1 根の結界
悲鳴はさらに大きくなり、クラスの生徒たちも何事かと困惑の声を上げた。昨日のことがあったために、不安はすぐに大きくなり、気分が悪くなりうずくまる生徒もいる。
岡部先生はすぐさま廊下へ飛び出して、何が起こったのか確認してくると走り去って行った。
「来たな」
「来たって、クスノキが?」
斯鬼は美和の机の上にどっしりと腰を下ろしながら、何でもないように告げた。美和はぎょっとして、出来る限り小さな声で問いかけた。
「それ以外に何が来るってんだよ」
「こんなに大勢が居るときに来るなんて」
「何言ってんだよ。大勢いるから来るんだよ。こいつらみんな俺たちに取っちゃエサみたいなもんだぞ。お前と争って霊力が削られるのわかってんだ。補給する人間がそばに居る方がよっぽど都合がいい」
呟いた美和の言葉を聞きとめた斯鬼が、楽観的だなと笑った。
美和は斯鬼をにらみつけたが、それどころではない。あの触手がまた現れるのだ。美和はガタっと音を立てて立ち上がると、皆に向かって声を上げた。
「この場所に居るべきじゃないわ。すぐに講堂へ移動しよう」
「でも、先生は何も言ってないし」
不安に声を上げる生徒の声に、美和は何でもないように外に面した窓に向かってゆき、ガラス戸を開けると、皆に向き直って微笑んで見せた。
「安心して。大丈夫。昨日皆が倒れたときと同じ行動をするだけだよ。昨日はパニック発作だという話だったよね。狭い部屋に居るべきじゃないわ」
窓からは優しげな風が吹き込んでくる。
「美和の言うとおりよ」
同意の声が上がる。だがそれでも不安そうにしている七未を見つけると、固く握りしめている手を両手で包んで見せた。
「昨日のようにはさせない。いい? この場所にいると危ないの。お願いだから皆で校庭に移動して」
包まれた手を見てから少し頬を赤らめた七未が顔を上げて、どこか恥ずかしそうに頷いた。
「体調に問題のない人は、先生に聞いてテントを立てたほうが良いわ。長く校庭に居れば熱中症になるかもしれないし」
数人の同意が得られればあとは早い。クラスメイト達は教室から廊下へと出ると、美和の話に頷いた。
ただどうしても恐ろしさに、椅子から立てないでいる真鈴が居た。すぐに美和は真鈴のそばへ駆けつけた。
「大丈夫。きっと守るから」
「守るって、何から」
真鈴の言葉に、一瞬返答に詰まった。だがそれでも美和は平静を装うように、とびきりの笑みを向けた。
「恐ろしさから」
美和に魅入られたかのようにぼんやりとした目を向ける。美和が手を差し出すと、つられたようにその手につかまった。
「お前女たらしって言われるだろ」
のんびりとした様子で見つめていた斯鬼が、笑いながら感想を漏らす。
美和は一瞬目を向けたが、何も言わずに真鈴に視線を戻して力を入れて真鈴を立ち上がらせた。不安に満ちていた表情は落ち着いており、美和が背を押すと何の抵抗もなく廊下へと出た。
廊下へ出ると、他の教室の生徒たちも何があったのだろうかと、ざわつき見つめている。先では先生方が何かを叫んでいる。教室から出るなとか、こちらへ来るなと言った内容のようだ。だが皆のざわめきにはっきりとは聞き取れない。
美和は息を吸い込むと、通る声で皆に向かって声を上げた。
「ここに居ては邪魔になるわ。皆で講堂へ行こう。学級委員はそれぞれの担任に、講堂へ行く旨の連絡をして」
美和の声に一瞬皆が黙ったが、すぐにざわめき始めた。教師に指示されていないために、美和の言葉を疑ったのだ。
確かに移動しろとは伝えられてはいない。だがここへ触手が向かっているのなら、彼女たちを一刻も早くこの場所から、自分から遠ざける必要があった。美和はもう一度息を吸い込んだ。
「先生たちの邪魔になるから、講堂へ避難しなさい。早く!」
『すぐに移動しろ!』
思いが重なり霊体の声となって廊下に響き渡った。途端皆の視線が美和へと向いた。だがそこには驚きや、なぜという疑問は含まれていなかった。ただぼんやりと美和を見つめて、疑いをはさむことなく納得しているらしい様子に見えた。
「美和が言うなら、そうしたほうが良いんだわ」
「講堂に行こう。邪魔になるわ」
「戸隠さんってかっこいい」
「すごく男らしいよね」
「美和の言うとおりにしなくちゃ」
皆は嬉しそうに美和に笑いかけながら、講堂へ向かおうと言いだした。すでに何のために移動しているのか、わかっているのか怪しい気がする。
「なんかいつにもまして酷い気がする」
あまりにも簡単に人々が美和の意見を飲み、恋心を抱くようなうっとりとした視線を向けて来る様子に、美和自身不安に身じろぎした。
子供のころから他人、特に女性は美和のことを大事にした。幼稚園の時から女の子同士で取り合いになり、小学校では男子以上に告白された。
そのためもあってか、自分は男役が似合うのだと考えてきたが、今のこの瞬間、人々が自分の意見を丸呑みしたとき、何かが違うと気持ちの悪さを感じた。
「そりゃそうだろ。巫女に命令されりゃ、皆いちころだよ」
