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柳は緑、花は紅  作者: カブトムシ
第三章 恋は根尽《こんづ》く
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5 傷口を広げて

 少し進んで人気がなくなったのを確認すると、美和は自転車を降りてそのまま学校の壁に背をもたせ掛けた。もう少し先に校門があるのは分かっていたが、手が痛くてそれどころではない。

「まだ血が止まらないのか?」

 斯鬼が自転車を支えながら、覗き込んだ。

 ハンドルを握ったりと動かし続けていたために、血はゆっくりとだがまだ流れ出ていた。手首を片手で押さえながら、美和は傷を見るのが恐ろしいとばかりに、顔を上へと向けた。

 だが痛みにおびえている場合ではない。美和は斯鬼が押さえている自転車のスタンドを立てると、ハンカチを取り出して結ぼうとした。だが片手ではうまく結ぶことができない。

「俺がしてやろうか」

 いまだにどこか不満げに口元をへの字に曲げていたが、怪我の様子にしぶしぶ美和に手を差し伸べた。

「ちょっと血をなすっただけでしょ。いつまでも怒らないでよ」

 たかがそれだけのことでと、美和も不快だと顔を背けて、自分でハンカチを結ぼうと試みる。だが数度の失敗を斯鬼が見ていたかと思うと、手にしていたハンカチを奪い取られた。

「手、出せよ」

 してもらったほうが早いと諦めると、美和は素直に手を斯鬼の前に差し出した。険のある表情で斯鬼は傷ついた手のひらを少しの間見つめてから、一度ゆっくりと瞼を閉じて口を開いた。

「すげぇ、いい匂いする」

「汗かいてるのに」

 ぎょっとして言葉を返したが、斯鬼には聞こえていないらしかった。つかんでいる手に顔を近づけてゆくと、斯鬼はそのまま舌で傷口の血を舐めとった。

「え、えっ、え?」

 手のひらに感じる舌の生暖かい温度に、疑問も何もかも吹き飛んで、目を丸くしてただ見つめていた。ちらりと美和を見つめた視線には、わずかな欲が浮かんでおり、美和は背筋にぞっと冷たいものが走った。

「お前を全部食っちまいたいほど、惚れたって言ってるだろ」

 汚れた血を斯鬼は舌できれいにぬぐってゆく。この好意が優しさなのか、食事的な行為なのか美和にはわからなかった。ただ呆然と見つめ居た。

 周囲の血が綺麗に拭い去られた時、斯鬼はそのまま傷口の中に舌を入れた。

「いたっ」

 強い痛みが手の平から頭へと走り、美和は反射的に腕を引き抜こうとした。だが斯鬼は強い力で腕を掴んだまま、更に傷口に舌を這わした。広げられた傷口から新しい血がにじみ出る。斯鬼は口をつけて吸い付くと、ちらりと美和を見た。

「すげぇうまいよ」

 傷口から血があふれて、斯鬼の中へと吸い取られるのが分かる。同時に何かが体の中から引き抜かれるような感覚がする。背筋に泡立つような悪寒が走り抜けた。

 食べられている。

 美和の血を、霊力を斯鬼は食っていた。

「痛いっ」

 反対の手で斯鬼の顔を思い切りはたいた。勢いに斯鬼は口を放す。

「私を、本当に食べるつもりなんだ」

 手を胸に抱き寄せるように、引き戻すと怒鳴りつけた。たまたま通った女性が驚いた顔をして通り過ぎてゆくが、そんなことはどうでもいい。

「身を任せてくれりゃ、痛みもなくなって気持ちよくなるよ」

 斯鬼は美和に欲の混じった瞳を向けて、唇に残っていた血を舐めとった。

 美和は青ざめて強い嫌悪感に怒鳴りつけた。

「今すぐ私から離れて。二度とそばに来ないで!」

「いやだね。お前を全部おれのものにするまで離れない」

「探し物に協力なんかしてやらないわよ!」

 少しでも手伝ってやろうと考えていた自分が恨めしいと思った。やさしさなど霊に見せれば付け入られるだけだったのだ。

「いいよ。お前を俺のものにしてから、探すだけだし」

 言うと斯鬼は美和の後頭部に手を回し、そして髪を強くつかんだ。痛みにあえぐと口がわずかに開いて、顎がのけぞる。すぐに口づけをして霊力を奪われてしまうと気付いた美和は、近づいて来た斯鬼に対し、思い切り顎を下から上へ叩き上げた。

「ぐわっ」

 痛みに呻いて斯鬼が離れる。その瞬間を逃さず、美和は斯鬼に背を向けると、自転車のペダルに足をかけて漕ぎ出した。

 校門から先は自転車に乗車することが禁じられており、門のそばに居た守衛がこちらを見た。始業時間のチャイムはすでに鳴った後で、辛坂にはほかの生徒は見えない。

 美和は即座に降りるとそのまま自転車を押して登り始め、ふと後ろを振り返った。

 そこに斯鬼が居なくなっている。今まで何をしてもついて来ていたというのに、ようやく諦めたのだろうか。ホッと息を吐いて進行方向に顔を戻したとき、花柄のハンカチが顔に当たった。

