祖父の話
レイの声は、途切れ途切れでありながらも、確かな温もりを帯びていた。
「ウィズは……私がダークエルフでも、純粋に……愛してくれた……」
レイズは眉を寄せる。
(ウィズ……?)
頭の中に、知らない名前が響く。けれど目の前のレイの表情はあまりに真剣で、軽い疑問を差し挟むことすらできず、ただ耳を傾ける。
「私と……ウィズは……最初は敵だった……私は……負けて……捕まった……」
断片的な言葉。それでもレイズには十分に意味が伝わった。
――かつて魔族と人が戦い、レイは捕虜となった。だが、その中で彼女は「ウィズ」と出会ったのだ、と。
「ウィズ……私を……逃がしてくれた……それで……ウィズは……居場所を失くした……」
ぽつり、ぽつりと落ちる言葉は、過去の痛みを思わせる。
だが同時にレイズは理解する。
捕虜を逃がした者――それは裏切りとして処断される。つまりウィズは、人としての立場も地位も、全てを失ったのだ。
「私は……ウィズを……放っておけなくて……一緒に旅をしたの……」
その瞬間、レイの声色がほんのわずかに変わった。
重苦しさではなく、懐かしさを噛み締めるような響き。
「たくさん……色んなところを……見て回った……」
静かな食卓に、かすかな微笑みが宿る。
語られる過去は決して幸せばかりではなかったはずなのに、今こうして口にすると、それは確かな「思い出」として輝いているのだとレイズは悟った。
(……ウィズ。どんな男だったんだろうな……)
レイズは胸の奥でそう呟きながら、レイの語りを一言も漏らさぬよう聞き続けていた。
レイの声は、途切れがちでも、確かな想いを宿していた。
「……そんなウィズと私が授かった命……それが、セシルだった……」
レイズは思わず息を呑む。セシル――その名を聞くだけで、何か血のつながりを実感するようだった。
「けれど……セシルは……魔族の世界で生きていくには……あまりにも大変……」
言葉の隙間に滲む、母としての苦悩。
「そんなとき……助けてくれたのが……ウィズのお兄様……」
「ウィズのお兄様……?」
レイズは小さく反芻する。父の名も知らない自分にとって、それはまるで歴史の断片を掘り起こすような響きだった。
レイは静かに続ける。
「……だから……お兄様が亡くなったとき……私も辛かった……」
(ウィズのお兄さんも……亡くなったのか……)
レイズは胸の奥で呟く。
――自分の血筋に連なる人々が、次々と失われていく。
耐えかねて、問いが漏れた。
「……それで……ウィズはどうなったの……?」
その答えを聞くのが恐ろしくて、けれど知らずにはいられなくて。
レイの瞳が揺れ、声が落ちた。
「……ウィズは……殺された……王国の人に……」
静かな一言。だが、その重みは刃より鋭かった。
レイズは拳を握りしめる。
(そうか……ウィズは殺されてしまったのか……)
血を分けた祖父。もう、どちらもこの世にはいない。
――自分のおじいさまは、二人とも死んでしまったのだと。
その事実が、重く、胸の奥へと沈んでいった。
レイの言葉は、震えていた。
「……だから……そんなお兄様を……背中に抱えるレイズを見て……私は、何も言えなかった……」
レイズは目を瞬いた。
「本当は……お礼を言いたかった……」
レイは視線を伏せ、静かに続けた。
「レイズを……立派に育ててくれたことに……」
その瞬間――レイズの中で、散らばっていた欠片が一つに繋がった。
(……ウィズのお兄様……それは――)
胸の奥が熱くなる。理解してしまった。
ウィズの兄、レイの恩人。
自分を育て上げてくれた存在。
――ヴィル。
レイズの口元が震える。
あの不器用で、ぶっきらぼうで、それでも誰よりも温かかった背中。
それこそが、ウィズのお兄だったのだ。
