レイズより貸された物
ディアナは離れた場所から、その一部始終を見つめていた。
「……一体、皆は何を話しているの……?」
レイズが仲間たちに向かって魔法を放つ。
しかし、それは触れる間もなく霧散し、淡い光の粒となって消えていった。
「……これは……? 魔法が……消えている?」
不可解な現象に、ディアナは目を見開いたまま視線を外せない。
次の瞬間、レイズが短く何かを告げると、仲間たちは一斉に驚愕の声をあげた。
「……な、何をしているの……?」
抑えきれぬ好奇心に駆られ、ディアナはその場へ近づこうと歩み出す。
だが――。
「止まりなさい」
背筋を刺すような声が響いた。振り返れば、鋭い気配をまとったセバスが立っていた。
「……セバス殿……?」
セバスの瞳は冷徹に光り、声は低く響く。
「貴女は今、アルバードのものとして在ります。しかしそれは“王国より貸し渡された”存在にすぎません。……あそこへ近づくことは許されません」
ディアナは寂しそうに肩をすくめた。
「……確かに、私は王国の手の者です。ですが……私はレイズさんを裏切るようなことは決していたしません」
しかし、セバスは一歩踏み込み、その言葉を冷たく断ち切った。
「――あなたが裏切るか否かは、問題ではありません」
その声音に、ディアナは胸の奥に冷たい影が落ちるのを感じた。
セバスの冷たい声が、ディアナの胸に突き刺さる。
「あなたが裏切るか否かは、問題ではありません」
その一言で、ディアナは悟った。
――自分は、この場の誰からも「仲間」として見られていないのだ、と。
彼女はほんの少し、肩を落とす。
(やっぱり……私は“王国からの人質”でしかない……)
遠くで笑い合うレイズたちの姿を見つめながら、胸が締めつけられる。
彼らは絆で結ばれ、互いを信じている。その輪に入りたいと願っても、自分には決して届かない。
「私は……違うのね」
かすかに唇が震え、言葉が漏れる。
あのとき、模擬戦で命をかけて支えたはずなのに。
あのとき、レイズを守りたいと心から願ったはずなのに。
――それでも、この世界では「外」なのだ。
ディアナはわずかに微笑もうとしたが、その瞳には悲しげな影が差していた。
(……もし、私が本当に仲間だったなら……きっとセバス様も、あんな言い方はしないはず……)
背を向け、一歩、また一歩とその場を離れていく。
胸の奥に残ったのは、悔しさと寂しさ、そしてどうしようもない孤独だけだった。
だが、ディアナの胸に渦巻いた孤独と不安が最も深く沈んでいるとき──その気配を打ち破るように、レイズが駆け寄ってきた。
「あっ、こんなところにいたのか。ディアナ、セバス!」
息を切らしながらも満面の笑みで、レイズは二人に例のアンクレックを差し出す。
「セバス、ヴィルに使い方を聞け。――ディアナも、これを受け取ってくれ」
セバスは咄嗟に歯を食いしばり、鋭い眼差しでレイズを見返す。
「何故、そちらにも渡すのですか?」その声には抑えた警戒が滲む。
ディアナは戸惑いながらも、その手に置かれた薄い輪をじっと見つめる。
「これは……何のためのものなのでしょうか?」
レイズは軽口を叩くように笑った。だがその声には迷いも言い訳もなく、ただ真っ直ぐな意図があった。
「ディアナは悪い人間じゃない。それに仲間を仲間外れにはできないだろ。」
ディアナの瞳が不意に揺れる。返礼を要求されるような期待と恐れが入り混じった色だ。
「私が……王国へ戻ったら、ここで知ったことを報告します。そうすれば、これは王国側に渡るのではないでしょうか。リスクは計り知れません」
セバスはひと息で反論した。
「レイズ様、異議を申し上げます。彼女は最終的に王国へ戻る身です。ここで得た情報と品が――」
だがレイズは遮るように言う。
「だからこそ、僕は渡すんだ。ディアナのことが気に入った。真っ直ぐで、嘘がない。アルバードの一員にするって決めた、王国に戻るなら返してもらう。使い方は教える。原理は教えない。それでいいだろ、セバス?」
するとクリスが静かに近づき、低い声で言った。
「もし何かあれば、私が必ずその責任を負います。たとえ――彼女を討つことになったとしても、最後まで責任を取ると誓います」
その言葉は、冷たい覚悟を帯びていた。セバスは一瞬唇を引き結び、クリスの眼をじっと見据える。クリスの決意はただの誓いではなく、実行の覚悟そのものだった。言外に「私が盾となる」という意思が滲んでいる。
セバスは静かに息を吐き、重々しく頷いた。
「クリスが責任を取ると。……わかりました。私からヴィル様に報告しておきます」
クリスの言葉を受けて、場の空気は一段と締まった。ディアナはその覚悟に震え、しかしどこか安堵の色も見せる。レイズはやや戸惑いながらも、仲間の覚悟に胸を打たれたようだった。
ディアナは震える手でアンクレックを見つめていた。
「……これは、一体何に使うのでしょうか。セバス殿の反応を見ても、ただの飾りではないと理解しています」
レイズは肩をすくめて笑う。
「守りの力……みたいなもんだよ」
そう言って実演し、使い方を丁寧に説明する。ディアナの足首に流れ込んだ魔力は、彼女の感覚から忽然と消え去り、次の瞬間、レイズが放った魔法が霧のように散って消えた。
「……これは……? 魔法が……消えている……?」
あまりに理解不能な現象に、ディアナの手は小刻みに震えた。
「こんなもの……王国が知れば、必ず欲しがります……なぜ、私は知ってしまったの……知らない方が良かった……」
レイズはその震えに気づきながらも、軽口を叩いた。
「ああ、だから王国には言わないでくれよ。……ディアナは、俺を守ってくれるんだろ?」
その何気ない一言に、ディアナの心は激しく揺さぶられる。
「守ります」と自分が口にした言葉。それを彼は信じ切って笑っている。
――それが、彼女にとっての「信用」の意味だった。
信用を裏切ることは、自分の信念そのものを裏切ること。王国の騎士である前に、自分を支える唯一の柱を壊すことに他ならない。
目の前の青年は、無意識にその信念を尊重してくれている。
それがどれほど誇らしいことか、ディアナには痛いほどわかっていた。
だが――肝心のレイズ本人だけが、その意味に気づいていない。
グレサスは見誤っていた。
レイズという青年を――。
本来であれば、ディアナがレイズを揺さぶる存在になるはずだった。
彼女の優しさは理想を歪め、信念を揺らすはずだったのだ。
だが現実は違った。
揺さぶられているのはディアナ自身だった。
レイズの言葉、何気ない笑顔、そして無意識の信頼。
それらは彼女の心を真っ直ぐに貫き、揺らすどころか誇りすら与えてしまっている。
ディアナが揺らすはずだったレイズが、逆に彼女を揺らしている。
その事実を、まだ誰も気づいていない。
そして、ただ一人――遠くにいるグレサスだけが、計算が大きく狂い始めていることに気付いていないのだった。




