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第06話 倒せないなら、観察するしかない

 スライムには勝てない――その結論を受け入れるまでに、俺は床の上で三十分ほど転がっていた。

 台所の床は冷たい。

 右足は靴下だけ。

 膝はじんじん痛むし、モップの先は謎の粘液でどろどろ。

 床下収納の上には、米袋と椅子と段ボール箱が雑に積まれている。


 ――敗北を、未だに感じている。


 俺は天井を見上げながら、ゆっくり息を吐いた。


「うん……無理だな」


 認めたくはない――いや、認めるも何も、最初から分かっていた気もする。

 俺は十年ニートをしていた。

 体力全くないし、筋力もない。

 家でゲームばかりしていたから運動習慣ないし、そもそも戦闘経験なんて全然ない。

 そんな俺が、実家の床下に現れた謎のダンジョンで、魔物相手に勝てるわけがない。

 ゲームならスライムは最弱だ。

 最初の草原で出てくる、経験値と小銭をくれる親切な存在なのだが、現実では違う。

 モップはきかないし、塩だってきかないし、これ以上ないぐらい完敗だったのだ。

 すると床下収納の隙間から、また青白い文字が浮かぶ。


【浅層第一区域にスライムを確認】

【管理者による対応を推奨します】


「対応って言われてもな……」


 俺は床に転がったまま、力なく返事をした。

 対応――簡単に言ってくれるよなぁ……。

 退治しろという意味なら無理だ。

 戦えという意味ならもっと無理だ。

 俺にできることなんて、せいぜい蓋を閉めて上に重いものを乗せる、と言う回避術である。


 だが、それで本当にいいのか?


 母さんが床下収納を開けたらどうするか?

 父さんが米袋をどかしたらどうするか?

 スライムが階段を上ってきたらどうするか?

 考えるほど、胃の奥が重くなった。

 見なかったことにしたいし逃げたい。

 けれど、逃げた先は同じ家の中だ。

 俺はため息を吐きながら、ゆっくり起き上がった。


 ――身体がだるい。


 ただ階段を上り下りして、スライムから逃げただけなのに、全身が重い。

 普段どれだけ動いていないかを、嫌でも思い知らされる。


「倒せないなら……」


 俺は粘液まみれのモップを見た。

 布の部分には、まだ半透明のぬめりが絡んでいる。

 触りたくないし、洗いたくもない。

 だが、そこにある粘液は確かにスライムから出たものだった。

 俺はふと思う。

 あのスライムは、モップを取り込もうとしていた。

 スニーカーにも絡みついていた。

 塩は吸収した。

 こちらを追ってはきたが、階段までは上がってこなかった。

 ただ襲ってくるだけの魔物、というより、何かを食べている生き物に近いのかもしれない。

 なら、動きを知る必要がある。

 倒せないなら、観察するしかない。

 ゲームでもそうだった。

 初見の敵に勝てない時は、いきなり突撃するのではなく、行動パターンを見る。

 攻撃範囲、移動速度、反応する距離、弱点、ドロップ品。

 攻略サイトを見る前に、自分で何度か試して把握する。

 もちろん、現実で何度も死に戻りはできないからこそ、もっと慎重にやる必要がある。


「管理者画面……」


 俺は床下収納を見た。

 青白い文字は、まだ浮かんでいる。


「おい。管理者なんだろ、俺」


 自分で言っていて、ひどく間抜けに聞こえた。

 だが、文字は反応した。


【管理者メニューを表示しますか?】

【はい】

【いいえ】


「出るのかよ……」


 俺は少しだけ迷ったあと、近くに転がっていたモップの柄で【はい】を突いた。

 直接触るのは、まだ怖い。

 青白い文字が淡く光る。

 次の瞬間、俺の目の前に半透明の画面が広がった。


【道明寺家地下ダンジョン】

【階層:第一層のみ開放】

【魔物:スライム】

【資源:低級薬草、光苔、粗鉄鉱】

【管理者権限:初期】

【監視機能:使用可能】


「監視機能……?」


 その文字を見た瞬間、俺は少しだけ身を乗り出した。

 監視――つまり中を見られるということか?

 地下に降りなくても、スライムの様子を確認できるのか?


「使用可能なら、使わせてくれ。今すぐ」


 そう言うと、画面が切り替わった。


【監視対象を選択してください】

【浅層第一区域】

【入口階段】

【資源群生地】

【魔物反応】


 俺は迷わず【魔物反応】を選んだ。

 画面が揺らぎ、映像のようなものが映し出される。


「うわ……」


 思わず声が漏れた。

 そこには、さっきの地下通路が映っていた。

 青白い苔に照らされた石床と、通路の端。

 そして半透明の水色の塊、スライムだ。

 さっき俺のスニーカーを奪ったやつかどうかは分からない。

 だが、画面の中のスライムは、ぷるぷる震えながら石床の上にいた。

 その近くに、見覚えのあるものが落ちている。

 俺の右スニーカーだった。


「高かったんだけどなァ……返せよ俺のスニーカー……」


 届くはずもない文句を言う。

 スライムはスニーカーにまとわりついていた。噛みつくというより、包み込んでいる。

 靴の表面をゆっくり撫でるように動きながら、ときどき体を震わせていた。

 食べているのか、それとも溶かしているのか?