「ヴィル……? おじいさま……?」
レイズの問いに、レイは静かに頷いた。
沈黙の中、レイズは記憶を呼び起こす。
ヴィルにレイの存在を伝えたとき――
あの厳格な男が、わずかに口元を緩めて言った言葉。
――「それは……本当に良かったです。」
レイズは瞼を閉じながら、その声を思い出していた。
つまり、ヴィルは知っていたのだ。
レイの孫が、レイズであることを。
「……そうだったんだ。」
レイズの頬を、熱い涙が伝う。
堪えていた感情が、一気に溢れ出す。
「俺は……ヴィルと、ウィズの……孫だったんだ……!」
声は震え、嗚咽が混じる。
けれどその言葉には、確かな誇りと絆が宿っていた。
レイズの脳裏に、ひとつの線が描かれていく。
ヴィルとウィズ、そしてレイ。
そこから伸びた枝が、アルバードへと繋がっていた。
「……そうか。」
彼は震える声で呟いた。
「リヴェルとセシルは……従兄弟だったんだな。
だからセシルはアルバードに引き取られ、そこでリヴェルと出会って……恋をした。
そして――生まれたのが、俺だった。」
言葉にすればするほど、その事実の重みが胸にのしかかる。
血筋が複雑に絡み合い、運命が幾重にも交わって、自分に行き着いていた。
レイズは拳を握りしめ、押し殺すように息を吐く。
「……みんな、全部……繋がってたんだね。」
その深い繋がりは、誇りでもあり、同時に重すぎるほどの悲しみでもあった。
彼はただ、その事実を受け止めるしかなかった。
「ねぇ、レイ……俺はウィズに似てる?」
レイズの問いかけに、レイははっと顔を上げた。
そして、溢れる涙を拭おうともせず、震える声で答える。
「……すごく似てる。声も、眼差しも、なにより……人を魔族を想う強さが。」
その瞬間、レイの中で抑えてきた感情が堰を切ったように溢れ出した。
彼女は静かに、しかし強くレイズを抱き締める。
レイズは驚きながらも、その腕の震えから、彼女の想いを悟った。
――レイにとって、レイズは愛した人の孫であり、恩人の孫でもある。
だが同時に、彼女はなにもしてあげられなかった自分を責め続けてきた。
その悔恨と、再び巡り会えた奇跡の喜びが、彼女の胸でせめぎ合っていたのだ。
「……ごめんね……ありがとう……」
涙混じりの声が、レイズの耳に落ちる。
レイズもまた、目頭を熱くしながらその背を抱き返す。
二人はただ、静かに泣いた。
それは悲しみと救いが入り混じった涙だった。
レイズは涙の中で、ふと気付いてしまった。
――自分の名「レイズ」。
それはきっと、レイとウィズ――二人の名を繋ぎ合わせたものなのだ、と。
偶然ではない。
彼がここに生まれ、彼として歩んできたことすべてに意味があった。
そしてようやく理解する。
なぜダークエルフたちが、初めから自分を「家族のように」受け入れてくれたのか。
それは、彼らにとってもレイズがただの人間ではなく、レイとウィズ、そしてヴィルと深く結ばれた存在――
「繋がりそのもの」だったからだ。
血と想いが幾世代を超えて重なり合い、今この場にレイズという名で結実している。
その重みを胸に刻みながら、レイズは静かに息を吐いた。
自分の歩むべき道が、より一層はっきりと見えた気がしていた。
「レイは……ウィズが大好きなんだね。」
レイは恥ずかしそうにそれでもはっきりと答えた。
「……今も、前も。ずっと好き。」
それは飾りも迷いもない、ただひとつの真実。
言葉そのものが涙のように透明で、濁りのない響きを持っていた。
――純粋。
その瞬間、レイズは悟る。
ダークエルフたちが口にする「純粋」、命をかけて誰かを想い続ける、その切実さ。
目の前のレイという存在こそ、本当に「純粋」なのだと。
胸の奥に熱が灯り、レイズは静かに目を閉じた。




