
「……なぜだ、デュラン。お前は――勝てぬことを知っているはずだ。何を見せようというのだ……。」
次の瞬間、デュランの姿が消えた。
風が鳴り、彼は刹那にグレサスの死角――足元から切り上げを放つ。
「見えている!」
グレサスの笑みとともに、上段からの一撃が重く叩き落とされる。
木刀と木刀がぶつかり、地面が軋む。
デュランは即座に後退し、詠唱を走らせた。
「――《ヴェント・スラッシュ》!」
風の刃が木刀を包み、再び打ち込む。
グレサスは冷ややかに腕を振る。氷の槍が空中に生まれ、風の軌跡を砕く。
氷と風がぶつかり合い、爆ぜた衝撃波が観客席を揺らした。
観戦する騎士たちの一人が思わず呟く。
「……なぁ、木刀でやる意味、もうねぇだろ……」
それでも二人は止まらない。
デュランは沈んだ木刀をそのまま滑らせるように横へ払う。
低い体勢から、グレサスの脚を狙う一撃。
しかし、グレサスの足を包む魔力壁が鈍く輝き、木刀の刃先を踏み潰した。
次の瞬間、デュランの蹴りが飛ぶ。だが――グレサスはその蹴りの軌道を読んでいた。
木刀の柄でその足を叩き落とす。
「ぐっ……!」
鈍い音が響く。
デュランの足に激痛が走った。
グレサスは嗤いながら告げる。
「なぁ、デュラン……お前は“本当の強者”を知らない。
ヴィルも、セバスも、あの化け物のような魔族も……俺はすべて見た。
恐怖だと? 笑わせるな。あれは越えるための糧だ。
お前の感じた“恐怖”など――取るに足らん!」
言葉と同時に、グレサスの膝蹴りがデュランの腹を撃つ。
重い衝撃音。
だが、デュランの表情は揺れなかった。
痛みの代わりに、彼の額からひとすじの汗が落ちる。
――次だ。
その瞬間、王とすべての騎士が“何か”が起こると直感していた。
激しい衝突音が、闘技の広間を揺らしていた。
砂煙の中、デュランは折れぬ姿勢で立ち続ける。
それでも、目だけは死んでいなかった。
「……グレサス殿。
お前は強い――恐ろしいほどにな。」
血を吐きながらも、デュランは静かに言葉を紡ぐ。
「だがな……こうして、俺はまだお前に挑めている。
これがどういう意味かわかるか?」
その声には震えも恐れもない。
ただ真っ直ぐな意志だけが響いた。
グレサスの眉が僅かに動く。
次の瞬間、デュランは木刀を横に払う――かと思えば、
突然のフェイントで足元を狙い、打ち込んだ。
木刀がグレサスの脚に激突する。
鈍い音。
だがグレサスは、それを無言で受け止めた。
その表情には、わずかに怒気が滲む。
「つまりお前は……その上位魔族の“恐怖”よりも、
俺の方が劣るとでも言いたいのか?」
デュランは唇を吊り上げ、笑った。
「ちがうな。グレサスお前が“恐怖を知らぬこと”が、弱さなのだ。」
グレサスの眼に殺気が走る。
「貴様――!」
怒号とともに、グレサスは木刀を振り上げる。
デュランは踏み込み、蹴りを放つ。
それをグレサスは片手で受け止め、そのまま掴み上げ――地面に叩きつけた。
鈍い衝撃。
砂埃が舞い上がる。
観衆の騎士たちが息を呑む。
だが、デュランは転倒の勢いを殺し、受け身を取る。
そのまま滑るように立ち上がり、木刀を振り下ろした。
「はぁっ!!」
頭上からの一撃。
グレサスは軽々と受け止め、笑う。
だが――その瞬間、デュランの動きが変わった。
木刀を放り、両腕でグレサスの手を掴み――
頭突き。
鈍い音が鳴った。
グレサスの額に、赤い線が走る。
「……っ!」
観衆の中からどよめきが起きた。
王は思わず身を乗り出した。
「なんたる……ことか……。
あの無駄のない、美しい剣筋が――今では見る影もない……」
目の前で繰り広げられているのは、
華麗な剣舞ではなかった。
生への執念。勝つための泥。
見苦しいほどの、人間の戦いだった。
しかし、王の胸に去来したのは――軽蔑ではなかった。
「……デュラン……。
お前は、見せたかったのだな……。」
血を滲ませながらも、デュランは立ち上がる。
木刀を握り直し、声を張り上げた。
「――グレサス!!!」
その叫びは、広間全体に響いた。
「俺は、王国を守るためなら!
