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柳は緑、花は紅  作者: カブトムシ
第三章 恋は根尽《こんづ》く
13/23

3 巫女の血

 美和は細く息を吸い込むと、ぐっと口を閉じて、けれども言葉を発した。

『こっちにきなさい!』

 ビィンと声が頭に深く響く。その大きな霊的な声に斯鬼が青ざめたかと思うと、美和の手を握って早くこの場から去ろうと引っ張った。

「ほらみんなこっち見た。うまくいきそうね」

 辺りに散らばっていた小鬼たちが一斉にこちらを向いている。だが斯鬼は渋い顔を見せた。

「注意が向いたら、襲われるってわかってんの? あいつらの持ってる武器って霊体を傷つける力があるって知らないだろ。霊体ってのは傷つけば肉体もひきずられんの。だからああしてあいつらが攻撃すれば、諍いが起こるんだよ」

「切られなきゃ問題はないんでしょ。走るだけ走って、逃げ切ればいい話だと思うけど」

 斯鬼は片手を額に当てて、うんざりだと小鬼たちの方へ目を向けた。小鬼たちは目をぱちくりとさせている。自分たちを呼んだ声の元を探してるようにも見える。

「あいつら頭わりぃからな、おい美和早く逃げるぞ」

「なおさら、適当に巻いてしまえばいいのよ。ここは人が多すぎるわ」

「あのなあ! お前は巫女だぞ! 霊力が飛びぬけてんの」

「だから?」

 意味が分からないと首を傾げた美和に対し、斯鬼は片頬を引きつらせた。

「あの斧に切られりゃ、美和の体は普通に切り裂かれるんだよ!」

「私は霊体じゃない」

 斯鬼の声が大きいからか、もしくは美和の存在に気が付いたからなのか、小鬼たちの注意がこちらに向き始め、目だけでなく体までこちらに向いていた。

「霊体を傷つける力があるから、霊力が強ければ強いほど、過敏に反応するってわけ。美和が切られりゃ普通に血まみれになっちまうぞ」

 先ほど斯鬼がなぜ自分の指を一本失ってでも庇おうとしたのかわかった気がした。小鬼の持っている斧と言っても手のひらサイズの大きさがある。確かに当たり所が悪ければ死ぬ可能性もあるということだ。

「それ、本当なの」

 美和は斯鬼の言葉に、わずかに臆して足を後ろへと引きずった。

「お前小鬼をまけるったけどな、バカな分どこまでも追いかけて来るんだ。そう簡単に逃げられるわけねぇよ。ったくあんな奴らは、次から次に生まれるんだ。小さなことをいちいち気にすんなよな」

 目の前で人々は激しくののしり合い始めた。本来なら車の自損事故の野次馬に、これほど興奮しないだろうが、今回は違った。警官二人では対応に負えず、さらに支援を呼ぶために無線連絡している様子が目に入った。

 応援が来るならもう美和が何とかしようと思わなくていいだろうか。心が折れかかったとき。向うから車が走って来るのが見えた。小鬼たちが歩道から道路へと走ってゆくのが見える。車に乗り移る気だ。

 美和はゴクっと大きく息を飲んだ。

 道路に飛び出した小鬼たちが、車に飛び移っていく。途端車はハンドルを何かにとられたというように、やじ馬の方へと突っ込んでゆく。

「きゃあああ!」

 車が突っ込んでくる光景に、やじ馬たちが騒然となって逃げだそうと我先に走り出す。

『こっちよ!』

 美和は声を張り上げた。共に一斉に小鬼の視線がこちらを向いた。

 車は急ブレーキをかけながら歩道の植え込みの中を乗り上げるようにして突っ込み、そして横転した。野次馬の中に飛び込むことは避けられたようだ。

「俺に霊力を食わせな。そうすれば小鬼なんぞ吹き飛ばしてやる」

 斯鬼が美和を庇うように前に立ち、振り返ったときには、すでに美和は自転車で走りだしていた。小鬼たちがわらわらと声につられて走って来る。

『ほらこっちにこい』

 体の中に響く声。自分で発していても頭が痛くなる気がする、変わった声だ。けれど今は深く考えている場合ではない。あの野次馬の中から小鬼たちを引きはがさねば、更に大きな事故が起こりかねない。

