ヴィルのプロローグ
現時点で――いや、この大陸において最強の存在。
それがヴィル・アルバードだった。
アルバードの守護者にして最大の壁。王国であろうと魔族であろうと、その名を知らぬ者はいない。誰もがその力を認め、誰もがその存在に畏怖を抱く。だが、そのヴィル自身は誰よりも冷静に現実を見つめていた。
アルバードはすでに窮地に立たされている。
王国の思惑。レイバードの陰謀。そして積み重なっていく数々の問題。それらは水面下で静かに進行し、いずれ必ずアルバードへ牙を剥く。どれほど強大な力を持っていようと、一人で領地そのものを守り続けることはできない。その事実をヴィルは誰よりも理解していた。
だからこそ覚悟はとうの昔に決まっていた。
最後の戦いが訪れたなら、セバスと共に命を散らす。
自分たちが盾となり、その間に少しでも多くの者が逃げ延びられるようにする。クリスがいる。イザベルもいる。若い世代に未来を託し、自分たちはアルバードと共に滅びる。それがヴィルの描いていた結末だった。
だが、その未来は一人の少年によって大きく変わることになる。
レイズだった。
当主としての器を持たず、周囲からも期待されていなかった孫。弱く、幼く、自らを諦めているようにさえ見えた少年。
しかし、ある日を境にレイズは変わった。
努力を惜しまなくなった。
誰かのために怒り、誰かのために悩み、誰かのために行動するようになった。
そして何より、その成長速度が異常だった。
魔法も剣も知識も精神も、まるで別人になったかのように伸び続けている。普通なら何年もかかるような成長を、レイズは短期間で積み重ねていた。
その姿を見続けた結果、ヴィルの中から絶望は消えていった。
もはや微かな希望ではない。
未来を託すに足る確かな希望。
アルバードを任せられる存在。
そう断言できるほどの光を、レイズは放っていた。
ヴィルに迷いはない。
自らが死ぬことを恐れてはいない。
むしろ最後にやるべきことは明確だった。
王国へ示すこと。
セバスがいなくとも。
ヴィルがいなくとも。
アルバードは決して滅びないことを。
新たな当主がいることを。
その事実を叩きつけることだけだった。
そして今、ヴィルはレイズを見ていた。
怒りに震えている。
拳を握り締め、唇を噛み締めている。
もし以前のレイズであれば、ヴィルは警戒しただろう。感情に任せて暴走しないよう止めたはずだ。
だが今は違う。
ヴィルは理解していた。
レイズが何に怒り、何に悲しみ、何に苦しんでいるのかを。
その感情は偽りではない。
誰かの人生を覗いただけの人間が見せられるものではない。
自分のことだから怒れる。
自分のことだから苦しめる。
自分のことだから涙を流せる。
目の前の少年は、レイズの人生を自分自身のものとして受け止めていた。
だからこそヴィルは確信する。
たとえ何が起きていようと。
たとえ以前と変わって見えようと。
目の前にいるのはレイズではない誰かではない。
間違いなくレイズだ。
ヴィルは静かに目を細めた。
「やはり……レイズ…」
その呟きには安堵が滲んでいた。
「お前は…ちゃんとそこにいる…」
その言葉は誰にも届かない。
だがヴィルにとっては何よりも大きな意味を持っていた。
レイズではない誰かではない。
レイズが、レイズとしてここにいる。
それだけで十分だった。
脳裏に浮かぶのは自身の息子リヴェルとセシルの姿だった。
二人が愛し、繋いだ子。
そしてそれは自分にとってもかけがえのない孫。
その少年が今こうして成長し、自らの足で未来へ進もうとしている。
ヴィルは静かに息を吐いた。
胸の奥に広がる感情は戦いへの高揚ではない。
勝利への執念でもない。
ただ純粋な喜びだった。
祖父として、大切な孫の成長を見守ることのできる喜び。
その温かな感情が、ヴィルの胸を静かに満たしていた。




