確実に迫りくる。
鋼の音が響き渡る修練所。
模擬戦を終えた騎士たちの熱気が残る空気の中、重い足音とともに一人の男が現れた。
偵察隊のリーダー――ルーカス。
その額には汗が滲み、顔は疲弊で険しかった。彼は膝をつき、報告を始める。
「グレサス様……ただいま戻りました。」
訓練用の大剣を肩にかけたまま、グレサスは振り返る。
鋭い眼差しがルーカスを射抜いた。
「ご苦労だった……それで?」
「はっ。アルバードへの侵入は容易にございます。
出入りの警備は薄く、抜け道も多い。ですが……」
言葉を濁すルーカスに、グレサスは歩み寄る。
「何か問題があったか。」
「……魔族です。それも強力な者が、アルバードの内部に……。
我らはすでに気付かれ、泳がされていた可能性がございます。」
「魔族だと?」
グレサスの目が細くなる。
「特徴を言え。」
「大きな角に獅子のような顔、巨大な体躯。
魔力の気配は常軌を逸しておりました。間違いなく上位の魔族かと。」
「ほう……」
グレサスは口の端を吊り上げた。
「そいつは、強いのか?」
「はい。グレサス様であれば造作もないでしょうが……
デュラン様と互角に渡り合えるほどかと。」
「デュランと互角、か……」
その言葉に、グレサスは愉快そうに笑った。修練所に低く響く声。
ルーカスは震えながら続ける。
「我らでは到底及びません。狙われれば、全滅は必至。
ゆえに人質を確保する作戦を我らだけで行うのは困難かと……」
大剣を振り下ろし、石床に鈍い音を響かせながら、グレサスは答えた。
「……よかろう。人質を奪う際には、デュランを同行させる。」
そして低く笑みを浮かべる。
「どのみちアルバードは、我らの侵入をすでに織り込み済みだろう。
ならば、より確実に――痛みを与えるまでだ。」
修練所の空気は、剣よりも鋭い緊張に包まれていた。
ルーカスの返事に、グレサスは冷ややかに頷いた。
「ふむ。既に戦いは始まっている。だが今のところ相手の狙いは時間稼ぎに過ぎぬ。時間を与えれば与えるほど、状況は奴らの思う壺になる。理解したな?」
「はっ!」
グレサスは手を軽く振り、命じるように続けた。
「おまえたちの仕事は二つだ。一つは引き続き偵察──奴らの動向を逐一記録し、どの人物が『人質』に相応しいかを見極めること。二つ目は、その情報を元にこちらで決行ルートを組む。おまえたちの報告次第で、我らの一手が決まる。」
ルーカスは緊張と覚悟を帯びて深く頭を下げた。
「承知しました。可能な限り正確に──」
そこへ、ルーカスは一呼吸置いて付け加える。
「グレサス様、もう一つ報告がございます。アルバードにはすでに、メモリアルストーンを使った装置が各所に設置されているようです。これらをどう処理すべきでしょうか?」
グレサスは瞬間、目を細めて石の報告を受け止めた。だが、その表情には嘲笑が滲む。
「はは……記憶石か。面白い。だが心配には及ばぬ。あの石どもに仕込まれている魔法は、対して害になるものではない。アルバードを滅ぼした暁には回収すれば済むだけのことだ。今は放っておけ。」
声は軽く、しかしその言葉には延々と続く冷徹さが含まれていた。彼にとって、目先の飾りや生活を便利にする道具など──国が潰れるための本質的な障害にはなり得ないのだ。
ルーカスは一瞬、言い淀む。が、すぐに表情を引き締めて諾を返した。
「了解しました。では、こちらは引き続き動向を探り、対象を選定いたします。」
グレサスは大剣を肩に据え、修練所の床に冷たい視線を落とす。
「だが忘れるな──無用な衝突は避けろ。奴らが俄かに手を出すようなことがあれば、全ての計画が水泡に帰す。だが、我々にとって一番の利は、奴ら自身が折に触れてこちらの手を縛ってくれる点だ。苦しめ。情報を持ち帰らせ、我らが動く正確な瞬間を待つのだ。」
修練所に、鉄の匂いと共に低い緊張が残った。外では稽古の音が続くが、その音すらも、王国側の次の一手を冷たく際立たせるただの背景に過ぎなかった。
グレサスはふと笑った。
――デュランと互角か。
その言葉は、彼の胸にある絶対的な自信の裏付けでしかなかった。
「なかなか面白い連中を集めたものだな、レイズ」と、舌先だけで呟く。彼の目は修練所の暗がりを捉え、そこに潜む「獲物」をまるで既に掌中に納めたかのように見据えていた。
だが、グレサスの思考は次第に冷徹さを増す。
あの魔族――角を持ち、獅子の如き顔立ちの巨躯でさえ、己にとっては単なる取り分でしかない。標的に加える価値は十分にある。むしろ、相手の側につけ入る余地があるうちに動くべきだ、と。
「デュランを出すか……」と、口の端がさらに持ち上がる。だがすぐにその案は自らの論理で掘り崩された。デュランを前面に出せば、あの男の“顔”はすぐに割れる。ウラトスが感知して、真っ先に動いてくるだろう。策は綻びを見せる。
グレサスは一瞬、沈黙した。床に響く木刀の打撃音が、静かに彼の決断を後押しするように重なる。
「ならば──己が出るべきだな」
その一言に迷いはない。表情は硬く、しかしどこか満足げであった。成功への確信が、彼の顔にくっきりと刻まれている。
グレサスは自らの勝利を既定のものと考えていた。
「さて――ウラトス、おまえがどれだけ強くなったか楽しみだな。」
修練所に響く木刀の音を背に、グレサスは独り言のように呟いた。その声音には挑発でも焦燥でもなく、純粋な愉悦が滲んでいた。
すでに彼の中で、アルバードとの衝突は避けられぬ未来。
その中で確実に訪れるであろう戦い――ウラトスと己の一騎打ち。
彼はそれを「脅威」とは思わなかった。
むしろ長き修練の果てに、自身の刃を振るうに相応しい好敵手が現れることを待ち望んでいた。
口元に浮かぶのは余裕の笑み。
その瞳には、勝敗すらも超えた確信が宿っていた。
「俺の前に立つのなら、楽しませてくれよ――ウラトス。」
それは未来の戦いを約束する者だけが持つ、傲慢と自信に満ちた宣告であった。




