グレサスの方向性
薄暗い会議室に、鋼のような沈黙が落ちていた。長机を取り囲む騎士たちの甲冑がわずかに擦れ合う音だけが響く──その中央に立つ男が、グレサスだった。白金の鎧は陰影を際立たせ、その額には深い皺が寄り、目は冷たく光る。
「なぜ、グレサス様――ディアナを人質にしたのですか」
声は低かったがはっきりしている。第六位、ジェイル・グラトニーが問いを投げる。彼の瞳は国の宝とも称される女を手玉に取った決断の正当性を問うていた。
グレサスはため息を一つ吐き、肩越しに室内を見回す。やがて静かに口を開く。
「理由は単純だ。ディアナしかいないからだ」
一瞬の戸惑いが辺りを走る。だがグレサスは語を続ける。声に一切の揺らぎはない。
「彼女の優しさは――それ自体が思想を歪める力を持っている。無自覚に、だ。アルバードの中で芽生えつつある“甘い理想”を、あの純真さが暴走させる。放っておけば、組織の方向性を容易に変えてしまうだろう」
第三位のリュークが前へ乗り出し、眉を寄せた。
「その『レイズという青年』が、そこまで影響力を持つのか?」
グレサスの眼が鋭くなる。言葉の端に、過去の記憶がちらつく。
「覚えているか、レオナルディオの件を――彼が破滅に向かった経緯を。あれは、ヴィルやセバスがひとりで決したことではない。レイズの意思が事態を動かした。いや、正確に言えば、彼の存在が周囲の意志を促したのだ。あの青年は人を動かす。疑問を抱かせず、従わせる力がある」
騎士たちの間にざわめきが広がる。だがグレサスは冷静に続ける。
「ヴィルもセバスも、彼の言葉に異を唱えなかった。なぜなら彼の言葉が、たとえ危険でも“正しい方向”に見せてしまうからだ。アルバードの内部から方向が変われば、我らの戦略も混乱する。だが恐ろしいのはその変化が穏やかに、気づかれぬまま進行することだ」
ジェイルが唇を噛む。リュークはさらに問いを重ねる。
「では、ディアナを人質にしたことは、彼に揺さぶりをかけるための『外科的処置』だと?」
グレサスは小さく頷いた。
「そうだ。露骨な力ずくではない。抑止と示威、それと同時に理解の糸を切るためだ。ディアナは民衆の心を掴む。その影響を断ち切り、同時にレイズに選択を迫る──我らが望むのは、彼を潰すことではない。方向を戻させることだ。だが、万が一無理ならば、手段を選ばぬ覚悟も必要だ」
会議室に重い空気が戻る。誰もが計り知れない岐路の前に立たされていることを悟っていた。リュークが最後に、小さな声で言った。
「──なるほど。彼はただの若者ではない。アルバードの軸を左右しうる、然るべき力を持っているのだな」
グレサスは短く一礼すると、立ち上がった。
「ならば我らは守るのみ。だが覚えておけ。守り方こそがこの国の命運を分ける。各自、準備を怠るな」
騎士たちは黙って頷く。外では冬木の風が吹きすさび、城壁に低く響いていた。だがその音の先には、すでに新たな戦略の影が伸びているように思えた──静かに、確実に。