誇りすら捨てる覚悟を持っている!!
泥にまみれようと、恥を晒そうと――
この命で国を護る、それが“誇り”だ!!!」
その言葉に、グレサスの瞳が見開かれる。
次の瞬間、怒りが爆発した。
「誇りだと!?
まるで俺に誇りがないと言いたいのか――デュランぁぁぁ!!!」
激しい叫びとともに、木刀が叩き込まれる。
地面が砕け、砂塵が立ち込める。
デュランの体はもう、受け止める力も残っていなかった。
血を流しながらも、彼は笑っていた。
王は立ち上がり、叫んだ。
「――やめよ!!
すでに勝敗は決しておる!!」
その声に、グレサスの動きが止まる。
だが、デュランはゆっくりと顔を上げた。
血に染まった唇が、わずかに笑う。
「……これが、“誇りを忘れない”ということです…陛下...」
その言葉とともに、デュランは静かに膝を折った。
まるで祈るように地に伏す。
そして――王国の空気は、誰一人として息を飲むことさえできぬほどに、重く沈んだ。
王はゆっくりと立ち上がった。
玉座の背後に差し込む光が、白銀の鎧に反射し、静かに王の横顔を照らす。
「……グレサス。」
その呼び声に、荒い息を吐いていたグレサスが顔を上げる。
王の瞳は、怒りでも叱責でもなく――深い慈しみと悲しみを宿していた。
「お前がこの国を守る“誇り”を、我はよく知っている。」
言葉は静かに、だが確かに響いた。
「この国のために剣を振るい、敵を退け、民を護ってきた。
お前の名は誇りそのものだ。
その誇りが、いかに多くの者を支えてきたか――我は知っておる。」
グレサスは拳を握り、何も言えなかった。
ただ、王の声だけが広間に染み渡る。
「……だが、デュランもまた、それに劣らぬ“覚悟”を見せた。」
玉座の前、血に濡れた床に膝をつくデュランを見下ろしながら、王の瞳が揺れる。
「彼は己の誇りを捨ててでも、この国を守ろうとした。
美しくもない、泥にまみれたその戦いの中で――
彼は誰よりも、この国の未来を案じていたのだ。」
王の頬に、ひとすじの涙がこぼれ落ちた。
「……デュランは、言ったのだ。
“アルバードに手を出すな”と。」
沈黙が走る。
その言葉は、まるで重い鐘の音のように響いた。
「グレサスよ――その意味が、わかるか。」
グレサスは拳を固く握りしめたまま、動けなかった。
その胸の奥に、怒りとは違う何かが燻り始めていた。
恐怖でもなく、悔しさでもなく――ただ、静かな“動揺”。
彼の目が、血にまみれながらも笑みを浮かべるデュランへ向く。
その姿は、もはや敗者ではなかった。
王は小さく首を振り、涙を拭う。
「……誇りとは、勝ち名乗りを上げることではない。
民を護るために、己を削り、それでも立ち上がる者。
それが――真の騎士だ。」
その言葉を最後に、王は静かに玉座に戻る。
そして、広間にいたすべての者が悟った。
この日――王国はひとつの“戦いの意味”を失い、
代わりに、“護る”という新たな誇りを手に入れたのだ。




