5 妬ましさから
直後、サグジの体に変化が起きた。引き締まっていただけの筋肉が足、腕、肩、体と盛り上がってゆく。美和はただ呆然と息を飲んだ。
「なるほど。だからこのような危険な場所にも拘らず、巫女を連れて来ていたということですね」
サグジが冷めた目つきで斯鬼を見つめた。
「どういうこと?」
「元からクスノキの霊力を奪うつもりだったんですよ」
「そんな!」
騙されていたのかと、美和は苦しげに顔を歪めた。だがサグジは特にこれと言った様子も見せず、巨大な狐の姿から人型へ戻った。
「どうしたらいいの」
「これ以上の指示はもらっていませんので、私には対処しかねます」
「ちょ、ちょっとまってよ!」
美和は慌てて声を上げた。抱きかかえていた遥を横へよけて、サグジの袖をつかんで止めた。
「言われてなくても対処したほうが良いでしょ!」
取り込んだ霊力を体中にいきわたらせているのか、斯鬼は息荒く呻きながら自分の拳を握りしめる。
「まあ人間にとって良いものではないでしょうね。もともと鬼というものは負、陰の存在、人間にとって悪しき者であり、恐怖される存在なんですから。封印されていたと聞いただけで、相手が人間の敵だと察することはできたはずでしょう」
「そ、それじゃ、どうしたら」
突然のことに頭が回らない。その上サグジはこの惨状を目にしていながら、この場を去ろうとしている。
「元から陰の存在に対し、何らかの手段を講じる必要はありません。ただ、力を増すだけですから」
「力を増すだけって、悪い存在だっていうのに、そんなのだめでしょ?」
「だから、わかって一緒にいるのかと聞いたはずです。鬼は人を食うんですから」
サグジの口元から大きなため息が漏れる。
斯鬼の顔つきが変わって行く、瞳が銀色に輝いて、眉の部分が盛り上がると、角が一回り大きくなった気がする。
「でも、え? ちょっと、じゃあ……」
突然のことに混乱して頭が回らない自分のこめかみを、美和は手の平で何度も叩いた。
「斯鬼は、人を食う鬼。私はそれが蘇る手伝いをしたって、ことなの」
「いえ。蘇る手伝いはしてませんよ。まだ彼の鬼核はあの切り株に囚われていますからね。あなたはただ、クスノキの力を与える手伝いをしただけです」
「鬼核?」
聞いた覚えがあると、美和は目を見開いた。
「鬼の心臓のようなものです。鬼核からクスノキが霊力を奪い続けていてくれたおかげで、彼は封印されていたんですよ」
「それじゃあ、鬼が封印されてるってわかってて、クスノキだけを殺したの!」
美和が怒って叫ぶ様子を冷たく見つめ、サグジは嘲笑うように斯鬼を見た。
「まさかクスノキの霊力を食らうなどという暴挙に出るとは思いませんでしたからね。せいぜい元の鬼に戻る程度のことだとしか思ってませんでしたし、何より大きすぎる霊力を飲み込めるかどうかは、一か八です。体が大きく変化している様子を見れば、無理が生じていることが分かるでしょう」
ごくりと息を飲んで斯鬼を見た。二回りも大きくなって人間ではなく鬼と呼ぶにふさわしい形相と化している。
「ぐわああああ」
急激な体の変化について行けず、斯鬼は咆哮を上げてその場に膝をついた。
「さあ、行きますよ」
サグジは冷たくその様子を見つめた後で、美和に手を差し伸べた。
「ど、どこへ?」
訳が分からずに差し出された手を見ていた美和だったが、サグジは手を伸ばして美和の腕を引いて体を引き寄せると、そのまま背に腕を、膝に腕を差し入れて抱き上げた。
「なにっ?」
「あなたをここへ置いてはおけません。私の仕える土地神の元へ行きましょう」
「ちょっと待ってよ! ここを出たら斯鬼をこのままに――!」
「あなたに何ができるっていうんです。あなたがいるからこそ、騒ぎが大きくなったんです。その上ここに居続ければ、この鬼にあなたの霊力まで食われてしまう可能性があるんです」