「本当に巻いてやるから、手を出せよ」

 斯鬼はいつの間にか美和の真横を歩いており、先ほど奪い取ったハンカチを美和に差し出していた。

「いらない」

 そっぽを向いて斯鬼から去ろうとしたが、斯鬼は過ぎ去ろうとする自転車の荷台を掴んで止めさせた。

「ちょっと!」

「周りを視ろ。お前そんないい匂いさせて歩いてるほうがやばいってことわかんねぇのか」

 怒鳴ろうとした途端、斯鬼が視線を傍らの茂みに向けたことで、不満ではあったが目が自然とそちらを見ていた。

 ぎくりとした。

 よく見れば昨日は霊や精霊たちもいなくなっていたというのに、今は茂みの影、木々の裏、日の当たらない場所に隠れるようにしてたくさんのモノが存在していた。

 三角座りしているおじいさん、自分の内臓を持って木にへばりついている若者、誰かの首を持っている足のない女性。さらに鹿のような顔を三つも持った生き物、頭が二つの蛇、毛虫のような小さな精霊が枝からいくつもぶら下がっている。先ほどの小鬼もたくさんいる。地面を這う腕ほどもあるミミズのようなものも。

「なに、これ……」

「ほら早く手を出せよ」

 呆然と周囲を見回しているうちに、斯鬼が怪我をしている手を握って、ハンカチを不格好ながら結びつけた。傷口が閉められて痛みが走る。だがそれ以上に、目の前の光景に言葉を奪われていた。

 辺りの空気がねっとりと体にまとわりついて、まるで引きずり込もうとしているかのようだ。視線が自然と奥の銀色の防音シートの方へ吸い寄せられる。

 あの場所に何かがある。たくさんの霊や物の怪を引き付ける磁石のような心地だ。

「早く進めよ」

 斯鬼が立ち止まっている美和の背を押した。

「命令しないで」

 触れられるのも嫌だと手を振り払ったが、斯鬼はうんざりとした様子で、両手を上げて顎をしゃくった。

「お前、狙われてんのわかってねぇだろ」

 言われてようやく気付いた。たくさんの霊、物の怪、それらは美和の方をじっと見ていた。強い磁石のような引力を感じるというのに、なぜか美和の方を見ていた。その瞳には見覚えがあった。斯鬼が美和の傷口に舌を這わした時の、あの欲望に満ちている目と同じだ。

胸がむかつき、背筋がぞわぞわとした。

「お前の血はそれぐらいうまそうなんだよ」

 彼らは美和の血を食べたいと思っている。

 ごくっと喉を鳴らして唾を飲み込むと、急いで美和は前へと進みだした。斯鬼が自分は悪くないとばかりに、自慢げに言った。

「だから俺が目の前に差し出されて、食いたいって思ったのも当然だろ?」

 美和は振り向くと、怪我をしたほうの手で斯鬼の首を掴んだ。

「黙って」

 斯鬼が苦笑いを浮かべたのを見ると手を放して、駐輪場へと急ぐ。

 何かから自分が食べ物だとみられるのが、これほど恐ろしい物だとは思わなかった。何よりあの血を吸い取られた瞬間、体中に湧き起こる不快感。クラスメイト達はあんな思いをしていたのかと考えると、腹立たしかった。

 何より心配なのは、遥のことだ。

 クスノキに乗っ取られている可能性がある上に、あの不快感、嫌悪感にさいなまれているのかもしれないと思うと、早く何とかしてやりたかった。

 だがいったい自分に何ができるだろう。下っ端だと言われていたサグジですら、炎を操り、鋭い爪を使う。斯鬼もまた土を操り、鉄の棍棒を扱う様子からは並々ならぬ力を感じる。

 彼らのさらに上を行く土地神。その触手しか見たことはないが、斯鬼を抑え込んでいたことから、尋常ではない力があるに違いない。

 何とかできるのだろうか。

 あまりにも考えなしに行動しているのではないだろうか。いや、人でないものに対してどうすればいいかなど、誰も教えてはくれない。十六年生きてきて、自分ほど霊感がある人間には出会ったことがない。

(やっぱり、私が何とかするしかない)

 きゅっと唇を引き絞ると、美和は保健室へ行くのも忘れて、クラスの扉を開いた。

「戸隠、遅刻か」

 社会の担当であり、クラスの担当である岡部先生が、後ろの扉を開けた美和に向かって言葉をかけた。その声には強い叱責の声はない。当然かもしれない。岡部先生は美和が窓から落下したのを見ているのだ。来たことの方が驚いている様子だ。

「少し、体調がすぐれなくて、すみません」

 ぺこりと頭を下げて自分の座席へと向かう。

 その最中クラスの中をざっと見まわした。昨日の出来事があったためか、六人ほどの人数が休んでいた。そして遥の席も空席だ。

 席に着きながら、美和は眉を寄せた。

 遥の家でインターホンを鳴らしても出なかったのは、もしかすると寝込んでいたのではないだろうか。

 なぜもっとちゃんと確認しなかったのだろうか。後悔にさいなまれていた時、学校中を駆け抜けるような悲鳴が響き渡った。


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