最大の侮辱。
魔族の一人が怒りを含んだ声で語る。
「イェイラの角……見ましたか?」
そう言って、魔族は自らの額に手を当てる。そこには、まだ幼い魔族にだけ生える“未成熟の角”があった。
「我ら魔族にとって、角は命そのもの。中でも“幼き角”は、次代へ繋ぐ証です。それを折られることは……死よりも深い屈辱。生きていれば成長と共に立派な角となり、その者の誇りとなる。だが、幼き角を折られて命を絶たれることは――その一族すべてへの宣戦布告と同じなのです。」
魔族たちの目が一斉に赤く揺らぐ。
「……我らは見せられたのです。血にまみれた幼き角を。『アルバードの村人どもが、これを奪った』と。」
魔族の声は震えていた。それは怒りと、深い悲しみの混ざったものだった。
「だから我らは復讐に駆られた。イェイラの無念を魔族の無念をはらすために」
レイズは魔族の言葉を聞きながら、胸の奥で静かに頷いた。
――知っている。
ゲームの中でもそうだった。
魔族にとって角は誇りであり、生きる証そのもの。
幼き魔族に芽生える“小さな角”は、やがて成長し、その者の強さと尊厳を示す大切な証になる。
それを折られるということは、命を奪われる以上の屈辱――一族全体への最大の侮辱。
「……そうか。」
レイズは強く拳を握りしめる。
メルェ――いや、イェイラは、角を折られ、侮辱され、そして命を奪われた。
ただ殺されたのではない。徹底的に辱められたうえで、最も残酷な形で葬られたのだ。
それは魔族にとって、まさしく“宣戦布告”。
怒りに燃えた彼らがアルバードを襲った理由が、レイズなら痛いほど理解できる。
レイズの顔が真っ赤に染まり、声が震えながらも凄まじい力を帯びて落ちる。
「おまえたちの怒りは――俺の怒りだ。
イェイラ(メルェ)の角を折ったやつを、俺は絶対に許さない。
よこせ。その怒りも、屈辱も、ぜんぶよこせ!」
そう言い放つと、レイズはぎゅっとこぶしを握りしめ、血でにじんだ掌を魔族たちの前に突き出した。
硬い血の匂いが風に混じり、静寂が一瞬にして場を支配する。
魔族たちの間にざわめきが走る。彼らは、血を差し出す人間の意味を知っていた――それは、ただの見せびらかしではない。
血は約束であり、痛みを共有する印だ。誓いを交わす者が、自らの肉を以て真意を見せるとき、相手はそれを敬意として受け取る。
一際大きな気配を放つ魔族の代表が、ゆっくりと前へ一歩出る。鋭い瞳が、差し出された血にじっと注がれる。
「……お前の言葉が偽りでなければ、我らはその怒りを受け取ろう」
低く、しかし確かな声。魔族の代表はそう告げると、仲間に小さく合図を送り、彼らは一様に身を低くした。
レイズの胸に、しん、とした静けさが流れる。怒りは消えるわけではない。ただ、共有されることで怒りは重さを増し、次の行動への確かな力へと変わっていった。
魔族の代表が低く唸るように問うた。
「おまえは――我らに何を差し出し、何を望むのだ?」
レイズは一瞬だけ周囲を見渡し、静かに答える。声は冷たくも熱を帯びていた。
「おまえたちの雪辱は、俺が晴らす。」
言葉に込められた重みに、森の風まで止まったように感じられた。
「だが――もうこれ以上、互いに命を失うな。おまえたちも死ぬな。人間どもも、これ以上の被害を出すな。分かるだろう、アルバードの戦力がどれほどのものかを。ヴィル一人だけではない。あの屋敷の者たちも、決してお前たちが相手にできるような者たちではない。」
魔族たちの表情が揺れる。怒りと憎しみだけで動いてきた彼らにとって、意外な提案だったのかもしれない。
レイズは続ける。拳を固く握り、掌に滲む血を見せながら――
「だから、俺がその怒りを受け取る。お前たちの憤りも、屈辱も、俺に置いていけ。お前たちは生きろ。復讐に身を滅ぼすな。そうすれば――俺が、あの真実を暴く。必ず、そいつを見つけ出して、償わせる。」
静寂の中、魔族の代表は長く沈黙した。やがてゆっくりと、重い肯定の頷きをする者が現れる。
言葉少なに、しかし確かな決意が交わされたその瞬間、冷え切った大地の上に、小さな希望の火がともったようだった。
魔族たちの目から、再び血の涙が零れ落ちた。
それは怒りだけでは測れない、深い悲嘆の証だった。彼らにとって、イェイラの受けた仕打ちは耐えがたく、許し難いものだったのだ。
だが、目の前に立つ青年――レイズの姿は違った。
彼はただ声高に復讐を叫ぶのでも、無慈悲に殲滅を望むのでもなかった。
レイズは彼らの誇りを見、彼らの怒りを受け止め、彼らの命を尊んでいた。そうした態度が、魔族たちの胸の奥にあった小さな炎を、静かに鎮めていく。
やがて、リーダー格の魔族がゆっくりと前に出る。震える声で言葉を紡ぐ。
「……わかった。おまえは、我らの誇りを理解している。怒りの意味を知り、命の尊さを説く者だ。ならば――我らは再び、人間を一度だけ、信じよう。」
その宣言に、周囲の魔族たちも静かに頷く。血の涙は止まらないが、その眼差しにはどこか救いを求める光が宿っている。
「イェイラの魂を、どうか救ってくれ。」
重みのある一言が差し出される。声には切実な願いが籠もっていた。彼らはただ復讐だけを望んでいるのではない。失われた幼き同胞の安らぎを、取り戻してほしいと願っていたのだ。
レイズはその言葉を受け取り、拳を固く握りしめる。掌に残るわずかな血が、今の誓いの証のように冷たく光った。
「わかった。必ず――イェイラの魂を、救ってみせる。」
その声は、かつての荒れた少年の叫びではない。覚悟を宿した、静かで揺るがぬ誓いだった。
魔族たちは小さく安堵の息を漏らす。そして、ひとりの者が口を開く。
「だが、約束をひとつ。おまえが真実を知ったとき、我らもまた耳を傾ける。真実を知れば、対話の道も見えてくるだろう。」
そうして、両者の間にある薄氷のような信頼が、ひとまず紡がれた。
焦燥と憤怒と悲しみの先に、ほんの少しの希望が芽生えた瞬間だった。




