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柳は緑、花は紅  作者: カブトムシ
第三章 恋は根尽《こんづ》く
11/23

1 陰の気

 母親が階段を叩く音で目が覚めた。

はっとして時計を見ると寝坊してしまったことが分かる。目覚ましがどうして鳴らなかったのだと探すと、布団の中で一緒に寝ていたらしい。

 用意された朝食を急いでかきこむと、美和は自転車に飛び乗って学校へと向かった。

「なんでこんなにぐっすり眠れちゃうのかな」

 顔をしかめる。遥が乗っ取られた可能性があり、一刻も早く会わなければと考えていたというのに、実際目を覚ましてみれば遅刻ギリギリの時間だった。

 斯鬼にサグジは霊力を減らしたから、襲ってはこない。遥が乗っ取られているならなおさらクスノキが遥を守るから、サグジに襲われても心配はないと何度言われても、そわそわとしてならなかった。

「自分で寝坊とか、信じられない」

 朝早く起きて、遥を迎えに行こうと考えていたが遅すぎた。遥の家へ行ってインターホンを鳴らしても誰も出なかった。さらに遥の自転車もない。

 おそらく学校へ向かった後だ。美和はすぐにペダルに力を込めると、学校へ向かって登り坂に挑んだ。

「ふあっ、ねむ」

 斯鬼は美和よりもずっと起きるのが遅かったが、出発するときにはちゃっかり荷台に乗っていた。

 必死に立ちこぎすることで、ようやく坂の頂上へついた、これから下り坂だとホッとサドルにお尻を下したとき、美和は空気が変わったことに背筋が泡立った。

「空気が、重い。天気がいいのに曇ってる?」

 坂を下って行けば行くほど、重い空気が下にたまっているというように、ねっとりとしたものが体にまとわりついてくるようだった。

 坂を降り切る前にブレーキをかけて、美和は周囲を見回した。昨日は見なかった霊の姿が見える。

 よろめく老人の霊、足を引きずり歩く若者らしい霊、形はほぼなく足だけが歩く霊、顔をなくした霊。どれものろのろとした動作で、美和と同じ方向へ向かっていた。

「なんだか、いやだな」

 コウモリが頬をかするように飛んでゆく。だが目を向けたとき、それがコウモリではなく、鋭い牙に角を生やした物の怪だと気付いた。さらに一羽ではなく二羽三羽と続く。白いホコリのような精霊の姿も見える。

「本当に嫌な感じ」

 霊に対する恐ろしさはなかったが、なぜこれほどたくさんの霊が居るのかと、不安が胸に起こる。何より学校へ行きたくなかった。足が重くて学校に進むことを、本能的に拒否しているような気がする。

「無理に行かなくてもいいと思うけど」

 美和の心を読んだように、斯鬼が立ち止まっている美和の前に顔をのぞかせて告げた。

 遠くで始業のチャイムが鳴っている。

それでも美和は足を進められなかった。粘液が体中にまとわりついているかのような、強い嫌悪感に吐き気がする。

「お母さんになんて言い訳すればいいわけ?」

 ため息しか漏れない。子供の頃は親にも変なものが見えると話をしていたが、おそらく小さな頃の適当な作り話にしか思っていないだろう。小学生にもなれば、自然とそういう話をしてはいけないのだと感じ取っていた。

 自分が目にする世界について、話してこなかったというのに、今更親に話してみたところで、何を言っているのだと一蹴されるだけに決まっている。

「とにかく、いつも通りにいかなくちゃ」

 何よりクスノキに取りつかれているかもしれない遥のことも気になる。足に力を入れると強く踏み出す。だがなぜか、泥の中に踏み込んだ心地がした。

「ち。霊力ないって時に、きつい話だな」

 隣で斯鬼が頭をバリバリとかいた。見上げるとへの字に口を曲げた斯鬼と目が合った。

「分けてくれる?」

「口からと言うんでしょ。無理よ」

 プイとそっぽを向いて、重い足を無理に前へと進めた。

 斯鬼は少し寂しげな様子で美和の後をついて歩いていたが、すぐに気を取り直したらしく、指先で美和の肩を叩いた。

「別に口からじゃなくったって問題ないんだけど、どう?」

「口からじゃなかったらどっから摂取するわけ?」

「血とか」

 にっこりとした斯鬼の面に、美和は眉を寄せた。

「怪我しろって言ってる?」

「ちょっと噛むだけでいいからさ、霊力本当なくて困ってんだよ。俺のこと助けるとおもってさ」

 本当に分けてもらえるとでも考えているのか、斯鬼はニコニコとしている。だが美和はきっぱりと断った。

「絶対いやだ」

 その時、足に何かが当たった。思いがけない感触に目を向けると、そこには青黒い体をした、小人が居た。猫ほどの大きさで、手には斧を持って頭には一本の角が生えている。

「これ、あんたの仲間?」

 角が生えていることに斯鬼に問いかけると、斯鬼はぎょっとして手を美和の足へと差し出していた。訳が分からず美和は視線で追う。

「え?」

 足元に居た小さな小鬼が持っていた斧を振るった。斯鬼の手が美和の足首前に差し出され、斧を抑える。だが勢いがあったのか小さな小鬼に見えるが、力があるのか、斯鬼の小指が一本とんだ。

「ええっ」

 斯鬼は小指がなくなった手で、小鬼の首根っこを掴んだ。小鬼がキーっと甲高い声で鳴いた。だが両手でぎゅっとおにぎりを作るように圧縮すると、そのまま口を当ててごくりと飲み込んだ。

