3 協力
覆いかぶさる斯鬼の顔を強く押しのけ、美和は音がした方へ目を向けた。
閉じ込めていた透明の膜が砕け、袖で顔を覆ったサグジが飛び込んできた。
「ち。サグジか」
美和を抱いたまま斯鬼が舌打ちした。だが美和は斯鬼の胸を押して体から抜け出すと、考え込むようにサグジを見た。
「クスノキを枯らそうとしてるんだから、今のサグジは私たちの味方って考えていいのかな」
「まあそうかもしれねえけど、横取りされちまうかもしんねぇしな」
「横取り?」
何のことだを目を向けると、斯鬼は穴の開いた腹を押さえながら、体調が悪そうな顔色で肩をすくめた。
「お前、逃れたのか」
遥はサグジを前にすると動きを止めて、まじまじと見つめて吐き捨てるように言った。
「枯れてもらうと言ったはずです」
「ここは私の縄張りだ。他の土地神が手を出すな!」
遥が叫ぶと床から次々に触手が伸びて、サグジに向かって襲い掛かった。サグジは巨大な狐へと変化すると、倒れた机の上を飛び交い触手をよけて、遥へと襲い掛かった。
「やめて! 遥を傷つけないで!」
遥に巨大な前足の爪が襲い掛かり、美和は声を上げていた。だがもちろんのごとく触手が体を庇って、サグジははじかれた。
巨大な体を俊敏に動かし、触手をかいくぐって遥を傷つけようとしている。美和は飛び出そうとしたが、斯鬼にだめだと怒鳴りつけられた。
「無理だ。あいつのしっぽを見てみろよ。一本しかねぇだろ」
「遥を助けないと」
「だから、助ける必要なんかねぇって言ってんの。今のあいつじゃクスノキに勝てやしねえよ。せめて三本の尾がそろってりゃ攻撃の手もいろいろあるんだろうが、今の状態じゃ、押し返されるだけだ」
「じゃあ協力しあえばいいじゃない!」
美和は勢いに任せて発した言葉に、はっとして息を飲み込んだ。
協力していないのは、私自身だ。満足に扱えることもない霊力を持ちながら、斯鬼に分けることもためらっている。
恋愛感情がどうだとか、ファーストキスがどうだとかいうことは、あまり気にするつもりはない。つもりはないが、経験のない身としては顔を近づけてキスすることに、強い抵抗感はあった。
「美和っ」
考え込む美和の前に触手が伸びてきたが、斯鬼が抱きかかえて避ける。だが着地した斯鬼は痛みにうめき声をあげた。手足にあいた穴はほぼ塞がっているが、腹部は未だにぶれたように歪んでおり、覗けば向うが見える。
「これ、死んだりしないよね」
「これ以上何もなきゃ、死にゃしねぇが。どうだろうな」
痛みに顔を歪めた斯鬼は、目の前で触手とやり合うサグジに目を向けた。
サグジは遥に圧倒されており、防戦一方だ。さらにそこへ触手は二本増え、サグジの足が触手に絡み取られた。空中へと引き上げられるサグジ。だがサグジもまだあきらめてはいない。炎を吹き出して触手をたどるように遥へ向けた。
「ちょ、ちょっと!」
炎が遥にはじかれて、教室のあちこちに飛ぶ。このままでは燃えてしまう。焦りを覚えたのは一瞬だった。それは確かに机の上で燃えていたが、本当に燃えているわけではないらしい。
青白い炎が床を走って遥に襲い掛かる。
「いけないっ」
美和はうずくまっているクラスメイト達の元へと走り寄った。現実に燃えない炎であったとしても、どんな被害が出るかわかったものではない。
だがクラスメイトのほとんどは遥や斯鬼によって霊力を奪われ、気を失ってしまっており、移動させることは考えられなかった。
炎が飛び火する。だが斯鬼がそれを弾き飛ばした。
「何やってんだよ。この火にあたったら焼け死ぬってんだろ!」
「お願い、この子たちを外へ運んで!」
斯鬼の驚いた目がこちらを見た。そして荒っぽく顎を捕えると眉をしかめて見せた。
「いやだね。サグジが何とかするだろうし、今は逃げるべきだ」
「サグジも負けるって今言ったくせに」
嘘つきだと強くにらみつけた美和だったが、急に苦しそうにうつむいて小さく悪態をついた。
「ど、どうしたんだよ」
知らぬうちに触手か、サグジの攻撃を受けていたのかと、斯鬼が驚いて声をかけた。だが美和は怒った表情で首を振った。
「いいよ」
美和は手の怪我をまいていたハンカチの固い結び目を、歯でほどいて斯鬼の前に差し出した。差し出された手は震えていた。斯鬼は目を見開いて血の止まっている手のひらを見た。
「必要な分だけ食べて」
「いいのか?」
「何とかしたいの! 早く!」
ぐいと手のひらを斯鬼の顔に押し付けた。斯鬼は美和を一度見てから、すぐに手のひらに視線を落とし、美和の腕を引き寄せると舌を這わせた。
