聖女の加護と風邪っぴき
だんだんと風が強く、普段と違って潮風に粘りが帯びてくる。
辿り着いた港町は、既に避難で丘に上がったのだろう。人が閑散としている。
唯一心配なのは、灯台にいるはずのラウロさんだ。嵐になったら、船は流されないように、港に繋ぐのではなく、沖へ沖へと出ないといけないから、灯台が常に明るくなかったら帰ってこられない。
続いて浜辺を目で追った。あと数分足らずで、津波が来る。
「……間に合ったかあ」
私はそうひと言呟いてから、呼吸を整えた。
ラウロさんに祝福を与えたときは、彼に魔力をちょっと流すことで彼の自己治癒能力を底上げするものだったけれど、津波を散らすというのはそれだけじゃあ間に合わない。
小島全土に加護を与えることで、津波の勢いを殺す。私は指先に魔力が流れるようにイメージをして、すうっと声を上げた。
「一輪 神は花を育てた
二輪 神は花を増やした
三輪 神の御心は世界に花畑を与えたもう──」
浜辺の砂を削り、波が水しぶきを上げて真っ黒な高波が昇っていくのが見えた。でも聖書の暗唱をしている私は、不思議と気持ちは凪いでいた。
「── 神の御心は世界に広がり、それは大きな愛へと変わった
神よ試練を与えるならば、どうか越えられるものにしてくれたまえ
神よ罪は我らが聖女が被り、民に赦しを与えたまえ」
髪が嬲られる。湿気が服に貼り付いて鬱陶しい。いかに神官装束が冬に寒く夏にやけに汗に弱いのかがよくわかった。こんな非常事態で鬱陶しくない服なんて、神官装束以外に存在しないからだ。
どこからか悲鳴が聞こえる。
漁師たちの精霊信仰によると、海の精霊は時には船をひっくり返し、時にはしけで災害を与えることで知られている。それらを知っていれば、もうこれはただの高波では済まないということがわかるだろう。
まあ。
「神よ、我らが罪を、許したまえ」
止めるけれど。
聖女の魔力を小島全土に注ぎきった途端、津波は割れた。それのせいで小さく高波で海は荒れたものの、小島の港町を飲み込もうとしたほどの高い波は、もう崩れて見えなくなってしまった。
「ふう……やれるだけのことは、やったか。これなら、もう大丈夫……」
ところで、聖女の加護も祝福も、魔力を膨大に使う。ちょっと魔科学の装置を動かすために輝石に魔力を注ぎ込むのとは違う。小島全土を巻き込むほどの膨大な魔力を一気に使えば、普通に体内のマナのバランスが崩れる。
私はそのまんまバッタリと倒れてしまったんだ。
****
「もう! 洗濯物取りに行った途端に港で倒れてるって、意味わかりませんよ!? うちの兄が港に戻ったら倒れてるから、びっくりして連れ帰ってきてくれたからよかったですけど! しかもいきなり熱出してどうしたんですか!?」
私は宿屋の自室に連れ込まれると、そのままベッドに強制的に寝かされ、クローネの大泣きの説教を聞いていた。
体全身が痛いし、間接の節々が痛い。おまけに汗も無茶苦茶掻いているし、熱も出ているし、なんか寒い。
久々の聖女仕事なんてしてしまった私は、当然ながら風邪を引いて寝込んでしまったのだ。周りからしてみたら、高波が来ていたところで港で倒れてたんだから普通に心配する。クローネだって泣く。
「ごめん……」
「もう! 心配したんですから! 本当にもう!」
クローネがキャンキャン吠えている中、自室のドアが開いた。お盆にミルク粥をたっぷりと入れた器を持ってきたカーラさんだった。
「はい、クローネそこまで。いい加減ミーナを寝かしてやったらどうだい? ちょっと栄養摂らせて寝かせるから」
「……はあい」
「あんたは空いてる部屋に泊まりな。なんか高波も治まったみたいだけど、まだ余談は許さないからね」
「はあい、おやすみなさーい」
クローネはまだなにか言いたそうだったけど、カーラさんに追い出されてしまった以上、戻ってこないだろう。
カーラさんはベッドの近くにミルク粥を置く。
「起きられるかい?」
「なんとか……」
「ほら、ミルク粥。お食べ」
「ありがとうございます……」
カーラさんのミルク粥は優しい味がする。たくさんのミルクにレーズン。そして蜂蜜。その甘さは体を労ってくれるようで、私はそれをもりもりと食べていたら、椅子に腰掛けたカーラさんが言う。
「まあ、神殿からあんたを預かってくれと言われたから薄々思ってたけど、あんた王都だと神殿にいただろ?」
「……さあ? どうだったでしょうか?」
「この間から、ルーチョがなにかとお忍びでなんかやってたから。だとしたら、あんたはときどき噂になっている先代の聖女じゃないかと思ったけど。違ったかい?」
カーラさん鋭い。いや、そうか。スザンナの紹介で私を泊めてくれている以上、スザンナの口利きのできる人間となったら神殿関係者だとわかってしまうんだ。
でもなあ。私、今日みたいにまたなんかやってとホイホイ頼まれても困るんだが。加護も祝福も、魔力を大漁に使えばマナのバランスが崩れて倒れる。そういいもんじゃない。私が口の中でゴニョゴニョしていたら、カーラさんは溜息をついた。
「まあ、言いたくないなら言わなくってもいいさね。ただね、クローネもさんざん泣いて怒っていたけど、心配だったのは間違いないさ。あの高波だって、下手したら港を飲み込んでたかもしれないし、それが嫌だったから、わざわざなんとかしてくれたんだろう?」
「……私、帰る場所とかないですし。ここは、第二の故郷だと思ってますから。関係ないって見て見ぬふりして、故郷が荒れるのは嫌だった……それだけです」
「そうかい。たしか魔力は大量消費したあとは、よく寝てよく食べたら治るんだったね? 今日はたくさんミルク粥も食べたみたいだし、このままよく寝ちまいな」
「……はい、ありがとうございます。おやすみなさい」
「まあ、いいってことさ」
そう言って、カーラさんは空になったミルク粥の器を下げて部屋から出て行こうとするとき、小さく言った。
「ありがとうね。あたしや他の連中みたいに、海で家族を亡くしてない人間なんて、この島だったらほとんどいないから。それだけで充分助けられてるさ」
そのひと言を告げると、カーラさんはそのまま部屋を出て行った。
私は布団を頭まですっぽりと被ると、そのまんま泣いてしまった。
現役聖女をやっているときだって、たしかに感謝はされていた。でも、扱いは装置や肥料みたいなもんで、ここまで個人として感謝されたことはなかった。
この島に越して来てよかった。今はその気持ちだけでいっぱいだった。