 全然わからないまま、俺は静かに見つめた。

 だが、しばらく見ていると、スニーカーそのものには大きな変化がないことに気づいた。


「革とか布は、あんまり食えないのか?」


 俺は台所のテーブルからノートを引っ張ってきた。

 昔、何かの資格を取ろうとして買ったが、最初の三ページくらいしか使っていないノート、そこにボールペンで書く。


『スライム観察メモ』

『塩:吸収。ダメージなし』

『モップ:絡め取る。ダメージほぼなし』

『スニーカー:絡みつくが、すぐには溶けない』

『移動速度:遅い』

『階段:今のところ上がってこない』


 書いてみると、少しだけ気持ちが落ち着いた。

 分からないものは怖い。

 だが、情報にすると、ほんの少しだけ形が見える。

 形が見えれば、対処できる可能性が出てくる。


 俺は十年間、部屋の中でゲームばかりしていた。

 攻略サイトを読み、ドロップ率を調べ、素材の必要数を表にし、効率のいい周回ルートを考える、本当に無駄な知識だと思っていた。

 けれど今、その無駄な知識が、少しだけ役に立っている感じがする。

 そんな事を考えていると、画面の中で、スライムが動いた。

 スニーカーから離れ、壁際へ向かう。

 そこには、青白く光る苔が群生していた。


【光苔】


 画面に小さく表示が出る。

 スライムはその苔の前で止まると、体を広げるようにして覆いかぶさった。

 ぷるぷると震えたと同時に、苔の一部が消えた。


「食ってる……?」


 俺は画面に顔を近づけた。

 スライムは光苔を少しずつ取り込み、体内に溶かしているようだった。

 青白い光が、スライムの内側に淡く広がり、まるで小さなランプを飲み込んだみたいに、半透明の身体がぼんやり光った。

 それから数分後――スライムの体の中に、小さな丸い塊のようなものができた。


「なんだ、あれ」


 俺が呟くと、画面に表示が出る。


【スライム粘液核:未成熟】

【一定時間経過後、素材として回収可能】


 表示の文字で俺は動きを止めた。


 ――素材。

 ――回収可能。


 その二つの単語が、頭の中で妙に強く響いた。


「素材……?」


 俺はモップの先についた粘液を見た。

 そして画面の中のスライムを見る。

 スライムは光苔を食べ、体内に粘液核を作る。

 そして、一定時間経つと、素材として回収できる。


 つまり、あいつは素材を作る存在でもある。


 俺はノートに急いで書き足した。


『光苔を食べる』

『体内に粘液核?』

『一定時間で素材化』

『倒さなくても回収できる可能性あり』


 書きながら、心臓が少しだけ早くなるのを感じた。

 恐怖とは違い、これは多分新たな発見した時の感覚だ。

 ゲームで、効率のいい稼ぎ場を見つけた時。

 攻略サイトに載っていない小技に気づいた時。

 面倒な敵を倒さず、ギミックだけで突破できる方法を見つけた時――全て、あの感覚に近い。


「待てよ……」


 俺は画面を見つめたまま、呟いた。

 俺はスライムを倒せず、倒そうとしたら負ける――それはもう分かった。

 でも、もし、倒す必要がないとしたら?

 スライムが光苔を食べて、素材を作り、俺はそれを安全なタイミングで回収し、倒すのではなく、利用する。

 いや、利用というと聞こえが悪い。

 飼って、管理すると言う事は出来ないのだろうか?

 そういう方向なら、できるかもしれない。

 戦うのは無理でも、観察ならできる。

 剣を振るのは無理でも、メモを取ることならできる。

 直接殴るのは無理でも、仕組みを考えることならできる。

 俺は画面の中でぷるぷる震えるスライムを見た。

 さっきまで、ただ怖いだけの魔物だった。


 ――だが今は、少し違う、金の文字が頭の中に浮かんだ。


「これ、倒さなくても素材だけ取れるんじゃないか?」


 口に出した瞬間、自分の中で何かが繋がった。

 敵として倒せないなら、資源として管理する。

 危険な相手なら、距離を取り、動きを見て、習性を調べて、安全な方法を探す――それなら、俺にもできるかもしれない。

 画面の端に、また文字が浮かぶ。


【管理方針候補を検出しました】

【スライム飼育区画の設計が可能です】


「……飼育区画、だと?」


 俺は思わず聞き返した。

 画面には、淡々と次の文字が表示される。


【必要条件】

【光苔群生地】

【簡易隔離柵】

【素材回収地点】

【管理者による定期観察】


 俺はノートを見下ろした。


 俺は十年間、社会から逃げてきた。

 外では何の役にも立たなかった。

 仕事もできなかった。

 人付き合いもできなかった。

 家族とすらまともに話せなかった。

 でも、情報を集めて、整理して、危険を避けることだけは、ずっとやってきたつもりだ。

 それが今、ほんの少しだけ形になっている。


「……倒せないなら、飼って……そんで――」


 我ながら、変な結論だと思う。

 だが、戦って勝つよりはずっと現実的だった。

 俺は床下収納の方をもう一度よく見た。

 まずは観察しよう。

 次に記録しよう。

 それから、安全な距離を保ったまま、光苔の位置とスライムの動きを調整する。


 そうだ、管理しちゃおう!


 俺はボールペンを握り直し、ノートの一番下に大きく書いた。


『目標:スライムを倒さず、素材を回収する』


 その文字を見て、少しだけ笑ってしまった。

 十年間ニートだった俺の、初めてのダンジョン攻略方針。

 それは、魔物を倒すことではなく、魔物を観察することから始まった。

読んでいただきまして、本当にありがとうございます。

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していただいたら作者のモチベーションも上がりますので、更新が早くなるかもしれません!

ぜひよろしくお願いします!

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