無意識の改革
レイズはリアノに介抱されながら、ふと思った。
――いつからだろう。リアノが自分の傍にいることが、こんなにも自然になっていたのは。
「なぁ、リアノ。お前はヴィル……いや、アルバードよりも俺の言葉を優先している気がするんだが、それはどうしてなんだ?」
不意の問いに、リアノは目を見開く。やがて小さく頷きながら口を開いた。
「私はヴィル様を尊敬しています。恩もあります……。ですが、レイズくんには恩だけではなく……その……」
そこで言葉が詰まる。
「なんだよ、わかんないな」
レイズは苦笑しながらも、薄々気づいていた。リアノが誰よりも自分を案じていることに。
「……メルェのことか?」
リアノは小さく微笑み、「はい。それだけではありませんが……」と答える。
「ふーん。まぁでも、なんとなくだけど……リアノが一緒にいると気が楽なんだ。なんでだろうな」
レイズ自身も理由はわからなかった。
その言葉に、リアノの頬はほんのり赤く染まる。
「それはきっと……一緒に旅をしたから。愛着……とでもいうのでしょうか」
レイズは納得したように頷く。
「そうかもな。確かにいろんなことがあったもんな」
リアノはふと、酒場での一幕を思い出す。――ドイルの言葉を肯定したレイズの姿。
“あたりまえだ” と断言した声。
胸が熱くなり、さらに恥ずかしさが込み上げる。
「そ、そうですね……いろいろありました。それに……お風呂も……」
「あっ、それは気にすんな!」
レイズは慌てて手を振った。
「あれはダークエルフの文化だ。文化に従っただけだ。……俺たちは!」
言い訳めいた声に、顔が赤くなる。
そんな空気を破るように――コン、コンと扉を叩く音が響いた。
「誰だ?」
「……ディアナです。お話ししたいことがありまして」
澄んだ女の声が返ってくる。
「ディアナ……あぁ、模擬戦の時に助けてくれた人か。入っていいぞ」
「ありがとうございます」
そう言って入室したディアナは丁寧に一礼する。
その瞬間、リアノははっとしたように立ち上がり、静かに微笑んだ。
「それでは、私はこの辺で……失礼します」
空気を読んだように退室するリアノの後ろ姿には、どこか名残惜しさが漂っていた。
「それで……ディアナさん、でいいのか?」
「はい。ディアナで大丈夫です」
落ち着いた声音で返す彼女に、レイズは小さく頷いた。
「それで、話ってなんだ?」
レイズはじっと彼女を見る。――にしても、見れば見るほど美人だな、こいつ……。そんな思いを胸の奥で隠す。
ディアナは一歩踏み出し、真っ直ぐな瞳を向けて問いかけた。
「どうして、あそこまで無茶をしてまで強くなることに拘るのですか?」
「……あー、模擬戦のことか?」
レイズは頭をかきながら答える。
「あれはヴィルが“孫の成長を見たい”とか言ってな。半ば強制で……」
「ですが、普段からあのように鍛錬されていると聞きました」
ディアナが遮るように言葉を差し込む。
「……あぁ、クリスとの模擬戦のことも知ってるのか」
レイズは苦笑する。
「まぁ、そうだな。強くならないと“守れない”からだよ」
「……守る?」
ディアナの表情がわずかに変わった。
「何故ですか? ここには強い人が大勢います。あなたが強くならなくとも、十分すぎるほどの力と環境が整っているはずです。
なぜ“あなた”が強くならねばならないのですか?」
その真っ直ぐな問いに、レイズは一瞬言葉を失う。だが、やがて静かに口を開いた。
「あいつらは確かに強い。クリスなんかは化け物じみてるよな。
だけど、そういう“力”だけの強さじゃ足りないんだ」
レイズは真剣な眼差しで問い返す。
「ディアナ……守るために必要なものって、考えたことあるか?」
「……守るために、必要なもの……」
ディアナは眉を寄せ、少し考え込む。そしてゆっくりと答えた。
「そうですね。強さだけではなく……私は“信用”が必要だと思っています」
「信用?」
レイズは首を傾げながら聞き返した。
ディアナは姿勢を正し、まっすぐにレイズを見つめ返した。
「はい。力は確かにわかりやすく、人を守る手段になります。
ですが……力だけでは、人はついてきません。恐怖で縛れば、いずれ心は離れていく。
けれど、信用は違います。誰かを信じ、信じられる関係は、力以上に人を結びつけ、強さを生むのです」
言葉に熱がこもりながらも、その眼差しは柔らかい。
「私が思う“守る力”とは、剣や魔法で傷を防ぐことだけではありません。
人を安心させ、その背中を預けさせること――そのために必要なのは、信用だと思うのです」
ディアナはそこで少し間を置き、声を落とした。