「うえ……」

「こりゃ、思ってるより酷そうだな」

 斯鬼はイテテとつぶやきながら手をさすっている。当然だ、指が一本斧に切り落とされたのだから。。

「だ、大丈夫なのか?」

 震える声で問いかけると、斯鬼はぎゅっと手を握ってから、美和の前で開いて見せた。五本指がある。そういえば昨日サグジに受けた体の傷もなく、今では何の怪我もないように見えた。

「指分ぐらいの霊力は回収してやったからな。とはいえ、昨日みたいにサグジが襲ってきたら、正直どうにもならねぇぞ」

「あ、なんか、まあ、よかった……」

 あのまま美和の足に斧が振り下ろされていたらどうなったのだろう。助けてくれた斯鬼をぼんやりと見上げていた時、車のスキール音が響いた。ぐらぐらと車が安定を失ったように、蛇行する。よく見れば車のタイヤ部分に、先ほどの小鬼がくっついている。斧を振り上げる姿が見え、車は美和の目の前を走り抜けて行った。

 そして、車は電柱に突っ込んだ。クラクションが鳴り続ける。

 呆然とする美和の前に、地面からまた小鬼が生えてきた。こちらを向いた顔が笑っており、鋭い牙がのぞく。そして斧を肩に背負って、トトトトトと人形のように駆け寄ってくるのだ。

 美和が体をこわばらせていると、斯鬼が正気付けるように肩を強くつかんだ。

「踏みつぶせ!」

「え、でも」

 たじろいでいる間にも小鬼が近づいてくる。斯鬼は舌打ちすると、近づいて来た小鬼を自ら踏みつけた。グエっと低いうめき声が聞こえて、潰れた。青臭い匂いがする。

「走り抜けろ」

 美和は斯鬼の声に、自転車を押してその場から走り出した。

「なんなの、なんなのあれ!」

 目の前でシルバーカーを寄りかかるようにして押し進む年寄りが居た。小鬼が荷台に上がり、さらにとってにまでよじ登っているのが見えた。

 美和はぎょっとして急いだ。小鬼が斧をお年寄りの顔めがけて振り下ろそうとしている。間に会えと願いながら、自転車を突き飛ばしてシルバーカーへ飛びかかって、小鬼を叩き落とした。

「いったい何なの!」

 お年寄りはぎょっとして、怒りもあらわに美和を見た。当たったわけではないが、まるで平手打ちでもしに来たように見えただろう。本当のことを説明できるはずがない。美和はすみませんと深々頭を下げた。

 先ほどの車の事故で人がさらに集まって来る。それと同じように、小鬼がタケノコのようにひょこひょこと顔をのぞかせる。

 美和は潰さなくきゃと捕まえに走ろうとしたが、斯鬼に腕を掴まれた。

「無駄だ」

「でもこの小鬼が事故を起こしてるんだよね」

 斧を振り上げる恐ろしい姿に、美和の表情は真っ青だった。だが目の前に見えている小鬼の姿は十を下らない。さらに数は増してゆく気配すらある。

「陰の空気に誘われてきているから、一体二体潰したところで、どうにもなりゃしねぇよ」

「どうしたらいいの。こんなの――」

 美和は振り返ると斯鬼の胸ぐらをぐいとつかみ、強く問いかけようとした。だがその目にたくさんの野次馬が集まり、小鬼たちが歩道から次々と現れるのが見えた。

小鬼たちは足を切りつける。体に上って肩を切り付け、胸をえぐる。するとされた人間は必ずその部位に、異変が起こった。足を踏まれる人、肩が当たったと胸を突き飛ばされて騒動が起こる。

 ただの野次馬ではなく、全体的に殺気立っているのが分かる。理由を知っているのは美和だけだ。だが美和には見えるだけの力しかない。

 サイレンが鳴り響き、救急車の鳴る音が聞こえて来る。

「そういえば、昨日はスーパーで人がたくさん倒れたんでしょ」

「ここの学校でもって話よ」

「変なことが続くもんですねぇ」

「新しい病気とかじゃないといいですけど」

 人々がひそひそと話す声が聞こえ、さらにそこへ怒声が加わる。

「なにぶつかって来てんだよ! クソが!」

「そっちが先に足を踏んだくせに!」

「うるさい! だまってよ!」

「鞄を取られたわ!」

 人はさらに集まり、パトカーのサイレンが騒がしい。美和が斯鬼の胸ぐらをつかんでいる仕草は、どう考えてもおかしな格好のはずだったが、やじ馬たちは騒動に目を向けており、美和がなにもない場所を見上げていることをおかしいとは思わない。

「くそっ」

 美和は言葉汚く吐き捨てた。原因が自分には見えているのに、何をしていいのかわからなかった。

「何とかできないの!」

 自転車のハンドルを握るしかできない。だが斯鬼が目の前の光景を見ながら、にやりと笑って見せた。

「方法は二つ。一つは俺に霊力を与える。もう一つはお前がここに居る小鬼たちを支配するかだ」

「そんな方法、私が知るわけないでしょう」

 わかっていて提案した斯鬼をにらみつけた。斯鬼は明らかに霊力を与えろと言っている。だがその方法は二つ。口を重ねるか、体に傷をつけて血を飲ませるかだ。

 そばでは斯鬼が美和の行動を見つめながら、舌なめずりしたのが見えた。

「食わせてくれんの?」

 そっと囁くような斯鬼の声に、嫌悪感が起こる。

だが他に方法がない。そう思ったとき、ふいに昨夜のことを思い出した。


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