最終話 この世界のどこかで
クーデターが起きて鎮圧されるまでの数日間、エルはマリアの家に身を寄せていた。
クーデターが鎮圧され、王国軍の勝利に城の周りの街が歓喜の祭りを開いた。人々は喜びにあふれていたが、じきにこの戦いに参加したアラン王子の訃報が入ると、その喜びの祭りは終わり、その死を悼む空気が流れた。
お城でアラン王子の葬儀が行われる日に、エルはレッド家から去ることにした。
エルはもとから少ない荷物をまとめて、そしてレッド侯爵やお世話になった使用人たちにお礼を告げた。
「本当に、本当に出ていくの?」
屋敷の門の前で、マリアが何度目かの質問をした。エルは、はい、と頷いた。マリアは悲しそうに眉をひそめた。
「…ねえ、ずっとここにいてもいいのよ?」
マリアはそうエルに言う。エルは微笑んで頭を横に振った。マリアは、…そう、と目を伏せた。
すると、レッド家に来客の馬車が来た。それはレグラス家のもので、中からはルーナが出てきた。
「ルーナ様?」
エルが言うと、ルーナは、様はもうやめて、と文字を書いた。エルは、元気そうなルーナの姿に顔をほころばせた。
「(エリィがここにいると聞いて、殿下の弔問の前に寄ったの)」
ルーナの文字に、エルは、はっと馬車の方を見た。するとルーナは頭を振った。
「(ご主人様はまだ身体がよくなくて、来られなかった。…心もかなり落ち込んでしまって…。だから私と執事が代わりに葬儀に参列することになったの)」
ルーナの文字に、マリアは、そう…、と眉をひそめた。
「仲がよろしかったらみたいですものね、あのお二人」
マリアがそう言って目を伏せた。ルーナも悲しそうに目を伏せた。エルはそんな2人を見て、…それじゃあ、と声を上げた。
「私はこれで。…本当に、お世話になりました」
エルは深々と頭を下げた。マリアとルーナは顔を見合わせて、そして、2人とも不安そうな顔をした。
「…本当に大丈夫?馬車を出すわよ?」
「大丈夫です。王都からよりは近いですし」
エルはそう言うとまた頭を下げて、そして歩き始めた。あの港町に向かって、エルはひたすら歩いた。王都へ王子の葬儀へ向かうたくさんの人達の流れに逆らって、エルは歩き続けた。
数日後、エルはようやく港町にたどり着いた。昼過ぎに着いたエルは、まっすぐに食堂に向かった。すると、エルの顔を見て驚いた顔をしたダンと目が合った。
「…ただいま戻りました」
エルはそう言って頭を下げた。ダンは驚いた顔のまま、えめっ、エメラルドっ!と声を上げた。厨房から、なに、とエメラルドがやってきた。エメラルドはエルの顔を見ると目を丸くした。エルはエメラルドを見上げて、小さく笑った。
「…帰ってきてしまいました」
エルの言葉に、エメラルドは少しだけ真剣な顔をした後、優しく目を細めた。
「おなかが空いただろ、何か食べな。ご馳走出してあげるから」
エメラルドはそう言ってエルの背中を優しく押した。エルはエメラルドの声に、手に、胸の奥から苦しいものがあふれて、涙がこぼれそうになったけれど、ありがとうございます、と言って笑った。
エルの港町での生活が再開して、数ヶ月が経った。
ここでの生活に身体が慣れるのに、それほど時間はかからなかった。
エメラルドもダンも、エルに何があったかは聞かなかった。ただ前までと同じように2人は接してくれた。それはエルにとってとてもありがたかった。
エメラルドに怒られながら、不器用にダンに慰められながら、エルは待ちの人々の騒がしい声や笑い声に囲まれて、忙しく食堂で働いた。
エルは、エメラルドから1ヶ月分の給料を受け取った。前までのように給料のほとんどを貯金して、そしてエルはパン屋へクッキーを買いに行った。
目当てのクッキーを買って、エルは海の側を歩いた。すると、休憩時間らしきケインの姿を見かけた。ケインはエルに気がつくと、おう!と手を振った。
「またそれかよ」
ケインはエルの手にある紙袋を見て笑った。エルは、好きなんです、と笑う。
「召し上がりますか?」
「遠慮する。全部自分で食うべきだって」
ケインはそう言って海の方を見た。エルはそんな彼の横顔を見た後、空を見上げた。もうすぐ夏が来る青空をカモメが気持ちよさそうにとんで行く。
「あーあ、俺はいつ結婚できるんだ」