「……だから、あなたが力を求め続ける理由が“守るため”だと言うのなら……
私は、その守りに“信用”を忘れないでほしいのです」
レイズは理解したように少し目を伏せ、握った拳を見つめながら言葉を言う。
「確かにな....信用も大事だ。だが俺が守りたいのは未来なんだ。未来っていうのは……力ある者が、もういなくなったときの話だ」
ディアナは眉を寄せる。
「力ある者……ですか?」
「ぁあ。ヴィルやセバスみたいな、本当に化け物みたいに強いやつらは、いつまでも俺のそばにいてくれるわけじゃない。
俺が小さいころからずっと、あの人たちは背中で全部守ってきた。だけど……いつか必ず、その背中はなくなる」
その声はどこか苦く、同時に真剣さを帯びていた。
「だから、俺が強くならなきゃいけないんだ。
あの人たちがいない未来でも、俺が立っていれば……アルバードも、仲間も、そして――ここにいる皆も守れる。
そうじゃなきゃ、安心してあの人たちに“休んでくれ”なんて言えないだろ」
ディアナは息を呑む。
その瞳に宿るのは憂いではなく、確かに未来を見据えた光だった。
「……あなたは、既に次の世代を背負う覚悟をしているのですね」
レイズは苦笑いを浮かべる。
「覚悟なんて立派なもんじゃないさ。怖いんだよ。
大切な人がいなくなった未来を想像するのが……だからこそ、俺は準備をしておきたいんだ」
ディアナはその言葉に静かに頷いた。
「なるほど……。その未来のために、あなたは力を求めているのですね」
レイズは息を吐き、少し自嘲するように言った。
「だからこそ……俺の鍛練は、見てる人を苦しめるかもしれない。
特にディアナには、きっと辛い光景だと思う。血を吐くような訓練なんて、普通は止めるもんだろうからな」
その視線はまっすぐでありながらも、どこか申し訳なさげだった。
「でも、心配してくれる気持ちはわかるんだ。ありがたいと思ってる。
だけどアルバードは王国とは違う。
ここは、その時々の世代が“より強く”繋いでいかなきゃ、あっという間に崩壊する……強いけど脆い場所なんだ」
ディアナは静かに息を呑む。
レイズの言葉は単なる若さの勢いではなく、確かな実感を伴っていた。
「……あなたは、もうすでに“守る者”としての責任を背負っているのですね」
レイズは苦笑し、頭をかく。
「背負わされてる、って感じの方が近いけどな。
それでも……俺がやらなきゃ、って思ってる」
ディアナは胸の奥が熱くなるのを感じていた。
真っ直ぐに未来を語るその横顔に、抗えないほど心を惹かれてしまう。
だが同時に、その強さがどれほど孤独で、どれほど辛い道であるかも理解していた。
「……レイズさん」
彼女は静かに言葉を紡ぐ。
「あなたが未来を見据えて鍛え続けるその覚悟……本当に尊いものです。
けれど、それは同じくらい大きな代償を背負うことでもある。
誰かを守ろうとするほど、あなた自身が傷ついていく。
そして……あなたを想う人ほど、その傷を目の当たりにして心を痛めるのです」
レイズは黙って聞きながら、ふとディアナの揺れる瞳に気づく。
それはただの忠告ではなかった。
彼女自身の感情――レイズを想う気持ちが滲んでいた。
ディアナは視線を逸らし、ほんの少し声を震わせる。
「……私が、そうだから。
あなたが強くあろうとするほど、誇らしいのに……苦しいのです。そして長らく貴方のことをみてきた人はさらに苦しいはずです。」
レイズは少し照れたように、けれど真っ直ぐに言った。
「……ディアナは優しいんだな」
その一言に、ディアナの肩が小さく揺れる。
彼女は思わず頬を赤らめ、視線を逸らした。
「……っ。
それでは、私からの話はここまでです。
長々とお邪魔してしまい、申し訳ございません」
そう言って立ち上がると、ディアナは深く頭を下げて部屋を後にする。
去り際の背中には、まだ隠しきれない恥じらいと、どこか後ろ髪を引かれるような気配が漂っていた。
レイズは、ディアナの赤くなった頬や慌てて立ち去る姿を見ても、特に深く考えることはなかった。
むしろ「……変わったやつだな」くらいの軽い感想しか抱いていない。
彼の中には、照れや恋慕といった感情を結びつける認識がまるでなかったからだ。
だが――このやり取りこそ、グレサスが語った「ディアナの無意識の影響力」であり、
彼女と接することでレイズの価値観は少しずつ変わり始めていた。
しかし当のレイズは鈍感すぎて、その兆しに気づかない。
そしてグレサスもまた、レイズがここまで鈍感だという事実を知らなかった。
それは小さなズレだったが、やがて大きな波となって物語を揺るがしていく。




