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かつて天使と友達だった  作者: 梔子
第三章 日記
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 俺は家に帰るやいなや俺の部屋とあてがわれた四畳半の一室に襖を閉め、ポケットから日記を出した。


 表紙を開いて、ページを捲ろうとするも、手が震えて上手く捲れない。浅く、胸でしか呼吸が出来ない。漸くページの隅をつらまえてはぐった。


「四月六日」


 この四月六日は一体いつの四月六日だろうと思った。その疑問はすぐに明かされる。下の文を見て理解した。その日は中学の入学式の日だった。


「四月六日。中学の入学式があった。僕は志望校には行けなかった。また、落ちてしまった。塾に通わせてもらったのに申し訳ないと思う。

 父さんには随分怒られた。当然だ。僕が怒られているのを見て、母さんには泣いていた。僕は何て悪い人間なのだろう。情けない。僕の頑張りが足りなかったせいだ。琥都ちゃんには落ちた事は言えなかった。同じ中学には行けないと言った手前、言い出しにくい。

 入学式の日、同じ電車だから顔を合わせるはずだった。それが気まずくて、会わないように、早くに家を出た。

 学校に着くまで、琥都ちゃんには会わなかった。が、貼り出されたクラス名簿を見て困惑した。琥都ちゃんと同じクラスだった。以前の僕ならば喜んだだろう。けれど今は……どちらにせよ、いずればれる。隠したって、無駄なこと。

 入学式が終わって、皆が各々のクラスに向かう。先を歩いていたはずの琥都ちゃんが振り返って僕を見ていた。目が合った瞬間、どきりとした。冷や汗が出た。何も言葉が出てこなかった。反射的に責められると思った。が、琥都ちゃんは何とも言わなかった。何も聞いてこなかった。「腹が減ったな」などと言っていた。その言葉が余りに琥都ちゃんらしくて、僕はすごく救われた。」


 当時の事が蘇る。入学式の日、善次を見つけた事を、善次と目が合ったあの瞬間を。あの時、善次が何を考えているのかわからなかった。善次の視点から語られるそれは、新鮮さと懐かしさがあり、俺は何とも言えない感情になった。


 この日記を見て、善次が同じ中学に通う事を俺に黙っていたのは、言わなかったのではなくて、言えなかったのだと知った。俺はただ善次に会えて嬉しかった。それ以上に何の感情も湧いてこない。だから、俺がどう思うとか、気にしないで良かったのに。


 善次は中学を落ちて父親に怒られたらしい。俺はそんな背景があったとは知らなかった。あの家で怒りの感情が存在するなど想像出来なかった。あの家は幸福そのものーー飢える事も辛い事も苦しい事もまるで天国みたいな所だったから。


 善次の父親にはついぞ会う事がなかった。随分怒られたとある。そんなに怖い人なのだろうか。


 俺は同じ中学に通えて嬉しかった。けれど、善次にとっては嬉しくない事だった?俺は再び日記に視線を戻した。


「中学に落ちて不甲斐ないと思っているのは間違いない。が、正直、落ちてほっとしている自分がいる事に気づいた。知っている人がいない学校に一人きりで行くのは不安だった。僕には琥都ちゃんしかいない。学校で琥都ちゃんと言ったらクラスの子に笑われた。おかしいのかな。これからは、学校では人見くんと呼ぶことにする。」

 

 あの頃、俺は皆から嫌われていて、親しくしてくれるのは善次しかいなかった。けれど、善次も同じ感情だったのは以外だった。


「あの子、なかなか友達が出来なくって」


 叔母さんの言葉が蘇る。まさか、そんなはずはない。彼は皆に好かれていた。俺に固執する事も依存する事も、彼には必要ないはずだった。わからない。わからないのを見ないふりをして、俺は善次の言葉に立ち返る。


「僕には琥都ちゃんしかいない」

 

 この言葉を見て、口元が緩むのを自覚した。善次も嬉しいと思ってくれていた。俺の元に白日の光が差し込んだ。が、それも束の間で、俄かに雲が太陽を遮って暗い影を落とす。


 心が曇るのは、叔母さんの言葉を思い出したからだった。同じ物を好きだと思っていた。同じ物を嫌いだと思っていた。けれど、実際はそんな事なかった。善次は俺に合わせていただけだった。善次は俺に心のうちを話さなかった。嘘をついていたわけではない。そういうわけではないけどーーこの感情に適切な言葉が見つからない。


 とにかく、俺は善次の心の内を読み進める事にした。


「四月十日。今日のお弁当はサンドイッチだった。弁当箱の蓋を開けた瞬間、うわあと思った。母さんはアメリカが好きだった。アメリカ人に憧れて、アメリカの料理をよく作った。

 このサンドイッチは一方の面にピーナッツバターを、もう一方の面にイチゴジャムを塗って合わせてある。正直微妙だ。せめてどちらかにして欲しい。胃がムカムカして、一つ食べるのがやっとだった。だから残りは琥都ちゃんにあげた。」


「四月十一日。琥都ちゃんは菓子パンばかり食べている。お母さんは忙しいのだろう。今日は顔よりも大きなパンを食べていた。琥都ちゃんはよく食べる。あんなに小柄なのに。ちょっと不思議。スイートブールか銀チョコロールか、それかたまにロールちゃんを食べている。これは、琥都ちゃんの好物で、たまにしか見かけないらしい。それであると必ず買うんだって言ってた。」


 日記に出てくるのは俺の名前ばかりだった。善次は俺の事をよく知っていた。話した事をちゃんと覚えている所が善次らしかった。


 あと、よく食べ物をくれていたが、あれは善意からではなくて、要らないからくれていた時もあったのを知って、俺は驚いたと共に笑わずにはいられなかった。それは、善人だった善次にも人間らしいところが垣間見えたから。


「四月十八日。英語の授業の時、琥都ちゃんが当てられた。琥都ちゃんはあっさり『わかりません』と言ってのけた。そうしたら、氷見先生に詰められていた。けれど、琥都ちゃんは全く臆さない。『先生が面倒見てくれるんですか』と言った時にはひやりとしたけれど、ちょっと笑いそうになった。琥都ちゃんは強いな、すごいな。僕は到底ああなれはしない。

 あの後、先生に残りなさいと言われていたけど、琥都ちゃんは帰ってしまった。怒られないかな。ちょっと心配。次からは一緒に予習しようと思う。」


 読みながら、そんな事あっただろうかと思った。よく、覚えていない。でも、善次が英語の訳を合わせようと言ったのは覚えている。合わせようと言いつつも、俺が善次のを写しただけだったが。


「六月一日。中間テストの答案が返ってきた。まあまあの点だった。悪くない。けれど、父さんは一番じゃなきゃ駄目だって言う。テストが終わったからって気が抜けない。日々の積み重ねだ。努力し続けなければ、また落ちてしまう。そうなれば、ちょっとそれは想像したくない。今度こそはと思う。でないと僕には何の価値もない。」


 俺はここで日記を閉じた。供給量が多過ぎて、受け止めきれない。善次は自分自身を追い詰めていた。中学を落ちた事に、罪悪感を持っているようだった。それから、善次の父親の姿を初めて感じた。


 想像してみる。善次と似ているのだろうか?でも、善次は叔母さんに似ているからーーああ、駄目だ。少しも姿が浮かばない。


 床にごろりと仰向けになった。目を閉じた。浮かぶのは微笑んだ顔ばかり。苦悶の表情など浮かびやしなかった。



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