海と口付け
浅瀬で魚がピチャンと跳ねる。あともうちょっとしたら、この道もたちどころに消えてしまうだろう。
私が疑問をぶつけても、ルーチョはのらりくらりと躱して、結局肝心なところは教えてくれなかった。
そしてルーチョはニコニコと笑う。
「それにしても。君は俺のことをさんざん避ける割には、誘いを断ったことは一度もないね?」
「断ってもっとひどいことされたくないから」
「……そんなことされたことあるのかい?」
「あの手この手を使って言質取られた結果ひどい目にあったことって、ものすごくあるのよね。それに懲りたから、最初の提案に乗れそうなときは乗ってるの。乗らなかった結果逆恨みされたり悪辣な目にあったり、そんな駆け引きに持ち込まれて辟易してるから。王都って怖い」
「あー……うん。本当に君、気性としては聖女に向いてるのに、政治しないといけないという意味では、向いてなかったんだね?」
「そうよ? それをわかってるから、小島に移住したんだし」
「そっか……そっか。うん」
ルーチョはなんとも言えず、苦々しい顔をしていた。
この人に、なんか私のもろもろ悲しまれるような覚えあったかしら。そもそもこの人、ノリが王都の遊び人な割には、全然他の女の人ナンパしないから本当によくわからない……やらかしていた頃の場合は、さんざんクローネやカーラさんにも冷たい視線向けられてるけどさ。
私がわからないという顔をしている中、ルーチョは尋ねた。
「だとしたら、君はここを引っ越すってことは考えてないんだね?」
「うん。全然。もう政治に関わりたくない。まあ、聖女様たちが困ってるなら、ひと言ふた言くらい助言出すけど。アダルジーザ様が聖女を辞めた場合、次の聖女とか相談できる人皆無でしょうし。私の先代なんかかなり可哀想だったから、もう聖女に関わらせたくないし」
「そうか……うん、そうなんだね」
「というか、そこまで聞いてルーチョはなにを言いたいのよ? 私になにかしたい訳?」
「……今言って、君に逃げられたらたまらないんだけど」
「店あるから逃げないけど。でもなによ?」
私の言葉に、ルーチョは碧い目で私をじぃーっと見つめてくる。
「君と結婚を前提としたお付き合いをしたいんだけれど」
……。
…………。
……………………。
……………………なんで?
「私とあなた、出会ってそこまで時間も経ってないじゃない。嫌だけど」
「ええ? ミーナ、君と出会って、そこまで悪い印象はなかったと思うけど」
「それどの口が言いますか。ルーチョ、あなた本当に0か100しか交際方法ないんですか。そんなことばっかり言っていたら、クローネとアントンに言うから」
「やめろ。アントンの妹がアントンを連れてきたら面倒なことになる」
「夜の飲み屋の常連だけどね、アントン。いいの? 私に下手なことしたら、クローネに言いつけるけど」
「ほんっとうにやめろ。ああっ、もう。君のほうこそ、いったいどれだけ貞操概念ガチガチなんだよ!?」
少なくとも、ルーチョほど浮き草のようにふわふわした貞操概念じゃないことだけはたしかだ。
「私、王都で逃げてきたの。婚約してたけど」
「……それ、大丈夫だったのかい?」
「その人がいい人か悪いひとかわからなかったわ。だってその人に会ったのそのときが初めてだったし、婚約だって私が聖女の座を剥奪されたから沸いてきた話だったし。貴族の見合いがどんな具合に選ばれるのかわからないけど、たまたま聖女の座を降りたフリーの女がいたから声かけただけでしょ」
「……つまりは、その相手が好き嫌い以前で逃げ出したと?」
「好き嫌いじゃないわ。単純に、食の趣味が合わないと思ったから、いろいろ溜め込んだものがドカン。と来ただけ」
「ドカン」