美和の言葉に苛立った言葉を重ね、呻く斯鬼の横を通り抜けてガラス窓をくぐった。
「あぐうっ」
斯鬼が美和を求めるように、手を差し出す。呼応するように地面から棘が噴き出して、壁が吹き飛んだ。
ガラスがはじけ飛び、それをサグジは袖で美和の顔を覆ってやる。だが美和には何が起こったのかわからぬまま、サグジはサッシを飛び越えて宙に飛んだ。
人ではありえない一歩の飛距離を飛び、校庭に着地する。さらに一歩踏み出すと大きく跳躍していた。
その時見えた光景に美和は息を飲んでいた。校庭には何台もの救急車がきており、多くの人間が担架に乗せられて運ばれてゆく。大きなテントが張られて、その下には搬送を待っているらしい生徒たちが座り込んでいた。あわただしく電話をする人、声を上げて指示する人。
「なんで、こんなことに」
美和は下唇を噛んだ。本当に自分がここに居たためにこんなことになってしまったのだろうか。
「止まって、下ろして!」
叫びサグジの胸を強くたたいた。だが冷ややかな瞳が見下ろしただけだった。さらに一歩大きく跳躍すると、サグジは学校から去ろうとしていた。美和はダメだとさらに強く胸を叩き、激しい痛みが手のひらを襲った。
怪我をしているのだ。強く握れば痛みに血がにじむのは当たり前だ。
「サグジ!」
ハッとして美和は傷ついている手のひらを、白いサグジの頬に向けて叩きつけた。にじんだ血が頬に擦り付けられる。
サグジが目を見開いて美和を見た。
『止まって!』
強い言霊に拘束されたサグジはすぐそばにある、銀色の防音シートが覆っている場所に放置された重機の先端に立ち止った。
「何をするんです」
琥珀色の瞳が揺らいでいるのが分かる。小鬼相手では簡単に言うことをきかせられたが、やはり大きなものにはうまくいかないのだろうか。
「何とかしたいの! 斯鬼を放っておいたら、危ない気がする」
重機の上に美和を下ろすと、サグジは傷ついている手のひらを握った。
「あなたの血は、とても魅力的です」
言うと手の平に唇を近づけた。斯鬼の時のように噛まれるのかと身を固くしたが、サグジは優しく血を舐めとっただけだった。
強くまっすぐな瞳が、怒り、困惑、不安に満ちて揺らいでいる。サグジは膨らんだ二本の尾をゆらゆらと動かすと、わずかだが笑みを向けた。
「切り株を燃やせば、共に鬼核も消滅するかもしれません」
言葉と共に尾の一本が巨大な琥珀色の炎となって生まれた。今までの青白い炎とは違い、美和にも実在する熱として肌に感じる。
「鬼核が、燃えたら、斯鬼は?」
問いかけた言葉よりも先に、サグジの炎は真下に見えてる巨大な切り株に向かって突き刺さった。
熱風が地面から沸き上がり、風が起こる。
その時、美和の居た教室の壁が、はじけるように破壊された。校庭では爆発だと叫び声が上がる。
だが美和には見えていた。巨大な土の棘が飛び出た横に、体を二回り以上も巨大化させた斯鬼が立って、こちらを見ていた。
「だめ」
ぞっとした美和の口から、自然と言葉が漏れた。何がと問いかけるサグジの琥珀色の目が美和を見た。それと同時に、サグジの体は美和と共に吹き飛んだ。
美和の体は宙に投げ出され、地面へと落下してゆく。悲鳴を上げる暇もなかった。竹の切り株が迫る。
しかし、美和は竹に突き刺さることも、地面に叩きつけられることもなかった。美和の体をあの小さな小鬼たちが固まりクッションになって受け止めていた。
「お前たち」
だが美和を受け止めただけで霊力を失ったのか、そのまま土の中に解けるように消え失せてしまう。
美和は音のする方へ顔を向けた。そこでは再び巨大化した狐のサグジと、見たこともない鬼となった斯鬼が戦っていた。
サグジは斯鬼の首に飛びかかり噛みつく。だが首が太くて歯が通らない様子だ。鬼はサグジの首から背中にかけてつかむと、そのまま勢いよく投げつけた。
ギャウゥン!