「で、でも私は女なのに」
斯鬼が笑い交じりに告げた言葉に、おかしいよと顔を上げた。斯鬼は満足そうに眼を細めて美和を見下ろして言った。
「目ってやつは霊力が最も透けて見えるからな。お前のような強い霊力で見つめられたら、だれでもいうことを聞くだろうさ。そこに霊的に拘束力を持たせる言霊を吐けば、ほとんどの人間はお前の思うとおりに動くだろうさ」
斯鬼は長い爪の生えた指を持ち上げると、美和の頬に触れる。親指が目尻にあてられる。このまま瞳を押し潰されそうだと思った。だが美和は身動きせずに斯鬼の瞳を見つめ返した。
(目か。確かにきれいな目をしてる)
斯鬼の瞳は今まで見た誰の瞳より、きれいだなと何気なく考えていた時、斯鬼はぷいっと怒ったように顔をそむけた。
「どうしたの?」
だが問いかけに答える間もなく、美和は背中に強い視線を感じて振り返っていた。
「は、るか」
あわただしく走る生徒や教師の間を、何事もなかったように歩いてくるのは遥だ。いつもツインテールにしているのだが、今日は髪をくくってはおらず、胸元にまで伸びた髪が歩くたびに揺れる。
「遥」
そばへと遥が近づいて来た時、美和はぎくりとして体をこわばらせた。
愛らしい笑顔をいつも浮かべているその面には、明らかな根が食い込んでいた。細かな根は皮膚の下に潜り込んで、盛り上がって奇妙な血管のような形を見せている。
どうなっているのかと、体が震えたが、すぐに助けなければと駆け寄ろうとした。そこを斯鬼が渋い顔つきで腕を掴んだ。
「クスノキだ」
告げられた途端、美和は信じられないと斯鬼を見上げた。だが斯鬼は遥の方を凝視している。
「遥!」
その姿は痛々しい。半袖から出た腕にも、少しふっくらとしたふくらはぎにも、根が食い込んでいるのが見えた。
駆け寄ろうとした美和だったが、苦渋に歯を食いしばると、強く拳を握り込んでその場にとどまった。そしてそばに立っている斯鬼に目を向けた。斯鬼は意外にも真剣なまなざしで、こちらをじっと見つめていた。
「どう、したらいい。どうしたら、遥をもとに戻せる?」
斯鬼に問うのは嫌だと思った。だが自分一人でどうにかできるはずもないことを、重々承知していた美和は、しかめっ面で問いかけていた。
「本当俺のこと気に食わねぇのな。そんな嫌そうな顔すんなよ」
美和の顔を見た斯鬼は、喉を鳴らして笑うと、ぽんと頭に手を置いた。
「俺はお前に惚れてるんだって言っただろ。もっと俺を頼れよ」
今まで見つめられても、瞳に霊力がこもっており、美和をいいように操ろうとしているのが目に見えていた。だが今向けられた笑みは、ただ優しいだけの微笑みだった。
わずかに狼狽した美和だったが、ぶるっと頭を振るうと目の前の遥に意識を切り替えた。
「じゃあ教えてよ。どうすれば遥を元に戻せるの」
「そうだな。俺と同じなら、操ってる糸を引きちぎればいいはずだけど」
「触手を引きちぎれってことね」
それならできると笑みを見せた美和を、斯鬼はさらに強く腕を掴んでとどめた。
「待てよ! なんか俺の時と様子が違う。大体霊力が昨日とは段違いだ。すごい存在感を感じるし、昨日のように簡単にちぎれるとは思えねぇよ」
確かに遥を前にして立っているだけで、押さえつけるような圧迫感を感じる。それも暗くて重い。だが目の前に居るのは間違いなく、遥の体だ。大事な幼馴染の姿だ。
「結局わからないの?」
答えになってないと美和が視線を向けると、斯鬼は意外にも肩をすくめて誤った。
「悪いな。だが基本は操っている触手を引きちぎればいいはずだ。そのために、俺も協力してやるよ」
言葉を聞くと同時に美和が駆け出そうと、床を蹴った。だがその時美和の周囲を取り囲むように、何十本もの触手が床から天井めがけて沸き上がった。
「キャーッ!」
そばに居た生徒たちが激しく悲鳴を上げ続けた。
触手は床から天井まで完全に覆い尽くし、檻となって美和を取り囲んでいた。さらに檻の中にはクラスメイトの半数近くが囚われていた。
また触手が突き出してできたこの檻は、樹皮のように硬化している上に、クラスメイト達にも壁として目に映っていた。真っ青な顔をして皆で体を寄せ合い、不安に瞳を揺らしながら震えあっている。
美和はすぐに彼女たちを庇うように前に立ち、逃れる場所はないかと目を向けた。
廊下の窓から逃げられるだろうかと、美和が視線を投げかけると、それに反応したかのように、新たな触手が横に向かって格子のように這ってゆく。
閉じ込められた。
遥の後ろが空いている。自分を囮にクラスメイトを逃そう。そう考えて皆に向かって声を上げかけたとき、あざ笑うかのように遥の背後にも触手が沸き上がり、あっという間に硬化すると道を塞いでしまった。
「私の苗床、みつけた」
遥はゆったりとした動作で歩いてくる。なぜかこの場に似つかわしいほど、すがすがしい香りが鼻につく。
遥はいつもの無邪気な笑みではなく、根が首から頭へと這いずるように食い込んだ顔で、口が裂けたような薄ら寒い笑みを浮かべた。




