第五話「先代の愛と、次男の目」
翌朝。
セルは書斎にいた。
一人で、手燭を持って。
夜が明ける前に動いていた。
床下を確認した。板が三枚。中央の一枚だけ、わずかに浮いた跡がある。
最近、誰かが開けた。
セルは立ち上がって、部屋全体を見渡した。
机の上の書類。棚の本。肖像画の先代。
何も変わっていない。でも——何かが、ない。
昨夜の現場を思い出した。
三人の侵入者。外傷なし。戦闘の痕跡なし。
そして人形。
あの関節の角度は、自分が動かす前と——少しだけ、違った。
セルは書斎を出た。
廊下を、アルの部屋の方向に向かって歩いた。
朝食の時間。
セルはグレイスに近づいた。
「グレイス、少し聞いていいか」
「はい、セル様」
「書斎の床下に、何かあったか」
グレイスの手が、わずかに止まった。
一瞬だけ。
「さあ……私には」
「そうか」
セルはそれ以上、聞かなかった。
でも——グレイスの目が、一瞬だけアルの部屋の方向を見た。
それで十分だった。
父が書斎に入ったのは、昼過ぎだった。
セルは廊下で、その背中を見送った。
しばらくして、書斎から物音がした。
棚を動かす音。床を確認する音。
そして——長い沈黙。
父が出てきた時、顔が変わっていた。
困惑でも怒りでもない。
何かを——失った顔だった。
俺はグレイスの膝の上で、一部始終を把握していた。
セルが動いた。父が気づいた。
予想より、三日早い。
ノートは今、グレイスが別の場所に移している。父が床下を確認しても、もう何もない。
問題はセルだ。
昨夜の人形。今朝のグレイスへの質問。父の動きの観察。
全部つながっている。あの九歳は、もう確信に近いところまで来ている。
逃げても無駄だ。
ならば——先に動く。
俺は板を並べた。グレイスに向けて。
せ・る・を・よ・ん・で
「……セル様を、ですか」
頷いた。
「今すぐ、ですか」
もう一度、頷いた。
セルが来たのは、五分後だった。
扉を閉めて、俺を見た。
「……呼んだのか、お前が」
俺は頷いた。
セルが腕を組んだ。
「昨夜の侵入者。人形の角度。グレイスの反応。床下の跡」
一つずつ、指を折った。
「全部、繋がってる。お前が中心にいる」
俺は首を振らなかった。
セルが一歩、近づいた。
「見せろ」
俺は板を並べた。
な・ん・の・た・め・に
セルが少し考えた。
「この家を立て直すためだろ。借金もある。父上は動けない。お前が——何かしようとしてる」
俺は「あ」の板を出した。
セルが床に座った。直接。
「俺に、話す気があるか」
俺は板を並べた。
い・っ・し・ょ・に・や・る・か
セルが俺を見た。
長い間、見た。
「条件がある。全部教えろ。お前が何を知っていて、何をしようとしてるか」
俺は少し考えた。
全部は話せない。148年のことは話せない。
でも——必要な分は話せる。
俺は板を並べた。
は・な・せ・る・だ・け・は・な・す
セルが、小さく笑った。
「……正直だな」
俺も笑った。
「わかった。乗る」
セルが立ち上がった。
「一つだけ先に言っておく」
「父上が今日、書斎で何かを探してた。何もなかったことに気づいて——あの顔をしてた」
俺は頷いた。
セルが扉に向かいかけて、止まった。
「父上があの顔をするのは——大事なものを失った時だ」
「この家は、もう動き始めてる」
それだけ言って、出て行った。
夜。
俺は天井を見上げた。
セルが動いた。父が気づいた。
二手早まった。
でも——悪くない。
セルが仲間になれば、動ける範囲が広がる。父が動き始めたなら、それも使える。
148年間、俺は隠れ続けた。
でも今は——先手を打つ側にいる。
一等賞への道は、思っていたより複雑だ。
でも今日、駒が揃い始めた。
それで十分だ——今日は。
ただ一つ、誤算があるとすれば。
——セルは、俺が思っていたより、ずっと速かった。
第五話 了