鋭い悲鳴を上げてサグジの体が地面に叩きつけられる。斯鬼は炎が上がっている切り株の方へ走った。サグジはすばやく起き上がり、斯鬼の足にかぶりついて、動きを止めようとする。
「鬼核を」
美和は息を飲んだ。斯鬼は切り株の下にあるという鬼核を狙っているのだ。
美和は斯鬼の視線がこちらを向いていないことをいいことに、切り株に向かって走った。だが炎が本物なのか、熱くて近寄れない。だが鬼核を取らねばならないと、美和は火傷を覚悟で切り株にさらに近づいた。
そこに炎の向こう側から土の棘が切り株に向かって生み出され、盛り上がった土もろとも切り株が美和の方へ倒れ込んできた。
「ひっ」
バキバキバキと根が引きちぎられる音と共に迫る巨大な炎の塊に、美和は身をすくめた。だがそれは運よく美和の横に落ちた。だが炎がスカートを焼き、熱風に肌が痛い。
「鬼核はどこっ」
美和はスカートの火を手で叩き消すと、倒れた切り株が持ち上がったほうへ回り込む。鬼核がどんなものなのかもわからない。だが美和は必死に探した。大きな砂の塊、小さな石。どれもこれもそうだとは思えない。
「触れるな」
斯鬼の声と共に、片足が千切れ腹部に穴の開いた状態のサグジが炎の真上に落ちてきた。炎がサグジを焼き、悲鳴が上がる。
「サグジっ!」
更にそこへ斯鬼が下りて来ると、棍棒で火の上に縫い止めるように前足に突き刺した。痛みと炎に激しい悲鳴を上げるサグジ。
「美和ぁ」
斯鬼の声だ。まるで別人のような姿に、うれしさをにじませた声を発した。
「ちょっと離れて待ってな」
ごくっと喉が痛いほどつばを飲み込んでいた。こちらを向いた鈍色の瞳は銀色に発色しているように見える。
「すぐ、食べてやるから」
ガアアアッウッ
サグジが方向を上げて炎を斯鬼に投げかけた。斯鬼は強靭な爪をいつの間にか持っており、その爪て炎を弾き飛ばした。その間にサグジは縫い止められている前足に、自らかじりついた。
「お。その状態でやる気なのか」
前足をかみちぎり、炎の上から脱したサグジの毛皮は焼けて皮膚が赤く露出している。前足、後ろ脚を一本ずつ失ったサグジだったが、青白い炎を生み出して手足の代わりとする。その痛ましい姿を見つめ、斯鬼は楽しげに言った。
「勝てるわけねぇだろ。俺はクスノキの力も手に入れたんだ」
言うと地面の中からクスノキが操っていた触手が、以前とは少し色を変えて現れた。
「まだ、うまく操れねぇな」
触手が一本、サグジの真下から現れ、そのまま腹部を突き通した。そのまま手足に絡みつき、完全に縫い止められた。
「そこで寝てな」
斯鬼が足をトンと言わせると、土が盛り上がって切り株に覆いかぶさった。火が煙を上げて消えてゆく。
「確か、この辺だったよな」
今は引き抜かれ土をかぶっている切り株の、もともとあった場所を斯鬼は掘り返している。
美和は肩で息をしながら、サグジにそろそろと近づいた。ピクリとも反応を見せない。だが体が消えていないところ見れば気を失っているだけだろう。
そっと手を触れる。普通の生き物のような暖かな体温は感じないが、それでもわずかなぬくもりがあるのを感じる。まだ生きている。
それよりも斯鬼が鬼核を見つけないことのほうが大事だと思った。クスノキのようにこれだけ多くの人間をまきこめるだけの力を持っているのだ。サグジの言う通り人間の敵だとすれば、放っておけない。
(けど、見つけられたとしても、どうしたいいんだろう)
