第四十二話 正義
冨樫から持ちかけられた同盟の提案。
これを断ったとして、海竜組からの嫌がらせに、どう対応すればいいのか……。
弓弦は考えていた。
警察内部の問題はさておき、情報収集という意味でも、冨樫と手を組むメリットはある。
しかし……さっきのこともある。
警察とつながることは、さっきの正体を知られる危険につながるかもしれない。
弓弦はゆっくりと、さっきに目を向けた。
さっきは、そんな弓弦をにらんでいた。
「馬鹿で決断力がないのも、考えものだな」
「なっ……!」
弓弦が言い返そうとすると、さっきは構わず続けた。
「警察の力を借りずに、円を守れるのか? 遠藤農園を守れるのか?」
さっきは、弓弦を真っすぐに見つめた。
「私はいいんだよ。一番守りたいものを考えろ」
それを聞いていた円が、弓弦に向かって微笑んだ。
「ゆずる君……私は大丈夫だから。さつきちゃんを守ってあげて」
その言葉を聞いていた冨樫が、愛美に小声で尋ねた。
「この三角関係は、親公認なんですか?」
愛美は冨樫に微笑み返した。
「若いっていいでしょ?」
「はあ……。よく分からないんですが、さつきさんと弓弦君は、恋人ではないんですね?」
愛美は二人を見ながら、楽しそうに笑った。
「そうね……本人たちは否定するのよ。あーんなに仲が良いのに」
冨樫は、思わず吹き出した。
「そうですね……あはは」
緊張していた場の空気が、少しだけ和らいだ。
三滝が、話を戻すように口を開いた。
「で……どうするんだ? 冨樫刑事と同盟を組むのか?」
そして、弓弦たちを見渡した。
「農園の放火の件もある。俺は、いつまでも待っているくらいなら、行動した方がいいと思うがな」
さっきが、満足そうに微笑んだ。
「さすが~、おじいちゃん!」
「おじいちゃんって言うなよ!」
弓弦が注意しても、さっきはケラケラと笑っている。
その様子を見て、三滝は呆れたように頭をかいた。
円が冨樫に尋ねた。
「ねえ、冨樫さん。あなたと組んだら、瑞穂の死因も教えてくれるの?」
「もちろんです。仲間になるわけですから。ただし、私が入手できる情報に限ります。当然、捜査上の制約もあります」
冨樫は一度言葉を切って、続けた。
「それに、警察の力を使えば、今まで入れなかった施設や、聞けなかった情報を確認できるかもしれません。監視カメラの映像なども、その一つです」
そして、真剣な表情で全員を見渡した。
「今の状況では、まどかさんや弓弦君だけでなく、周囲の人間にも被害が及ぶ可能性があります。誰かが犠牲になる前に、先手を打って交渉の機会を作る。それが有効だと考えています」
弓弦は、まだ迷っていた。
本当に、ここまで関わってしまっていいのだろうか。
できることなら、誰も傷つけずに解決したい。
けれど、相手は暴力団だ。警察の内部にも、海竜組とつながっている人間がいるという。
自分が動けば、周りの人たちを危険にさらしてしまうかもしれない。
そんな弓弦の考えを見透かしたように、さっきが大きなため息をついた。
「ゆずるは馬鹿だから、説明してやるよ」
「なんだよ……」
「農園が放火された時点で、もう無視できない状況なんだぞ。穏便に済ませるなら、瑞穂が殺された時点で終わってる」
弓弦は、思わず声を強めた。
「でも、危険なのは間違いないだろ!」
さっきは、呆れたように首を振った。
「まどかも、愛美さんも、おじいちゃんも、みんな分かってるんだよ。もう無視できないって」
「……」
「ゆずるは馬鹿だから、逃げようとする。何も見なかったことにして、関わらないようにする。それで人を守れるのか?」
「でも……」
「でも、じゃない」
さっきの声が、少しだけ強くなった。
「戦争を吹っかけて、相手を殲滅してしまえば、それは正義なのかもしれない。だから、誰かが何とかしてくれる……なんて考えるのは、馬鹿の考えることなんだよ」
弓弦は言葉を失った。
さっきは、弓弦から目をそらさずに続けた。
「誰かが動かなきゃ、何も変わらないんだよ」
弓弦は、うつむいた。
「でも……誰かを傷つけてまで、しなきゃいけないことなのかな?」
さっきは、少しだけ表情を和らげた。
「ゆずる……それは偽善ってやつだよ」
「偽善……?」
「まどかが殺されたときにも、同じことが言えるか?」
弓弦の胸が、強く締めつけられた。
円が傷つけられる。
愛美が、三滝が、農園の人たちが襲われる。
そんなことは、考えたくもなかった。
けれど、考えたくないからといって、現実がなくなるわけではない。
さっきは、静かに言った。
「全ての人から見た正義なんてないんだよ。お前の正義は、向こうにとっては悪かもしれない」
その言葉を、弓弦は黙って聞いていた。
冨樫が、二人のやり取りを見ながら口を挟んだ。
「さつきさんは、随分と弓弦君に厳しいことを言うんですね」
そして、弓弦に向き直った。
「でもね、弓弦君。注意するのは、愛情表現の一つだって言いますよね。本当にどうでもよかったら、無関心でいられるものですから」
弓弦は、はっとした。
無関心……。
自分は、ずっと逃げていたのだろうか。
いじめられていた頃、誰かに助けてほしかった。
誰かが自分のことを気にかけてくれたら、どれだけ救われただろう。
それなのに今、自分は、目の前で苦しんでいる人たちから目をそらそうとしていたのではないか。
もちろん、誰かを傷つけることが正しいとは思わない。
それでも、何もしないことが、いつも正しいわけではない。
弓弦はゆっくりと顔を上げた。
さっきは、そんな弓弦を見て、微笑んだ。
「そういうことだ、馬鹿ゆずる」
弓弦は小さく息を吐いた。
まだ、迷いが消えたわけではない。
自分たちがこれからやろうとしていることが、本当に正しいのかも分からない。
それでも……大切な人たちを守るために、何ができるのか。
もう、考えるだけで終わらせたくなかった。
三滝が冨樫を見た。
「よし。それじゃあ、同盟を組むってことでいいんだな?」
弓弦は、しっかりとうなずいた。
「はい。僕も協力します」
冨樫は、その返事を聞いて表情を引き締めた。
「ありがとうございます。では、具体的な方法を考えましょう」
すると、さっきが楽しそうに手を叩いた。
「それでは、計画を立てようか!」
そして、悪びれる様子もなく言い放った。
「一ノ瀬剛誘拐プロジェクトを、真剣に考えよう」
「だから、なんでそうなるんだよ!」
弓弦の叫び声が、部屋に響いた。




