↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
獣の旅路と香りの地図  作者: sakumaaa
夜行性魔物の昼行

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

17/20

運ぶのは荷車じゃなかった

 白い毛一本あれば、獣人を疑うことはできる。


 簡単に、だ。


 だからこそ、してはいけない。


「狼系の毛には見える」


 ミレアは洗った髪を、火のそばで乾かしながら言った。湿った毛先から湯気が細く立ち、石鹸の残りと燃えた薪の匂いが同じ空気に乗っていた。


「白い毛の一族は共同林にいる。巡回で旧道へ来る人もいる」


「人名は」


「今は出さない」


「正しい」


「疑わないからじゃないよ」


 ミレアがこちらを見た。火の熱で乾きかけた髪が肩へ落ち、左肩の傷を隠す布の端が少し動いた。


「毛があたしたちのものでも、違っても、付いた順番は同じでしょ」


 白い毛。


 その外側へ絡んだ菌糸。


 さらに上から重なった、果樹畑の新しい樹脂。


 少なくとも三つの時間がある。毛は、最初から菌床にあったものではなかった。どこかで菌糸へ触れ、そのまま別の樹脂傷へ触れた。


「誰の毛かより、何が運んだか」


「それを分ける」


 俺は白い毛を硝子板へ固定した。反対側には、果樹畑で回収した夜走り鼠の黒い毛。もう一枚には、宵灯蛾の羽粉。どれも菌糸へ触れた痕跡がある。違うのは、その後に重なった樹脂だった。


 白い毛には、果樹の青い樹液。


 鼠の背には、古い針葉樹の樹脂と果樹の樹液が二層。


 宵灯蛾の翅には、さらに湿った沢木の樹脂が薄く重なる。


「一か所じゃない」


「身体につけたまま、別の木へ行ってる」


「人が塗って回った可能性は?」


「残る。ただ、塗った後に鼠と蛾も増やしてる」


 原因を作った手と、道を伸ばした身体は同じとは限らない。そこを一つにすれば、また間違える。


     ◇


 夜のうちに、ナージャが支局へ来た。北の共同林から持ってきたのは、白い獣毛の付いた巡回外套だった。


「切っていい場所は印を付けた。そこ以外は駄目」


 布の端へ、白い糸が結ばれている。


「着ていたのは?」


「共同林の白狼系巡回者。昨日、外周を回った。本人が比較に出すって」


「症状は」


「ない。昼に眠くなったり、森へ向かいたくなったりもしてない」


「なら、毛だけで行動は変わらない」


 ミレアが言った。


「最初から獣人を動かす匂いじゃないよ」


 俺は採取同意の印を確認し、指定された端だけを切った。近い空気に入ってきたのは、白い毛そのものより先に、乾いた草と、共同林で使う苦い防虫油だった。白い毛の外側には、ごく細い菌糸が絡んでいた。洗い落とした毛とよく似ている。だが、同一人物かどうかを決められるほどの特徴はない。