処理の方法を知っているサグジは倒れた。炎で燃やせばいいにしても、手に入れた時点で即座に燃やすことができなければ、奪い取られるだろう。
「くっそ! どこにあんだよ!」
切り株があった場所を手で斯鬼が掘り返すが、土中に広がった根を幾本も引きちぎっても見つけられないでいた。いらだちと共に大きな手で土掘り返すと、真黒に焼け焦げた切り株がゴロンと転がった。
美和は足元に転がってきた巨大な切り株を見つめながら、また傷ついた手のひら見つめた。
この血をサグジに飲ませれば、また元気になるだろうか。
だがクスノキの力を得た斯鬼に勝てるとは思えない。再び同じことが繰り返されるだけだと、手のひらを握り込んで首を振った。
「くっそ!」
斯鬼が手を地面にたたきつける。力が有り余っているのか、土の棘が生まれて切り株が三つに叩き割られた。
「あれ? 美和お前泣いてんの?」
斯鬼が嘲笑ったように言葉をかけてきたことで、美和は自分が涙をこぼしていることにようやく気付いた。
「かぁわいい。なぁこっち来いよ」
嫌らしく笑い語を上げながら、斯鬼が美和を呼んだ。
美和は強く目元をふき取ると、鋭くにらみつけた。
『黙れ!』
「おっ」
言霊が斯鬼を捕えようとする。だが斯鬼は笑っていた。ほとんど効果をなしていないらしい。
「木の霊力が欲しいだけだったんだ」
「お前が欲しいと言ってほしかったか?」
喉を震わせて斯鬼は嘲笑い、言い終わると同時に声を上げてさらに笑った。
「確かに惚れてたさ。今だってお前の霊力がものすごく魅力的に見える。だが先のように俺をの心はもうつかめねぇよ。だって俺の霊力はお前を超えてるはずだからな」
言いながら指を美和に向けた。細い触手が現れて美和の肩を鞭のように打つ。
「あぐっ」
強い痛みが肩に走り、美和はそのまま地面に倒れ込んだ。
「強すぎたか。まだ加減がうまくいかねぇんだよな。おかげで、男前の姿が台無しなってんなあ」
自らの体を見回しながら、本心ではなさそうに斯鬼は楽しげに笑った。それから思い出したように土の上に倒れている美和を見た。
「それよりお前の血をサグジに飲まさねぇの? きっとすぐ元気になるぜ」
皮肉った物言いに美和は地面の土を握り込みながら体を起こすと、そのまま勢いよく斯鬼に向かって投げつけた。
「そうね、そうするわ。私を食べればサグジも強くなるでしょうし」
美和は苛立ちのままに、怪我をしている手を握ると、サグジの口元へと持っていった。だが斯鬼ががっちりとその腕を捕えた。
「てめえのその見境のねぇ霊力のばらまきは、見ててむかつくんだよ!」
「献血と同じことでしょう。自分だって、女だったら見境なくキスしてたくせに」
冷ややかな美和の視線に、斯鬼の目が吊り上がる。
「それ以外に霊力を手に入れる方法がどこにあるっつってんだよ!」
「知らないわよ! 大体そんなことどうでもいい。斯鬼がこだわりすぎてるだけでしょう!」
体が大きくなりなおさら圧迫感が強い。美和は負けるものかと背筋を伸ばし、必死に斯鬼をにらみつけた。斯鬼は細い触手をしならせて、パァンっと破裂音を立てた。美和の体がびくついたをの身て、斯鬼は引きつった笑みを浮かべた。
「そりゃこだわるだろ。俺はお前に言っただろうが」
「なにを」
「答えが分かってて尋ねるなんて、お前たち悪いよな」
斯鬼の細められた瞳が美和を見たが、急に違う方向へ目を向けて動きを止めた。