ケインがそう呻く。どうやら、意中の彼女は別の人と結婚してしまったらしい。思いを伝えられなかったらしい彼に、エルは、そのうちですよ、と慰める。ケインはそんなエルの方を見た。
「…そう言えば、お前は俺のこと馬鹿にしないな」
「馬鹿に?なぜ?」
「意気地なし、とか、根性なし、とか…」
「…」
エルは目を丸くしてケインを見た後、少しだけ目を伏せる。そして、…難しいですもの、と悲しそうに笑う。
「言えばよかったのに、なんて、後から言うのは易いです、…その時にちゃんと伝えることは、…きっととても難しいことだと思うから…」
エルはそう言いながら胸の奥の痛みを感じる。ケインは、そんなエルに、へー、と呟く。
「都会で色々経験してきた女は違うな」
ケインの言葉に、エルは苦笑いを漏らす。ケインは、ふーん、と呟いた後、なあ、と言った。
「やっぱ結婚しねえか?俺ら」
「ええ?」
エルは目を丸くした。しかしすぐに、ごめんなさい、と頭を下げた。そんなエルに、へえへえ、とケインは呆れたようにため息をつく。
「結婚するなら本当に好きな人と、ね。夢見がちだと行き遅れるぞ」
ケインはそう言うと、一度うんと伸びをして、じゃあな、と手を振って歩き出した。エルは、その背中に軽く会釈をして、そして空を見上げた。
エルは山に入り、お気に入りの場所に向かった。そして、小川の流れるそばでエルは体を横たえた。木漏れ日から差し込む日差しに目を細めて、エルはぼんやりと空を見上げる。
「(……あの日…)」
エルは、アランとここで再会した日のことを思い出す。死んだと思っていた自分がここに現れて、アランはどんな気持ちだったのだろう。
エルはゆっくりと体を起こす。そして、周りを見回す。周りは静かで人の気配はなく、ただ自分が動く音が響くだけ。
エルは、そんなわけがない、と呟くとまた体を横たえた。そしてまた空を見上げる。
空を見上げていたら、目から涙が溢れた。嗚咽を漏らしながら、エルは顔を両手で覆った。失った方の身になってようやく、エルはあの時のアランの気持ちを理解できた。ただただエルの泣く声ばかりが、静かに辺りに響いた。
気がつけば夕暮れ時になっていた。エルは山の方から町へ戻ってきた。海の側を歩きながら、エルは夕焼けに染まる海を見つめて立ち止まった。潮風が髪を揺らす。エルは空を見上げて、そして目を閉じる。海の匂い、風の匂い、それらを全身で感じて、深呼吸をする。
大切な人を短い間に何人も失った。欠けた部分は何ものにも代えられない。一生埋まらない胸の穴を、ただただ抱えていくしかない。
自分の足でたどり着いたこの場所で、今は必死で生きるしかないのだとエルは思う。痛くても苦しくても、それが自分の選んだ道の先である以上は。
「(…わかっている、そんなこと、わかりきっている)」
エルは、鼻の奥がつんとするのを感じた。泣きはらした目にまた涙があふれそうになる。
今はまだこの苦しみを受容できなくても、それでも、日々の暮らしを積み重ねていくしかない。ここで足元をすくわれては、死人につられて自分まで死人みたいになってはいけないと大口をたたいたあの日の自分の顔がなくなる。
全然大丈夫なんかじゃない。自分はまったく強くない。でも、それでいい。それでもいいのだ、今は。
エルは自分にそう言い聞かせた後、目をゆっくりと開けて、そして深呼吸をした。波の音と風の音が、優しく耳から身体に流れ込む。
「エリィ」
聞こえるはずのない声がして、エルは一瞬呼吸が止まった。声の方を見ると、そこには、王子とは思えないような質素な服を着て、左手には杖をついた、アランと瓜二つの男性が立っていた。
「えっ…」
エルは動揺しながらアランにそっくりな男性の前に立った。そして、頭から爪先まで何度も何度も眺めた。
「…ゆ、夢…?現実…?」
エルは恐る恐る呟いた。アランはそんなエルに目を丸くした後、小さく笑った。
「君のことがどうしても諦められなくて、ここまで追いかけてきてしまった」
アランはエルの目を見てそう言うと、もう一度笑った。そんな笑顔を、エルは呆然と見上げる。アランを見つめる視界がどんどん歪み、エルは唇を震わせた。そして、涙が目から溢れた。アランは優しい顔でエルを見つめると、彼女を抱きしめた。エルは何も言えずに、ただただアランの腕の中で泣き続けた。
なんとかエルの涙がおさまった頃、エルはアランと並んで海を眺めていた。