「共同林の誰かが菌糸へ触れた可能性はある」


 俺は記録する。


「設置した証拠ではない。運んだ時刻も意図も不明」


 ナージャが文字を追った。


「その順番なら、名前を残していい」


「不利な記録になるぞ」


「消したら、次に白い毛が出た時、誰かが勝手に犯人を作る」


 第一章で、ナージャが試料の出所を記録させた時と同じだった。誰の側にある証拠かと、誰が原因かは別だ。


 俺は報告欄を一行増やした。


 ――共同林巡回者の外套に、同系統の菌糸片が付着していた可能性。


 ――故意の設置を示すものではない。


「あたしたちも書く」


 ミレアが、自分の除染記録を指した。


「果樹畑から小屋まで運んだ。途中で新しい木へ触れなかっただけ」


「共同調査者二名も、付着後の運搬者になった可能性あり」


「それでいい」


 自分たちだけを記録の外へ置かない。それが、他人を疑う前の条件だった。


 エッダは、完成した共同報告をすぐには受け取らなかった。机の上で用紙の端だけを押さえ、白狼系という推定の行を見たまま動かない。


「白狼系という推定を残す必要はありますか」


「あります」


 俺が答える前に、ミレアが言った。


「消したら公平に見える。でも次に同じ毛が出た時、最初の記録と比べられない」


「集落側への影響は」


「ある」


「それでも?」


「だから、故意じゃないことも同じ行へ書く」


 エッダが今度は俺を見る。


「調査官の見解は」


「獣人由来の可能性を隠すのも、獣人が設置したと読める書き方をするのも、同じくらい危険です」


 俺は付着順の図を報告書へ添えた。毛。菌糸。別地点の樹脂。言葉だけなら疑いへ寄る。順番を見せれば、少なくとも「毛の持ち主が最初に菌を植えた」とは読めない。


「事実だけでは足りないこともあるんですね」


 エッダが言った。


「事実の並べ方で、別の話になります」


 昔の俺なら、匂いの名前だけを書いていた。今は、それがどこへ付き、何の上へ重なったかまで残す。


 ミレアが俺の横から報告書を読み、最後の一行へ自分の署名を置いた。肩が近いのは、用紙の端を共有しているからだ。乾ききらない髪から、石鹸と火の匂いがまだ残っていた。分類は済んでいる。あとは、この書き方が現場に戻せるかどうかだけだった。


「これなら共同林へ持っていける」


「反発は?」


「あるよ。でも、都合の悪いところを抜いた報告よりまし」


     ◇


 翌朝。


 俺たちは旧道の分岐へ戻った。人の道を追うためではない。夜走り鼠と宵灯蛾が、普段どこを通るかを見るためだ。


 ミレアが生活圏を地図へ落とす。


「鼠は石垣から沢。蛾は沢木から果樹畑。白狼の巡回路は、この外側」


「重なる場所は」


「三つ」


 一つ目は、沢の水場。


 二つ目は、果樹畑北端の石垣。


 三つ目は、共同林手前の古い樹脂溜め。


 地図だけでは足りないため、最初の水場まで実際に追った。夜走り鼠の爪跡は、泥の縁で一度途切れる。反対岸の低木に黒い毛。その毛には、旧道の乾いた針葉樹脂が付いている。さらに十歩先の沢木には、新しい菌糸。


 人が渡ったなら、泥へ靴跡が残る深さだった。あるのは小さな爪跡だけ。宵灯蛾の羽粉も、沢木の高い枝へ続いている。


「ここは、あたしでも夜に渡りたくない」


 ミレアが増水した流れを見た。水しぶきが冷たく、岸の泥は靴底を吸う。


「人が種を持って回る道じゃない」


「回れないとは言わない。だが、魔物が運んだ方が説明は少なくて済む」


 断定ではない。ただ、人の足を想定しなければ届かない場所が、一つずつ減っていく。


 人の道なら、最短距離を線で結ぶ。地図の点は違った。低い石の隙間を好む夜走り鼠は、斜面を迂回する。宵灯蛾は水場と花のある空間をつなぐ。二つの線が重なる場所だけ、菌床の匂いが強い。湿った樹皮と、温められた樹脂だ。


「荷車じゃ、この道は通れない」


 俺は沢沿いの狭い獣道を見た。車輪幅どころか、人が荷を背負って歩くのも難しい。それでも、手の届かない枝には新しい菌糸が育っている。


「最初の種は、人が置いたかもしれない」


 ミレアが言う。


「でも今、道を伸ばしてるのはこの子たち」


 足元を、夜走り鼠が一匹通った。今日は日が低いためか、足取りは昨日よりましだ。背の毛には、青灰色の粉。鼠は沢木の傷へ身体を擦り、そのまま石垣の方へ消えた。


 地図へ新しい点を足す。


 点は、人間の道から外れていた。


 一つ。


 また一つ。


 夜走り鼠の巣と、宵灯蛾の休む木を結ぶように増えていく。


 誰かが森へ道を引いたのではない。


 植えられた最初の夜を。


 魔物たち自身が――生活圏いっぱいに運び始めていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。