カルパッチョを食す
その日は、漁から戻ってきた人たちで宿屋は混雑していた。
クローネは帰ったものの、ティーサロンの営業時間も終わった私は、カーラさんひとりだと回せないと判断してそのまま手伝っていた。
「いやあ、ミーナちゃんみたいな可愛い子が来てくれてよかったねえ! カーラさんみたいな美人にミーナちゃんみたいな可愛い子! 本当にいい店だよ!」
「はいはい、ありがとうございますね。飲み過ぎですからちょーっと水飲むかご飯食べるかしましょうか」
「はっはっは!」
酔っ払いたちがじゃんじゃか騒ぎ立てるのを捌くのは骨が折れる。カーラさんに至ってはときおりお盆で頭をしばいていた。
「はい、あんまりうちの若い子に変なちょっかいかけるのやめな」
「カーラさ……ほんっとうに腕っ節も強くて逞しい」
「勘弁しておくれ。あたしゃ亭主に操立ててんだよ」
カーラさんが未亡人でもなお漁師さんたちに人気なのは、この気風のよさも一因らしい。大変だなあ。
そうこうしている内に、「ミーナちゃん、ミーナちゃん!」とまだ酔ってない漁師さんがやってきた。手に抱えているのはかなりでかい魚だ。
「わあ……立派ですね、これ。でも王都とかだとあんまり見ないような?」
「この小島の浅瀬じゃないと獲れないからねえ、こいつは。しかも足も速いから、外に売りには出せないんだよ。これでなんか一品つくってくれないかい?」
「ええっと……これって生で食べられるんですか?」
「いけるいける。むしろ生食で食べるのが一番いいんだよね。こいつは火を通すと脂が溶けて消滅しちまうからさ」
「ほとんど脂肪の魚なんて、私初めて見ましたけど……わかりました」
ひとまずはその魚を切って、ひと切れを塩をかけて試食する。
うーん。たしかにおいしい。身がプリンプリンしていて弾力がある。でも噛めば噛むほど脂が出てくる。たしかに輸送中にすぐ傷んでしまうから、小島で食べないとやってけない奴だなあ。多分干物にできないのはこの脂のせいだろう。これだけ脂が出るんだったら、加工するとなったら魚醤にしてこの魚そのものを調味料に使うくらいしかできない。
でもこの身を食べられるのがこの島だけなら、なんとかしたいよね。私は食べながら、カーラさんに尋ねた。
「あのう、漁師さんから魚をお裾分けでもらって、これでなんか一品つくってって言われたんですけど」
「あー、こいつね。こいつは脂がすぐ出るから、オリーブオイルをかけると身が溶け出して自滅するから、なかなか調理できないんだよ」
「やっばい魚ですねえ、これ」
「でも、この魚身はプリプリしてるだろう? 火にかけられない、使える調味料も制限があるとしたら、もうカルパッチョにして最低限の調味料使うしかないさね」
オリーブオイルも使えないとなったら、本当にドライハーブと塩で対処するしかないなあ。
私はそう思いながら、ひとまず塩を振った。塩を振って身を締める。さすがにそこでは身は溶け出さない。人の体温で溶けるのかと危惧したけれど、そこでは溶けないみたい。続いて使うハーブやスパイスを吟味する。
前にルーチョからもらったスパイスで、ドライバジルを少し振り、レモン汁をかけてみる……おいしいことにはおいしいけど、なんかありきたり過ぎるというか、落ち着き過ぎた味になったなあと思う。
続いて、オレンジを少し搾り、黒胡椒をかけてみる……ん、これおいしい。
「レモン汁とドライバジルが定番過ぎる味で、こちらはオレンジと黒胡椒です」
私はカーラさんに試食を頼むと、カーラさんは「んー……」と腕を組んだ。
「多分方向性は合ってる。カルパッチョ定番のオリーブオイルがないせいで、オリーブの香りにあまり頼れないのが難点だけどね」
「じゃあオリーブの実も少し加えましょうか」
とりあえずオレンジと黒胡椒をふりかけ、トッピングでオリーブの実を切って加えたら、味が複雑になって匂いもいい感じに落ち着いた。でもせっかくこの身がおいしいんだから、もうひと声欲しいところ。魚が生臭く感じないからこそ、もうひと声と思ってしまう。
そこで私は、前にもらったピンク色の胡椒を見た。
「……たしかこれ、スパイシーな香りだけど、少しだけ甘さがある。フルーツサラダにも使えたし」
私は気を揉みながら、胡椒の粒を少し潰して香りを出してから、黒胡椒の代わりに振ってみた。これをひと口食べてみる。
「……うん、これものすごくおいしい」
元々おいしい身が、オレンジとピンク色の胡椒のおかげで一気に華やいだのだ。その上アクセントにしているオリーブの実で香りに深みが増した。
定番過ぎるレモンとバジルのカルパッチョに、オレンジとピンクペッパーのカルパッチョ。
「よろしかったらどうぞー」
今日も元気にワインを飲みに来たお客さんにメニューを勧めたら、これがびっくりするほどに当たった。
「うまっ! この身、もう塩で食べる以外は魚醤にするしかないと思ってたのに!」
「おいしいけど、なにをやっても形が残らないから、スープの出汁にするしかないと思ってたんだけど」
あのプリプリの身がスープの出汁や魚醤以外に使い道がないと言われるのは、まあまあ悲しいと思う。そう考えたら、いい料理方法が見つかってよかったなあと、そう納得していた。
カーラさんは私の肩をポンと叩く。
「よかったじゃないか。あの魚、半端によく釣れる割には、足が速いし使い道ないしで困ってたからね。食べる方法が見つかったんだったら、それで人を呼んだりもできるようになるだろうさ」
「アハハハハハ、よかったです。あの魚おいしいのに、そのまんま食べられないのはやっぱりもったいないんで」
「魚醤は魚醤で使い道いろいろあるんだけどねえ、まあそれはおいおい教えるよ」
「ああ、是非! 王都だったらあんまり魚醤使った料理なかったんで、どうやって使えばいいのか知りたいです!」
お客さんたちが喜ぶのを見ながら、私もそっと胸を撫で降ろしたんだ。