 相手は小さな猫ほどの大きさの小鬼だ。自転車で走れば負けるはずがなかった。美和は学校の方へ向かって走りながら、後ろを振り返った。

 斯鬼が不満たらたらな表情で付いてくるさらに後ろ、そこに小鬼の姿はあった。だが先ほどの半分ほどしか見当たらない。

 驚いて立ち止まろうとしたとき、前方に小鬼たちが地面から生えて出てきた。

「ひっ」

 思わぬ出現に急ブレーキをかける。だが気づけば美和と斯鬼は三十匹以上の小鬼に辺りを囲まれていた。

「いわんこっちゃない」

 追いかけてきた斯鬼が、非難がましい目を向けて来る。確かに斯鬼の瞳が不満を語るように、美和には何の手立てもなかった。

 相手は小さいとは言えども手のひら大の斧を持ち、それぞれの口にはぎざぎざの鋭い牙を持っている。

 斯鬼は息を吐くと手の中に棍棒を呼び出した。昨夜よりも少しばかり細く感じられる。

「俺が抑えるしかねぇってわけか」

 小鬼が飛びかかった。斯鬼が棍棒を振り回して、美和へ飛びかかる小鬼たちを吹き飛ばした。

 サグジと戦っていた時のことを思えば、さほど強くもないのだろう。だが小鬼は力を量でカバーしているのか、次から次へと地面から這い出して来た。すでに五十はいるかもしれない。

 サグジがいくら棍棒で小鬼を迎え撃っても、数に負ける。棍棒の隙間を縫って、小鬼は美和へと飛びかかった。

 一匹の首にめがけて手を突き出し、そのまま地面へとおしつけると、美和は力を込めて握りつぶした。小鬼はうめき声を漏らし、そのまま空気に解けるように消えた。

 肩で大きく息をする。余り気持ちのいいものではないからだ。だがそうも言っていられない。美和は抜けて来る小鬼をさらに捕えて、身を守ろうとした。だがタイミングが遅かった。振り上げられた斧が、手のひらに食い込んでいた。

「っつ……!」

 手を振り払うが、斧は斯鬼が言った通り美和の肉体を切り裂いていた。斜めに裂けた傷口から血があふれて、手の平からしたたり落ちていく。

「だから、早く逃げろって言っただろ」

 逃げろと言われても周囲を囲まれており、逃げることはまず難しい。美和は傷ついた手のひらを胸元に引き寄せて、もう一方の手で覆うことしかできなかった。

 小鬼は斯鬼の棍棒の間をすり抜けて、さらに襲ってくる。足元に斧を振り上げ、跳躍して飛びかかる小鬼もいる。

 斧が美和の眼前に向かって上から振り下ろされる。斯鬼がぎょっとした顔をした。美和も体が強張った。

 ギィンと鈍い音がしたかと思うと、美和の胸に振り下ろされかけていた斧は、同じ小鬼の斧によってはじかれていた。

「え、なんで」

 理由もわからず、呆然としているとさらにもう一体の小鬼が応戦を始めた。小鬼二匹と斯鬼が手分けをするように交戦を始めた。

「なんで、どうして」

 襲ってくる小鬼と、守ろうとする小鬼が相対してようやく区別がついた。

 守ろうとしてくれる小鬼の体には、美和の手の平から流れ落ちた血が、べっとりとついていた。

 美和は深く傷ついたために、血の止まらない手のひらを開いてみた。

 強い痛みが走ったが傷を見ると、七センチほどにわたってぱっくりと裂けているのが分かる。血は手を動かすたび、湧き出してくるように流れ落ちた。

 本当にこの血の効果なのだろうか。美和は近づいて来た小鬼に自分から飛びかかった。

「おい美和っ」

 斯鬼が美和を背に庇うように戦っており、そこから外れたことを叱責するように声を上げた。だが美和はそ知らぬふりをして、斧を振り上げてこちらに向かう小鬼に手を差し出した。

 相手の斧が美和の手首を狙って振り下ろしている。美和はすぐに手を引き戻すと、斧はそのまま地面に刺さる。抜くために一動作かかる瞬間を狙い、美和は小鬼の首を掴んだ。

 小鬼は腕に噛みつこうと足をばたつかせて、大きく横に避けた口を開いた。とがったサメのような牙が見えて、背筋がぞっとする。美和は血の出た手のひらで小鬼の頭を強く押し付けた。

