第04話 ニート、スライム退治の準備をする
とりあえず、封印した。
床下収納は、完全に封印された――見た目だけなら。
「……よし」
俺は台所の床に座り込んだまま、小さく頷いた。
何がよしなのかは分からない。
けれど、人間は追い詰められると、意味のない行動にも達成感を見出す生き物らしい。
実家の床下にダンジョンがあり、床下のそこにはスライムがいる。
しかも、なぜか俺が管理者に認定されている。
どれも意味が分からない。
意味が分からないが、とりあえず蓋は閉じた。
米袋も乗せたし、椅子も置いたし、ついでに段ボールも積んだ。
これで何とかなる――そう思いたかった。
だが、床下収納の隙間から、青白い文字が浮かび上がっている。
【管理者権限を付与しました】
【このダンジョンは、あなたの所有物です】
「だから、いらないって……」
何度言っても、文字は消えない。
俺の拒否には一切反応しない。
まるで、すでに契約済みのサービスが「解約フォームは現在メンテナンス中です」と言ってくるみたいだったので、俺は思わず両手で顔を覆った。
……どうする?警察に言うか?
――すみません、実家の床下収納がダンジョンになってまして」
駄目だ。
間違いなく、通報した俺のほうが保護され、場合によっては病院に連れていかれる。
父さんに言ってみるか?
――父さん、床下にスライムがいる」
十年まともに会話していない息子が、急にそんなことを言い出したら、父さんは多分、黙って母さんを呼ぶだろう。
母さんは泣くかもしれない――絶対に無理、母さんに言うのも無理だ。
というか、母さんに床下収納を開けられたら終わる。
もし母さんがあの階段を見たらどうなるんだ?
スライムが出てきて母さんと父さんを襲うかもしれない――そんなの駄目だ。
「……いや、待て」
俺は顔から手を離した。
そこまで考えて、ひとつ気づいた。
床下収納を封印しただけで、本当に安心していいのか?
あのスライムが蓋を開けられない保証はあるのか?
米袋と椅子と段ボールで、本当に止められるのか?
そもそもダンジョンというものが、こっち側へ広がってこない保証はあるのか?
「わ、分からないことが多すぎる!!」
分からないまま蓋を閉じておくのが、一番怖い。
俺はスマホを開いた。
『スライム 倒し方』
検索した瞬間、探索者向けの攻略記事が大量に出てきた。
初心者ダンジョンにおけるスライムの対処法。
スライム素材の回収方法と、スライム粘液の市場価格。
そして、新人探索者がやりがちな失敗。
そもそも、スライムという存在そのものは知ってはいた――知識としては。
だが、問題はそこではない。
「違う……俺が知りたいのは、実家の床下に出たスライムの倒し方なんだよ……」
攻略記事に載っているのは、探索者登録を済ませ、防具を着て、専用の短剣や魔道具を持った人間向けの情報ばかりだった。
『粘液系魔物には耐酸性グローブを着用しましょう』
『スライム核を狙えば初心者でも討伐可能です』
『二人一組で行動し、足元を取られないよう注意してください』
「装備前提じゃん……」
耐酸性グローブなんてないし、魔力刃の短剣もない。
そんでもって、一緒に行動してくれる仲間もいない。
あるのは十年ニートの俺と、実家の台所にある日用品だけだ。
念のため、さらに検索する。
『スライム 家庭用品 倒し方』
今度は怪しい掲示板や動画の切り抜きばかりが出てきた。
『スライムに塩は効くのか検証してみた』
『粘液系魔物に洗剤をかけるのは危険?』
『初心者が絶対にやってはいけないスライム対策』
「どれを信じればいいんだよ……」
普通のスライムは、国や企業が管理するダンジョンに出る。探索者が潜るための場所にいる。
でも、あいつは違う。
俺の実家の床下におり、台所の床下収納を開けた先に、ぷるぷるしている。
その時点で、普通の攻略情報がどこまで通用するのか怪しかった。
俺は台所を見回し、その目に包丁が見えた――却下。
近づいて刺す必要がある時点で無理だ。自分で手を切る未来しか見えない。
フライパンーー重いし、振り回す体力がない。
殺虫スプレーーー虫じゃないし、効くかどうか不明。むしろ怒らせたら困る。
洗剤――記事に「粘液系魔物に洗剤をかけると毒性ガスが発生する場合があります」とあった。怖すぎる。
塩――ナメクジではないし、だけど可能性はゼロではない。
モップーー距離を取れ、最悪、押し返せる。
「……モップだな」
情けない結論だった。
俺はモップを握り、念のためポケットに小袋の食卓塩を入れた。
効果は分からない、だが、何もないよりはマシだ。
次に逃走経路を確認する。
床下収納から出たら、すぐ右に台所の勝手口、左に廊下。
廊下を抜ければ階段で、自室に戻ることもできる。
いや、自室に戻ってどうする。
籠城か――スライム相手に自室籠城、人生、終わりすぎだ。
俺は深呼吸した。
それから米袋をどかし、椅子をどかし、段ボール箱をどかした。
ふと床下収納の蓋が現れ、青白い文字はまだ浮かんでいた。
【管理者権限を付与しました】
【このダンジョンは、あなたの所有物です】