「そう、ドカン。だから逃げ出したの。だから私、ルーチョが私のことどうしてそこまで知ってるのかわからないけど、あなたのことなんにも知らないのに婚約を前提にした交際は無理」
きっぱりと言えた。そうだよなあ。
神殿にいたとき、私はもう疲れていた。疲れていたから、「なんだかヤダ」とは思ったものの、それを言葉にすることができなかった。ここでの生活が楽しくなって、すごく癒やされたんだろう。あれだけ凝り固まってしまっていた言語化スイッチも作動するようになり、まともに言いたいことが言えるようになってきたんだ。
私の言葉を聞いて、しばらくルーチョは考え込んだような顔をしてしまった。そのあと、「ミーナ」と声をかけてくる。
銀色の髪が、光輪を弾いて光っている。
「なら、俺にチャンスをくれないか」
「……どんなものを私は与えればいいの?」
「君が俺を好きになってくれる時間が欲しい」
「私があなたのことを好きになる前提なの?」
「だって君は、君が思っている以上に幼いし、疲れている。疲れていたおかげで、考えが凝り固まってしまっていたのだから、君にも俺にも時間が必要だと思う」
「まあ、そうねえ……」
「きっと君は俺の悪口をずいぶんと吹き込まれているだろうし、君もさんざん利用されてきた手前、なかなか俺のことを信用できないだろう。だから、時間が欲しい。その間に、君が俺のことを無理だと思ってくれたのならそれでかまわない」
「……いや、あなたとは、ビジネスパートナーとしてはお付き合いしたいから、あまりそういうややこしい関係になりたくないのだけれど」
公私混同って、一番面倒臭いんだよなあ……。神殿でもあった数々のトラブルを思い返しながら言うと、ルーチョは珍しくかなり硬い口調で「商人を舐めないでくれるかな?」と返してきた。
「恋する君は顧客なのだから、求婚を受け入れる受け入れないで態度を変えるような気はしない。君はこちらが持ち込んだものをずいぶんいろいろ面白いことに使ってくれているのに、そんないい顧客を失うような真似はしない」
「……ちゃんと売ってくれるんだったら、それでかまわないわ。でも、私が本当にどうにもならなかった場合、あなたどうするつもりよ?」
「そのときはきっぱりと諦めるさ。自棄を起こして君を傷付けるような真似はしない。もうさんざん無様を君に見せつけてきたのに、これ以上無様をさらすような真似はしないさ」
今の時点で、私は全く彼に対して不利益を被っていない。単純に私がひと目惚れを全く信じてないから疑っているだけで、それ以外ではずいぶんと彼にお世話になっているから。なによりも。
彼が何者なのか、知りたいとは思ったから。
「……まあ、それならば。期限は切る?」
「半年」
「……あなた仕事でそこまで小島に来ないのに、半年で大丈夫? 私がその間に他の漁師さんと結婚してるかもよ」
「それはあり得ないよ。君はカーラさんみたいな強い人の加護の元で働いているし、神官様とも懇意にしているんだから、農民だろうが漁師だろうが、あまりに勘違いしている人間じゃない限り、君に下手な距離の詰め方をしない」
……さすがに私が男の人に慣れてないところは見抜かれてるな。
私は「まあ、いいわ」と答えた。途端にルーチョは嬉しそうに私の手を取った。
「君にお許しがもらえるよう、励ませてもらうよ」
「はいはい」
そう言っていたら、いきなり水鳥がついーっと飛んできた。どうも浅瀬の魚を獲りに来たらしいけれど、距離がかなり近くて、私は「ひゃっ!?」と悲鳴を上げて水鳥を避けようとした途端、ツルッと滑って転びかけた。
途端にルーチョに掴まれた手を強く引っ張り上げられるけれど、バランスを崩して唇があらぬところに触れる。
私はルーチョを凝視する。
「君もなかなか運が悪いね」
そう微笑まれたところに、私は思わず背中をバシバシと叩いてしまった。