血は止まっていたが、透明の浸透液がしみだしている。それを強くなめとると、血がゆっくりとあふれてきた。
「いっ……」
自然にあふれて来るだけの血では足りないと、斯鬼が舌を強く傷口にこすりつけて広げてゆく。
ビリビリとした痛みが頭に走る。
「うっぐっ」
斯鬼はしっかりと美和の腕をつかみ、血を舐め取っていたが、だがゆっくりと腕の角度を変えたかと思うと小指の付け根辺りに噛みついた。強い痛みが走り手を引き抜こうとする。だが斯鬼は捕えたまま口を動かして傷口を広げた。
「いたっ、痛い! 斯鬼、痛いっ!」
深く空いた傷口から、さらに血が吸い上げられる感覚が、体中に走る。気分が突然悪くなり、美和はその場に膝をついて空いた手で胸を押さえた。吐き気がする。
「私の霊力を奪うな!」
遥が二人の様子に気付いたらしい。声を張り上げると、触手が一斉に襲い掛かってきた。だがサグジが炎の灯る手足で弾き、ひっかきちぎる。
斯鬼は目を開くと、美和の腕を強くつかんで口を放した。瞳はまだ物足りそうに傷口を見ていたが、今はそれどころではない。
離された腕を美和は胸に引き寄せると、痛みを耐えるように体を二つに折った。
「逃げるぞ」
美和がうずくまったまま見上げると、斯鬼の体にあいた穴は完全に塞がっていた。そのことに少しホッとしたが、腕を引き上げられ立ち上がらされると、腰に手を差し込まれて抱きかかえられた。
「やめて!」
荷物のように美和を持ち上げると斯鬼は有無を言わさず、結界の解けた窓の方へ駆けた。
気付いた遥が、サグジに向けている触手の半分を斯鬼へと向けた。触手が斯鬼を突き刺そうと襲い来る。だが片手で棍棒を操り弾き、反対に土の棘で遥に向かって攻撃を仕掛けた。
サグジは半分になった触手に、今だとばかりに本体に襲い掛かる。
残った触手が遥の前で壁と化し、飛びかかったサグジの爪を防ぎ、一直線に次から次へと飛び出した斯鬼の棘をも塞いだ。
斯鬼は教室内の全てを無視して、窓に手をかけるとそこから飛び出そうとした。だが逃すまいと遥が己を守っている壁もすべて捨てて、窓の下から触手を天井に向かって勢いよく伸ばした。
「ちっ、簡単には出してくれるつもりはねぇってか」
斯鬼は諦めず、わずかな隙間に棍棒を刺して土を起こすと、べきべきという音と共に隙間が大きく開いた。
「逃がしはしない」
遥はさらに触手を伸ばして逃すまいとしたが、サグジがそれを妨害した。サグジにとっても美和がこの場にいないほうが良いと判断したようだ。
斯鬼はそこへ体を滑り込まして、美和と共に教室から逃げようとした。だが抱えていた美和が壁につかまって抵抗した。
「おいっ」
舌打ちした斯鬼が美和を見下ろした途端、美和が吊り上がった瞳で言霊を吐いた。
『放せ』
斯鬼の体が強張り、手から力が抜ける。美和がすり抜けて教室に立った。
「何をしてる!」
サグジの非難がましい声に、斯鬼が怒鳴り返した。
「俺じゃねぇよ! このアホが嫌がってんだよ!」
「逃げても、逃げなくても、みんなが酷い目にあ――」
「いいえ! あなたがここに居ることが、もっとも被害を広めるのです!」
美和の声をサグジが遮った。美和は体をびくつかせて目を丸くした。
「なんで」
美和のつぶやきのような問いは、遥の触手に遮られた。新たに触手が生えて、窓を完全にふさいでしまう。廊下側の光がわずかに入るだけで、室内は夕闇に包まれているように暗くなる。
「逃してなるものか」
遥が笑う。
サグジは炎を体の周りに生み出した。炎が室内を照らす。
「おい、嫌な予感がするんだけど、もしかして、ここにある?」
斯鬼が窓から離れて美和の体を自分の後ろへ、庇うように突き飛ばした。
「その通りだ。すでに切り株にはいなかった」
「そりゃそうか。乗り移ってる間に切り株が燃やされちまえば、それまでだもんな」
サグジの答えに、斯鬼が最悪だと舌を出した。
「ちょっと、何? どういうことなの?」
「この学校全ての霊力を得ているのだ。お前たちにかなうわけがないだろう」
遥が目の前に並ぶ三人を嘲笑った。
「だが、巫女が居なければ、お前は根腐れを起こして完全に死ぬ」
サグジが唸り声を上げながら、はっきりと告げた。ぎょっとした斯鬼が抵抗する遥の体を掴んで力任せに横へ避けた。
振り返ったサグジの鋭い爪が、美和の居た場所に突き刺さっている。
「させるか」
