レイズを受け入れるヴィル。
ヴィルはしばらく俺の顔をじっと見つめていた。目の奥に、驚きと安堵と、そして──何か柔らかいものが混ざっているのがわかる。
「よくやった、レイズ……ではなく、おまえ」
ヴィルは俺の肩に手を乗せ、ぎゅっと力を込めた。その掌の重みはほんの少しだけ、頼れる年長者めいたものを感じさせた。
「驚くことはない。別の世界から来たという話は突拍子もないが──だが、おまえがここにいて、ここで振る舞う以上、まずは現実を受け止めねばならぬ。謝る必要はない。だが、ひとつだけ覚えておけ」
ヴィルの声がまた引き締まる。
「この体は、ある家の縁者と関わりの深い者のものだ。外面での立場、関係、過去の因縁──それらは残る。おまえが誰であれ、外部は“レイズ”として扱う。軽々しく振る舞えば、そのせいで屋敷が動く。責任はおまえの肩にもあると自覚せよ」
「わ、わかりました……本当に、すみません。貴方の関係のある人の体を……乗っ取ってしまって」
俺の声は震えていた。目にはまた涙がにじむ。申し訳なさと、安堵と、まだ整理しきれない驚きが渦巻いている。
ヴィルは首を振った。
「謝る必要はない。だがまずは事実の確認だ。おまえがどれほどの記憶を持っているか、レイズとしての過去や関係者に関する情報を聞かせてくれ」
その言葉には冷徹さよりも実務的な優しさがあった。ヴィルはこの屋敷で長く働いてきた古参の執事――事情に通じ、家を守る立場の者だ。情に流されるだけでは務まらない。だが、同時に人を見捨てる男でもない。
「まず、ゆっくり話せ。可能な限り正直に。分からないところは分からないと申せ。隠し事は許さんが、無理に作り事をする必要もない」
ヴィルはそう続けると、少しだけ穏やかな表情を見せた。
俺は深く息を吐き、胸の中にある断片的な記憶を掬い上げるように話し始めた。ゲームの知識、レイズという名の役割、ここの人々に聞いたことのある断片、そして自分が来た経緯――転生のような感覚であること、レイズ本人の居場所はわからないこと。
話し終えると、ヴィルは一つひとつ頷きながら黙って聞いていた。語るたびに彼の表情は変わった──時に険しく、時に寂しげに、そして最後には決意を示すように冷静になった。
「よかろう」ヴィルは静かに言った。「まずは屋敷での立場を保て。無用な外出は厳禁だ。だが同時に、私たちで調べる。屋敷の記録、家の関係者、そして近隣でおかしな動きがないかを見てみよう。私も手を貸す」
「で、だが――」ヴィルは少しだけためらうように言葉を継いだ。「おまえが“死”を使えるという事実は、祝福にも呪いにもなり得る。だが今は、まずそれを制御し、どう扱うかを学ぶことだ。心と体を鍛え、屋敷に危害が及ばぬようにする。私が教えたのは基礎だ。さらに細かく、丁寧に――だが、安易に人前で示すな。分かるか?」
「はい……分かります」俺は胸を張って答えたつもりだったが、声は震えていた。ヴィルはそれを見逃さず、短く笑った。
「よろしい。では、今は休め。夕刻にまた来い。必要ならば相談に乗る者を探そう。だが一つ忠告しておく」──ヴィルの目が真剣になる。──「誰もが善人ではない。おまえを利用しようとする者、恐れて封じようとする者が必ず現れる。信じられる者を見極めるのも、おまえの役目だ」
その言葉を胸に、俺は屋敷の廊下をゆっくりと歩き出した。背中ではヴィルが静かに指示を出している声が続く。リアナが控えめに近づいてくる。温かい――が、どこか張り詰めた空気の中で、それは安心の綱だった。
夕刻に向けて、屋敷の影は長く伸びていく。だが、俺の心には小さな決意も芽生えていた。ここで“何か”を成し得るかもしれない。たとえそれが他人の体であっても、今はこの命を預かる者として、責任を果たしてみせる──そう、自分に言い聞かせながら。
ヴィルは静かに口を開いた。
「……おまえが悪しき者でないことは、先の鍛練で理解している」
その言葉に、俺の胸がじんと熱くなる。
ヴィルはふと目を閉じ、先ほどの情景を思い浮かべているようだった。
俺が必死に失敗を繰り返し、それでも投げ出さずに魔力を練ろうとした姿。
そして、それを叱咤しながらも丁寧に導いてくれた彼自身の姿。
「……あれは、誰が見ても師と弟子の関係だった」
ヴィルは静かに笑う。
「その真っ直ぐに学ぼうとする姿勢。私はそこが気に入った」
その言葉に、堪えていた涙が一気に溢れた。
「ヴィルさまぁぁぁぁぁ!!」
思わず叫んでしまう俺に、ヴィルは木刀の柄で床をコツンと叩いた。
「……わたしは執事長だぞ。敬称は要らん」
少し照れ隠しのように目を逸らしながら、短く告げる。
「ヴィル、と呼べ」
「……っ、ヴィル!」
俺は涙を拭いながら、その名を力いっぱい呼んだ。