「所有者なら、せめて説明書くらい寄越せよ……」
文句を言いながら、俺は取っ手に手をかけ、蓋を開ける。
目の先には石造りの階段が、当たり前のようにそこにあった。
もう驚きはしない。
いや、嘘、普通に怖い、ただ、驚きすぎて感覚が少し麻痺しているだけだ。
「入口だけ。様子を見るだけ」
自分に言い聞かせながら、俺は一段ずつ階段を降りながら上を振り返る。
台所の明かりが見える。逃げ道はあるのを確認し、さらに降りる。
曲がり角を越えると、昨日と同じ石造りの通路が広がっていた。
【浅層第一区域】
【危険度:低】
【管理者:道明寺佐宗】
「危険度低……低か……」
探索者向けの記事にも、スライムは危険度低と書かれていた。
初心者でも対処可能。
落ち着いて距離を取れば問題なし。
過度に恐れる必要はありません。
だが、それは装備と訓練がある人間の話だ。
十年ニートがモップ一本で向き合う場合、危険度は間違いなく高い――通路の奥は静かだった。
ぴちゃん、ぴちゃん、と水滴の音だけが響いており、壁の苔が青白く光り、足元には砂利が散っている。
俺はモップを前に突き出しながら進んだ。
一歩、また一歩。
この世界の探索者講習なら、きっと教官が教えてくれるのだろう。
スライムの見かけ方とか、他にもいろいろ教えてくれるかもしれない。
だが、俺は探索者講習なんて受けていない。
画面は出るのに、肝心の戦い方は教えてくれない。
「管理者権限って言うなら、魔物停止ボタンとかないのか……?」
小声で呟いた瞬間、視界の端に文字が出た。
【現在の権限では使用できません】
「あるのかよ」
そして使えないのかよ。
俺は泣きそうになりながら進んだ。
やがて、通路の端に青白い苔が群生している場所が見えた。
その近くに、昨日見たものが――スライムだ。
水色で、半透明で、バスケットボールくらいの大きさで、石床の上でぷるぷると震えている。
動画で見たスライムより、ずっと生々しかった。
画面越しなら可愛い。
配信者が笑いながら突いている分には、初心者向けの魔物に見える。
――だが、実物は違う。
呼吸もしていないのに、生きている気配がある。
目も口もないのに、こちらを認識している気がする。
半透明の身体の奥で、何かがゆっくり流れている。
ただ、ひとつだけ分かった――めちゃくちゃ、怖い。
「……よし」
俺はモップを握り直した。
逃げたいが、スライムがどれくらい危険なのかは知っておく必要がある。
俺はポケットから塩の小袋を取り出した。
まずは遠距離攻撃――そう言うと格好いいが、実際は食卓塩を投げるだけだ。
探索者向けの記事には、スライムの核を狙えと書いてあった。
だが、俺には核がどこにあるのか分からない。
なら、まずは昔ながらの方法を試すしかない。
「悪いな……いや、悪いのか?まぁ、魔物だし……」
変な罪悪感が湧いてくる。
スライムはただ、そこにいるだけだった。
こちらを襲っているわけでもなく、ぷるぷるしているだけだ。
「……ごめん」
俺は小袋を破り、スライムに向かって塩を投げた。
白い粒が宙を舞い、スライムの表面にぱらぱらと降りかかる。
スライムは、ぷるん、と震えた。
溶けるか?
縮むか?
それとも、怒るか?
そんな事を考えていると、スライムはもう一度ぷるんと震え、そして塩を吸収した。
「吸収した……」
駄目だ、塩は弱点ではない。むしろ食われた――ナメクジ理論、失敗。
同時に、探索者向けの記事に書かれていた一文を思い出す。
『民間療法的な対処は危険です。必ず規定装備を使用してください』
「先に思い出せよ、俺……」
スライムはゆっくりこちらを向いた気がした。
――ぷるん。
一歩分、近づいてきた。
「待て。話し合おう!」
俺は後退した。
しかしスライムは、ぷるん、ぷるん、と近づいてくる。
速くはない、歩いて逃げられる程度だ。
だが、怖いものは怖い。
「来るなよ。来るなよ。本当に来るなよ」
俺はモップの先をスライムに向けた。
距離、約二メートル。
俺はモップを突き出した。
先端がスライムの表面に触れる。
――ぐにゅ。
嫌な感触が、柄を通して手に伝わった。
「うわっ……!」
柔らかい。
だが、水風船ほど頼りないわけではない。
粘りがあり、押し返そうとすると、モップの先を包み込むように変形する。
スライムは、じわじわとモップの布部分を取り込もうとしていた。
「ちょ、待て! それは返せ!」
俺は慌てて引っ張った。
だが、抜けない。
記事には「不用意に布製品を接触させないこと」と書いてあった気がする。
遅い、思い出すのが、何もかも遅い。
俺は両手で柄を握り、全力で引いた。
向こうもぷるぷる。
こっちもぷるぷる。
地獄みたいな綱引きだった。
「返せって言ってるだろ!」
思い切り引っ張ると、ずるん、とモップが抜けた。
その勢いで、俺は後ろに倒れそうになった。
その瞬間、スライムが跳ねる――ぷるん、ではなく、ぼよん、と音がしそうな勢いでこちらへ飛んできた。
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