リールに賭ける
アルバードに、一人の男が辿り着いた。
――リールだった。
馬車には、ぎっしりと積み上げられた魔力石。
げっそりとやつれた顔に、幾晩も寝ずに道を急いだ疲労が刻まれていた。
「……やっと、着いた……」
重い息を吐きながら目にした光景に、リールは思わず立ち尽くした。
そこには巨大な気配を放つ魔族、凛として並ぶダークエルフ、そしてアルバードの民たちが慌ただしく準備を進めている。
人と魔が交わり、同じ場で暮らしている――それは、リールの知る常識をあっさりと覆す光景だった。
「リールさん、おかえりなさい」
声をかけてきたのはイザベルだった。
彼女は明るく手招きし、そのまま案内する。
導かれるまま辿り着いた先――そこには整然と並べられた大量のメモリアルストーン、そして中央に立つレイズの姿があった。
「よく来てくれたな、リール」
レイズは真っ直ぐに告げた。
「このメモリアルストーンを、全部王国に売ってほしい。
ただし――公共のために使うのであれば安くても構わない」
「……なっ……!?」
リールは耳を疑った。これほどの宝を、敵対するかもしれない王国に渡すというのか?
レイズは続ける。
「王国に伝えてくれ。戦を起こさぬのなら、さらに輸出は増やす。
だが――欲をかくな。
貴族の贅沢ではなく、国民のために使うんだ」
その声音は媚びるでもなく、脅すでもない。
ただひたすらに、戦を避けるための策。
豊かさを示すことで、争いを無意味にするための、確かな決意だった。
「もし戦を選ぶのなら――これ以上の供給は絶つ。
それだけではない。応用の術――装置の仕組みも、我ら以外には一切渡さない」
静かに、だが強く放たれた言葉。
それは「戦えば損をする」という現実を、王国に突きつけるものだった。
リールは震えるように理解した。
――これが、戦わずして勝つということか。
イザベルは胸を張って、誇らしげに笑った。
「リールさん、レイズくんは頭が飛んでるけど……これは血を流さないための方法なのよ。だから本当に大変だと思うけど、よろしくお願いしますね。」
レイズはリールの目を見据え、短く頷く。
「あぁ……全てはお前にかかっている。あとは戦力の“威”を見せつけるだけだ。これで王国との因縁に終わりをつける。お互いに、平和でいることに損はない。だから、何もしない。何もしなければ利がある、損はしないんだ。」
言葉は冷静だが、そこに滲む覚悟は誰の耳にも伝わった。
「リール、お前なりの言葉で説明してくれ。形式でもよい、真摯さでもよい、方法は任せる。要は、相手に“戦う気にならせない”ことだ。」
広間の空気が締まる。イザベルは静かに頷き、レイズは少しだけ肩の力を抜いた。
リールは重い箱を抱えるように息を整え、これから伝えるべき言葉を胸に抱えて立ち上がった。
レイズは深々と頭を下げた。屋敷の木の床に微かな音が響くほど、真摯な所作だった。
「頼む。」
リールは震える手で荷綱を握りしめながら、息を吐くように答えた。 「断れるわけないじゃないですか……。承知しました、レイズ様。」
その日はリールを屋敷に泊め、翌朝の出立に備えることになった。だが、既に王国は静かに動き出していた。
王国の偵察隊は目を光らせ、街の雑踏の中で一人の商人に目を止める。
「あの男……商人か? あいつなら、何か掴んでいるはずだ」
視線は合図を交わすように動き、標的はリールに定まった。
屋敷にいたヴェルが、静かにレイズの居室へとやって来る。
気配は巨大でありながら穏やかで、だがその瞳には確かな警戒が灯っていた。
「レイズよ。王国が、あの商人に目をつけている。行かせて本当に大丈夫なのか?」
レイズは少しだけ笑ってから、首を横に振った。
「大丈夫だ。王国のやつらは、すぐには手を出せない。上からの指示が必要になる。だが――これは好機かもしれない。ヴェル、切り札を使うときが来たかもしれない。」
ヴェルは微かに身を乗り出し、低い声で問うた。
「ほう。どう使うつもりだ?」
レイズは目を細め、言葉を選ぶように答える。
「リールを単に守るだけでは意味が薄い。彼が王国へ持ち帰る情報を、過剰に大袈裟にさせる。怖れを植え付けるんだ。見せつけるんだよ――アルバードは手を出せば大きな代償を払う、と。ヴェル、お前の切り札で『とんでもない存在』を示してくれ。だが露骨に出すな。」
ヴェルは薄く笑みを浮かべ、うなずく。
「わかった。私がリールの影に忍び込み、必要ならば警鐘を鳴らしてやる。だが、使う力は一度しかできぬと心得た。」
「その一度で十分だ。」レイズは静かに断言した。
「王国に『ここはいまや簡単に手出しできない』と理解させる。それだけで戦意は大きく削げる。君たちには無駄な血は流させない。」
ヴェルは重々しく頷き、視線を窓の外の遠い道筋へ向ける。朝の光が村の屋根を淡く照らしていた。外では民がいつものように動き、だがその空気はどこか昨日と違って凛としている。
「行け。リールを見張りつつ、必要なら静かに示威を行え。判らせるだけでいい。」
「了解だ、レイズ。」
こうして、リールを先導役にした小さな作戦が、静かに幕を開けた。誰にも気づかれぬように――だが確かに、王国に「アルバードは侮れぬ」と刻み込ませるための一歩が踏み出されたのだった。




