グレサスの余裕。
クリスの声が響いた。
「いい加減にしろ! おまえたちは我らを利用するだけだろう!」
その怒声は、張り詰めた空気を鋭く切り裂く。
しかし次の瞬間。
セバスが静かにクリスの腕を掴んだ。
力任せではない。ただ、それだけで十分だった。
「クリス」
短い呼びかけ。それだけでクリスは言葉を飲み込む。今は怒りをぶつける場ではない。
その意思が伝わったからだ。
だがセバスの瞳にもまた、怒りと警戒の色が宿っていた。
グレサスはそんな二人を見て鼻で笑う。
「威勢が良くなったな、クリス……いや、ウラトスよ」
その名が発せられた瞬間。空気が冷えた。
過去の名。捨て去ったはずの名。
クリスは鋭くグレサスを睨み返す。
そして静かに口を開いた。
「その名前は捨てた」
迷いはない。
「私は今、クリスだ」
さらに一歩前へ出る。
「そして、レイズ様の忠実な僕だ」
会議室が静まり返る。
その決意の重さに、誰もが息を呑んだ。
レオナルディオは薄く笑う。だがその笑みは冷たい。
まるで獲物を見定める蛇のようだった。
「なるほど」
指を組みながら頷く。
「忠誠心ですか。実に素晴らしい」
そこで言葉を切る。
「ですが、忠誠と義務は別物ですよね?」
その一言に空気が張り詰める。
レオナルディオはゆっくり身を乗り出した。
「王国はアルバードの安寧を望んでいます」
穏やかな声。
だが、その奥には毒が潜んでいた。
「共同保護という形で助力を申し出ているだけです」
そして視線を巡らせる。
「受け入れれば負担は減る」
小さく微笑む。
「拒めば……それなりの代価を払うことになるでしょう」
脅しだった。誰の耳にもそう聞こえた。
セバスが口を開く。
「我々は代価を払うつもりはない」
その声に迷いはない。
「アルバードは自らの手で守る。それが当主の責務だ」
レオナルディオは肩をすくめた。
「お気持ちは理解します」
残念そうな表情を作る。
「ですが、この世界は選択で成り立っています」
そして静かに続けた。
「王国は長い歴史と莫大な資源を持つ国家です」
笑みが深くなる。
「敵に回すのは得策ではないと思いますがね」
部屋の温度が下がった気がした。
ガルシアは苦々しく視線を伏せる。
父として。そして貴族として。
苦しい立場に置かれているのは明白だった。
クリスは歯を食いしばる。
それでも感情を抑えながら言った。
「我らが頼るのは国家の力ではない」
レオナルディオを見る。
「今ここにいる人々の信義だ」
そして断言した。
「我らの道は我らが決める」
しばしの沈黙。
やがてレオナルディオは立ち上がった。
「ならば提案しましょう」
全員の視線が集まる。
「三日です」
静かに指を三本立てる。
「三日、待ちましょう」
その声は穏やかだった。
だからこそ不気味だった。
「その間に考えを改めれば、我々は手を引く」
そして最後に付け加える。
「もっとも、その三日で状況が変わらない保証はありませんが」
誰も返事をしない。
レオナルディオは満足そうに微笑んだ。
そして踵を返す。
扉の前で一度だけ振り返った。
「最後に一つ」
その視線が全員を射抜く。
「貴方たちの選択が、未来の歴史を変えるでしょう」
そして。
「それでは」
扉が閉まる。
静かな音だけが部屋に残った。
◇
「――以上が昨日の出来事です」
セバスはそう言って息を吐いた。
室内には重苦しい沈黙が落ちる。
ヴィルは静かに目を閉じる。
長年アルバードを支えてきた老執事の表情に焦りはない。
だが、その奥には深い危機感があった。
レイズもまた黙り込む。
三日。
与えられた猶予は短い。
王国。レイバード家、アルバード。
すべての思惑が絡み合い、歯車が動き始めていた。
「……私たち、どうするの?」
イザベルが不安そうに呟く。
「それに……お父様も私のことを心配していて……」
レイズはそっと彼女の肩に手を置いた。
「選ぶのはおまえだ。」
静かな声。
だが強い。
「だが俺はおまえを守る。」
イザベルが顔を上げる。
「相手が王国でも構わない」
拳を握る。
「家名でも構わない」
そして。
「拒む理由が正しいなら、俺は断つ」
イザベルの瞳が潤む。
不安は消えない。
それでも彼女は力強く頷いた。
そして――。レイズの拳が震えた。
脳裏に浮かぶのは一人の男。
レオナルディオ。
――メルェを罠にはめた。
――魔族へ嘘を吹き込んだ。
――アルバードを混乱へ陥れた。
――イザベルまで利用しようとしている。
すべての元凶。
すべての始まり。
あの男だ。
「レオナルディオ……こんなにも早くおまえは………」
低い声が漏れる。
握り締めた拳から血が滲む。
それでも力は緩まない。
「真犯人は……レオナるディオで間違いない。」
瞳は揺らがない。
胸の鼓動だけが速くなる。
ドクン。ドクン。ドクン。
刻まれるのは一つの決意。
――俺が必ず終わらせる。
――俺が必ず裁く。
――俺が必ず、レオナルディオを討つ。
その執念は静かだった。
だが確実だった。
そしてその怒りは、レイズをさらに高みへと押し上げていく。
守るべき者たちのために。




