↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
獣の旅路と香りの地図  作者: sakumaaa
夜行性魔物の昼行

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

13/20

影を作っても、夜にはならない

影を作れば、夜走り鼠は眠る。


 そう決めるには、さっきの一匹は都合がよすぎた。


 疲れ切って、たまたま倒れただけかもしれない。


 森鷹から隠れたくて、暗い場所を選んだだけかもしれない。


 白い糸と鼠の歩き方が、同じ原因だともまだ言えない。


「影を増やす」


 俺が言うと、ミレアは空を見た。


「日が動くよ」


「動くから比べられる。日向と日陰。温かい傷と冷やした傷。一度に混ぜない」


「あたしの左腕は?」


「数に入れない」


「戦力外って言い方、もう少し柔らかくできない?」


「右手だけ貸せ」


「採用」


 旧樹脂採取道に残る傷を、四本に絞った。


 一本目は、白い糸が見つかった傷。


 二本目は、そこから十二歩先。青灰色の粉はあるが、夜醒苔に似た匂いは弱い。


 三本目は、同じように日を受けていながら、粉のない傷。


 四本目は、はじめから木陰にある古い傷だ。


 条件を一度に増やせば、何が効いたのか分からなくなる。


 まずは光だけを切る。


 俺は一本目の前へ遮光布を張った。


 片側を枝へ結び、もう片側をミレアが右手で支える。


 白い糸を傷つけないよう、布は幹から浮かせる。


 傷だけが影へ入った。


 五分。


 十分。


 冷えた苔の匂いは、すぐには落ちない。


「影になっても、まだ夜」


 ミレアが言う。


「影そのものが止めてるわけじゃないな。ただし影は冷える。光だけ切ったつもりでも、温度まで一緒に動いてる」


 遮光布を外し、同じ傷を日向へ戻した。


 次は光を残したまま、温度だけ下げる。


 濡れた布を傷の周囲へ巻く。白い糸には触れない。水が蒸発する時の冷えだけを使う。


 しばらくすると、夜の匂いが薄くなった。


 逆に、四本目の木陰へ湯で温めた石を置く。


 石と樹皮の間には乾いた板を挟み、水分は移さない。


 何もなかったはずの木陰から、温まった樹皮と、青い苔に似た匂いが立った。


「少なくとも、影だけじゃない」


「温度は効いてる」


「夜の匂いなのに、温まると出る」


 自然なら逆のはずだった。


 夜醒苔は、日が落ちて空気が冷え、沢の湿り気が戻る頃に匂いを強くする。


 この白い糸は、真昼の熱で同じ合図を出している。


 俺は記録板へ線を引いた。


 光、保留。


 湿度、保留。濡らした布は温度以外も動かす。


 温度、相関あり。


「丸は?」


「まだ条件が少ない」


「出た。調査官のけち」


「同じ温度で三回取ったら考える」


「じゃあ、日が動く前に急ごう」


     ◇


 日差しは、俺たちの都合では止まらない。


 四本目へ移る頃には、木陰が道の半分まで伸びていた。


 布を張り直すには、低い枝の下へ潜る必要がある。


 俺が先に入った。


 ミレアが続く。


 左肩を枝へ当てないよう身体をひねったせいで、狭い影の中ではほとんど背中合わせになった。


「もう少し前」


「傷へ近づきすぎる」


「じゃあ右」


「右はお前の尻尾だ」


「踏んだら噛むよ」


 避けようとして、肩が触れた。


 ミレアの外套は午後の陽を吸って布ごと温かく、朝つけた薬草はもう薄い。その下から、長く歩いた汗を吸った裏地の匂いが、狭い影の中へ一瞬だけ入ってきた。


 記録する対象ではない。


 そう分けた後に、普通に魅力的な女がすぐ隣にいるという事実だけが一拍残った。


「カイル」


「何だ」


「息、浅い」


「枝が胸に当たってる」


「あたしは何も言ってないけど」


「布を持て」


「はいはい」


 ミレアは笑ったものの、それ以上は追わなかった。


 右手で布の端を押さえ、傷へ視線を戻す。


 俺も温めた石を置く。


 仕事へ戻るのが、少しだけ早かった気がした。


 木陰の傷も、温めれば匂いを出した。


 日向の傷も、冷やせば匂いが弱くなる。


 繰り返すたび、同じ結果になった。


 そこで初めて、温度の欄へ丸をつけた。


 だが、白い糸が匂いを出すことと、夜走り鼠を歩かせることは、まだ別だった。


 一時保護していた鼠は、遮光布の下で眠っている。


 俺たちは鼠を動かさず、布の外側へ薄い板を二枚置いた。


 左は、温めた樹脂片。


 右には、同じ木から取った粉のない樹脂片を、同じように温めて置いた。


 距離は同じ。


 風上にも風下にも寄らないよう、風が止まるのを待つ。


「起こすの?」


「起きた時にどちらを向くか見る。起こすためには使わない」


「起きなかったら」


「今日は眠らせる」


 正しい結果のために、魔物を無理に働かせる気はなかった。


 半刻ほどして、小枝が倒れた。


 鼠が自分から布の外へ鼻先を出す。


 最初に顔を向けたのは、温めた樹脂片だった。


 一歩近づく。


 だが、昼の光へ目を細め、また影へ戻った。


「匂いは拾ってる。でも身体は昼だって分かってる」


 ミレアの声が低くなる。


「命令じゃない。巣を出る合図だけ、何度も聞かされてる」


「だから眠りたいのに歩く」


 鼠が選んだ距離と、戻った時刻を記録する。


 温めた樹脂片はすぐ密閉した。


 これ以上、こちらで合図を増やす理由はない。


 比較に使った粉のない樹脂片も、同じ箱へは入れない。


 片方だけに匂いが移れば、次の調査で対照にならなくなる。


 使った板の位置を地図へ残し、周囲の土まで濡らして拭った。


 異常を確かめるために、こちらが新しい異常を置いて帰らない。


「白い糸は何?」


「植物の根じゃない。樹皮の内側へ網のように伸びて、粉を作る。菌糸に近い」


「生きてる?」


「たぶん。乾いた粉だけなら、匂いが脈打つ説明がつかない」


 一本目から採った樹脂片を、透明な硝子皿へ移す。


 白い糸は、傷から離しても完全には縮まなかった。


 温める。


 匂いが立つ。


 冷やす。


 弱くなる。


 死んだ残香ではない。


 条件へ反応している。


     ◇


 一時保護していた宵灯蛾は、日が傾く頃に箱の中で翅を動かし始めた。


 さっきより力が戻っている。


 箱を開けると、すぐには飛ばなかった。


 縁へ上がり、斑点を一度だけ明滅させる。


 それから本物の木陰へ飛んだ。


「元の道へ戻る?」


「追い立てない。自分で選ばせる」


 宵灯蛾は二本の木の間を迷い、粉のない古い樹脂傷へ止まった。


 黒い翅が、一度開く。


 青灰色の粉が、傷の縁へ落ちた。


「カイル」


「見てる」


 粉の一粒が、陽に温められて柔らかくなった樹脂へ貼りつく。


 そのままでは、ただの埃にしか見えない。


 灯りを横から当てた。


 粒の中から、髪より細い白い糸が一本伸びる。


 樹脂の表面へ触れる。


 もう一本。


 さらに一本。


 誰かが次の木へ塗ったわけではない。


 宵灯蛾が、自分の翅で運んだのだ。


 影を作っても、夜にはならない。


 だが、偽物の夜は――影から影へ、自分で根を伸ばし始めていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。