そこへ遥の触手が飛んでくる。サグジを取り除こうと前足を捕えた。だがサグジは遥ではなく、美和を狙って炎を向けた。ごぉっと青白い炎が尾を引いて美和に向かう。
斯鬼が美和を庇い棍棒を横へ向けた。まるで棍棒から透明な膜が出ているのか、炎が弾かれてゆく。
「話を聞いて!」
美和が斯鬼に庇われながら叫んだ。だが返事はもちろんない。
「協力して!」
「無駄だって。あいつはほかの土地神の眷属なんだからな。自分らに被害がないようにするのが、一番大事なんだ」
ギャウンッ
サグジが悲鳴を上げるとともに、炎が止まる。
床に飛び散った炎が、触手がサグジの体を捕えて貫いているのを見せた。そのまま触手が大きく動き、サグジは教室の壁に叩きつけられ、床に落ちた。
ぐったりとして動きを止めている。
「美和。美和。あまり時間がないの」
遥は薄暗い中に瞳だけがはっきりと浮かび上がっていた。美和は遥をにらみつけていたが、その場から勢いよく走りだしていた。
「おいどこ行くんだ!」
ぎょっとする斯鬼の制止も間に合わず、美和はサグジの元へ走っていた。
「斯鬼だけじゃ逃げるだけで精一杯なんでしょ!」
追いかける斯鬼の後を追って、触手が追いかけて来る。斯鬼が棍棒を使って守ってくれるのをわかっていて、遥はサグジの体にしゃがみ込んだ。
「おい! 何するつもりだ!」
遥はぐったりとしているサグジの鋭い爪を掴むと、そのまま自分の手のひらにあてた。歯を食いしばって勢いよく押し付ける。鋭い爪はわずかな抵抗をもって、遥の手のひらに食い込んだ。
「ううううっ」
手を引き抜き血がしたたり落ちる。美和はその血をサグジの口に当てた。斯鬼の怪我が治ったなら、サグジも助かるはずだ。
「美和! やめろってんだろ!」
斯鬼が怒鳴り声を上げたが、そばに駆け寄るわけには行かなかった。触手をはじくことだけで手いっぱいだ。美和のすることから目を背け奥歯を強く噛むと、苛立ちのままの力いっぱい触手をはじいた。
美和の血がサグジの舌を濡らし、わずかに喉が動いた。同時にサグジがカッと目を開き、反射的なのか美和の腕にかぶりつこうとした。だが理性がそれをとどめた。
「手を、引け」
「大丈夫なの?」
「いいから離れて」
サグジは前足で美和の体押しのけると、起き上がって頭を振るった。長い毛におおわれてはっきりとわからないが、どうやら胴体に食らった穴は塞がっているらしい。
美和はしっかりと立ち上がったサグジを見ると、放れることなくその毛皮につかみかかった。サグジも斯鬼と同じく実体はないはずだが、触れると柔らかな毛並みを感じた。
「切り株にないって言ってたけど、それは遥が持ってるってことなの」
振り払おうとしたサグジの目がこちらを見た。
「それと私が一緒にいてはダメだってことだよね。私のことを苗床苗床って遥は言ってる。種か何かを持ってるってことでしょう」
「だからなんだというんです」
サグジは応戦している斯鬼を見た。斯鬼は棍棒を操り、時には地面を足で叩いて土の棘を呼び出す。霊力が満ちているのが分かる。同時に自分の体にも霊力が戻っていた。
ふと目を尾に向けると、やせ細っていた一本の尾が、豊かに膨らんだ二本の尾になっていた。
「反対に、それを奪い取れれば、遥もこの騒動も元通りになるんじゃないの」
美和の言葉を聞きながら、息を飲む。
美和の体内に満ちている霊力は凄まじい。人の体を乗っ取っただけでクスノキは、学校を支配している。それは確かに最後のあがきでもあったが、美和の体を手に入れれば、能力はさらに上がるだろう。サグジにも、斯鬼にも、そしてほかの土地神にも対応しきれないかもしれない。
二本になった尾を揺らしてサグジは美和を見た。
「何をさせたいんですか」
「それは、引きちぎれる? もしくは遥から取り出せる?」
美和の瞳がサグジをまっすぐ射すくめるように見つめた。瞳が一番霊力が透ける場所だ。サグジはわずかにたじろいで目線をそらした。
「あの人間の体を抑えられれば、おそらく」
あの六本の触手を前に、遥の体に触れるなど不可能だと、サグジは鼻で笑った。だが美和は光明を見たとばかりに笑った。
「遥を抑え込めば、取り出せるのね?」
「あの鬼でも防戦一方だというのに、出来るわけがありません。いくら巫女の霊力があったとしても、あなたはまともに力を使えないでしょう」
美和はぴんと背筋を伸ばして、斯鬼の方を振り返った。薄暗い中浮かび上がっている遥をにらむ瞳には力が満ちて、口元は決心に引き締まっていた。
「するのよ。私たちが協力し合うの」




