夕食はお祝いですよ。
ヴィルは木刀を構える俺を一瞥すると、小さく息を吐いた。
「……では、私は仕事がありますので、ここを離れます。夕刻には食事をたくさん用意しておきますから、しっかり食べるように」
「ま、待て……ヴィル……んぬぬぬぬぬぬぬぅぅぅぅ!」
木刀を必死に抱え込んだまま、俺は全力で引き止めた。
ヴィルは足を止め、ゆっくりとこちらを振り返る。
「なんでしょう?」
「その夕飯って……今日は何が出てくるんだぁぁぁぁ!」
その問いに、ヴィルは少しだけ考えるように視線を上げた。
そして。
ほんの僅か。
口元が緩む。
「そうですね。本日は祝いの日ですから……象を一頭、こしらえようかと」
「アホかぁぁぁぁぁぁっ!!」
思わず木刀から手を離し、全力で突っ込む。
「そんなもん食べたら痩せるどころか胃袋が破裂するだろ! 頼むからヘルシーなのにしてくれ! 俺は痩せたいんだよ!」
ヴィルの眉がぴくりと動く。
そして珍しく声を張った。
「そんなことをしたら餓死してしまうだろう!!」
「しないって!」
「します!」
「しない!」
「するといっている!!」
しばらく真顔で言い合ったあと、ヴィルは諦めたように小さく息を吐いた。
「……まったく」
その呟きには呆れが滲んでいた。
けれど、どこか柔らかい。
どこか嬉しそうでもあった。
「夕刻までには終わらせなさい」
それだけ言い残すと、ヴィルは背を向けて歩き出した。
俺はその背中へ向かって叫ぶ。
「ほんとに、あんたらの感覚おかしいんだよ! 俺だけなのか!? 俺だけが普通なのか!?」
返事はない。
訓練場には俺の声だけが虚しく響いた。
やれやれ、と肩を落としながら、俺は地面へ転がった重木へ近づく。
見れば見るほど、木刀には見えない。
どう考えても重さは丸太以上だ。
「はぁ……」
深く息を吐く。
けれど、ここで諦めたくはなかった。
俺は両手で柄を握り、もう一度腰を落とす。
「んぬぬぬぬぬぬぬぅぅぅぅ……!」
全身が軋む。
腕が震える。
脚が震える。
歯を食いしばり、顔を真っ赤にしながら、ただ持ち上げることだけに集中する。
数瞬だけ浮き上がる。
そして、また落ちる。
ドンッ。
地面が小さく揺れた。
「はぁ……はぁ……」
息が続かない。
それでも俺は、もう一度柄を握る。
「んぬぬぬぬぬぬぬぅぅぅぅ!」
持ち上げる。
落ちる。
また持ち上げる。
ただ、それだけ。
剣術でも何でもない。
振ることさえできない。
それでも、昨日の俺には持ち上げることすらできなかったはずだ。
なら今日は、それだけで十分だろ…
汗が頬を伝い、顎からぽたりと地面へ落ちる。
「……あの炎といい…」
荒い息の合間に、小さく呟いた。
「みんな…絶対、俺のこと嫌いだろ……」
そう言って苦笑する。
けれど、不思議だった。
本当に嫌われている相手なら。
何度も教えたりはしない。
できるまで付き合ったりもしない。
あんな風に笑ったりもしない。
だからこそ。
ヴィルという老人が、俺には分からなかった。
主人と従者。
そう言われれば、確かにその関係なのだろう。
けれど、その距離はあまりにも近く。
そして、どこか遠い。
執事長として一線を引きながらも、その奥には家族のような温もりがある。
その違和感の正体を、レイズはまだ知らない。
ヴィルほど――この少年を愛してやまない者が、この世界にはいないということを。