 痛みが走る。だがそれは怪我をした痛さであり、噛まれた痛さではなかった。そっと手を放すと、小鬼は呆けた顔をして美和を見つめていた。

「これで、大丈夫かな」

 不安だったが、小鬼の顔には攻撃的な様子はない。美和が手を放すと、小鬼は地面へ自分から降りて同じ仲間の小鬼に向かっていった。

 襲い掛かって来る小鬼に、応戦する小鬼。

 美和は斯鬼や仲間の小鬼たちに吹き飛ばされてまだ生きている小鬼を捕まえると、傷ついた手のひらをぎゅっと押し付けた。

 するとまた一匹小鬼が仲間になり、美和のために戦いだす。斯鬼が多くの小鬼を排除し、漏れて来る小鬼を血の付いた小鬼が応戦する。

 おかげで状況は好転した。

 斯鬼が最後の一匹を跳ね飛ばすのを見た美和は、疲れたとぐったりしてその場にへたり込んだ。これ以上の諍いは怒らないに違いない。これで助かった。

「くそぉっ」

 ホッとしている美和のそばで、斯鬼が棍棒を地面に突き刺し、いらだった声を上げた。

「なんだってこんなゴミみてぇな小物が美和の血を食ってんだよ!」

「え? 食われてるの?」

 目をしばたたかせて斯鬼を見ると、不快にゆがんだ視線とぶつかった。

「食ったわけじゃねぇけど、それでも美和の霊力を奪ってんのは確かだ。この俺だけのものなのに」

「別にお前のじゃないわ。それに、奪われている気は全くしないし」

 特別霊力が失われている感覚はない。傷ついた手のひらを見つめながら、痛みに顔を歪めた。

 斯鬼は美和の前へ近づくと、立ったまま見下ろした。

「お前の全部が欲しいって言っただろうが。他の奴らに少しでもお前を与えるのは嫌だ」

「私はそんなことされたくない」

 勝手な言い分だとにらみつけると、そばに居た小鬼たちも一斉に斯鬼をにらみつけた。相手を敵だと認識したのか、斧を構える。

「大丈夫だから、お前たちは帰って眠りにつきなさい」

 美和が斯鬼と小鬼たちの前に手を出すと、小鬼たちは一斉に殺気をしまい込んだ。そして美和を改めて見上げた後、するすると地面の中に解けるように消えていなくなってしまった。

 それを冷ややかに見下ろしていた斯鬼は、美和へさらに近づくと乱暴に怪我をしている方の腕を掴んで引き起こした。

 強い痛みが走ったが、美和は何も言わずに斯鬼をにらみつける。斯鬼もまた美和に挑むようににらみつけて来る。

「あのね――」

「あんた怪我してるけど大丈夫か?」

 少しの間を置いて、どうにもならないと斯鬼に対して言葉を向けたとき、突然前方から現れた六十代半ばの男性が、心配そうに顔をのぞかせていた。

「もしかしてさっきの事故に巻き込まれでもしたのか?」

 言われてみれば、他の誰にも小鬼の様子は見えていなかったのだ。今までずっと見られていたのだろうかと考えると、頬が真っ赤になってしまう。

「警察居るし、行ったほうがいいんじゃないのか?」

 男性は手を貸そうとしたが、美和は頭を大きく何度も振って大丈夫ですと引きつった笑顔を見せた。

「ならいいが。気分悪いならさっさと病院に行きなよ。そうでなくとも、最近倒れる人が多いらしいからな」

 少し不審そうな目つきだったが、相手が女子高生で自分が警戒されているとでも思ったのか、男性はすんなりと手を引いた。

「大丈夫です、本当、紛らわしくてすみません」

 美和は垣根に埋もれるように倒れ込んでいる自転車を起こすと、何度も男性に頭を下げて自転車にまたがった。

 横に立っている斯鬼を見ると、不満げにそっぽを向いたままだ。美和は軽く荷台に視線を向けて合図を送ると、しぶしぶと言った様子ながら、荷台にまたがってきた。

 美和はさらに男性に頭を下げてから、ペダルに力を込めた。


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