「あの…どうして、一体なぜ…?」
エルは、アランが生きていたことが嬉しくてたまらないけれど、しかし何がどうなっているのわからずに、困惑した様子でアランを見上げた。アランはエルの方を見ると、…あの日、と口を開いた。
「戦いの決着がついた時、俺は敵から受けていた攻撃の傷で、右足に感覚がなくなっていることに気がついたんだ。上手く治っても前までのとおりには体を動かせないのかもしれない、…これまでのように軍での仕事はできないのかもしれないと思って、少し脱力していたら、そばにいたマシューが俺に言ったんだ。もう王子としての君は、死んだことにしたらいいんじゃないかって。前回の戦と今回のことで、もう十分王子として国に報いただろうって。…そう言われて、決心がついたんだ」
エルは、アランのほうを見上げて、そうだったんですか…、と呟いたあとすぐに、でも…、と呟いた。
「よくそんな、死んだことに、なんてできましたね…」
「…それを君が言うのか」
アランの苦笑いに、エルは言葉を詰まらせたあと、一国の王子と没落貴族の令嬢とではまた話がかわります…、と小さく言い返した。
「俺の遺体は戦いの中で城の堀に落ちて、そのまま流されて行方が分からないことになっているそうだ。誰も俺のことを疑っていないから、諸々のことはマシューが上手くやってくれたらしい」
「ま、マシューが…」
「彼の家は代々王家から、表では言えないような色んな仕事を頼まれていたらしいから、これもお手の物だって、言ってたな」
アランの言葉に、エルは朗らかなマシューの顔を思い浮かべて、人は見かけによらない、と心の中で呟いた。
「マシューの助けを借りて、傷の治療をしてもらっていた。身体が戻るように訓練も受けて、元通りとは言えないまでも、日常生活に支障のない程度にはなれた。だから、ここまでやってきた」
アランはエルを見つめて言った。エルは、ゆっくりアランを見上げた。そして、少し不安そうに眉をひそめた。
「その、…大丈夫ですか?これから正体を隠して平民として生きていく、ということですよね?その…だ、大丈夫…ですか?あの、びっくりするくらい、これまでと何もかもが違いますけれど…」
「…それも君が言うのか…」
「だ、だから、私はもともと貴族の中では貧乏でしたから!アラン様とはわけが違いますし…」
「…どうだろうな、どんな生活になるのか、想像もつかない」
アランは海を見つめて言う。エルは、おずおずとアランのほうを見つめる。すると、アランはまたエルの方を見て、そして優しく笑った。
「でも俺は、これから君と生きていけることが、幸福でしかたがないんだ」
アランはそう言って目を細めた。エルは、夕焼けに染まるアランを見つめる。海風が吹いて、二人の髪が揺れる。エルは一度目を伏せたあと、目を閉じて、そして真っ直ぐにアランを見つめた。
「私もです」
エルの言葉に、アランは目を丸くする。エルは、アランに近付くと、そっと彼に抱きついて、そして頬を寄せた。
「周りの人たちのことばかり気にして、私は、大切なあなたときちんと向き合うことができなかった。本当はずっと、ずっと願っていました。あなたと2人で生きていきたいって。出会ったころからずっと」
エルは、目に涙をためて、ずっと言えなかった言葉を紡いだ。溢れ出る本心が重くて苦しくて、それでも、ようやく伝えられたことに心が震えるほど嬉しかった。
「愛しています、あなたのことを。愛なんて言葉の意味なんてわからないほど幼いころから、ずっと」
エルはそう言ってさらに深くアランを抱きしめた。アランは苦しそうに眉をひそめて、そして小さく息を吐きながら、エルを抱きしめ返した。アランはエルの肩に顔を埋めて、そして、途切れ途切れに嗚咽を漏らした。エルは、アランの肩に手を回す。もうこの手を離したくないと、エルは心の底から思った。
エルはアランを連れて、夜の営業が始まる直前の食堂に向かった。エルは扉を開ける前に、一度深呼吸をした。
「…そういえば、アラン様ってエメラルドさんと会ったことありましたよね…?」
エルはアランに尋ねた。アランは、2度ほどあったな、と返した。エルは、さーっと顔を青くした。
「…まずいですよね。あの時、王子だってしっかり紹介もしちゃったし…。騒ぎになったら…」
「でも、たった2回だし、かなり前の話だ。さすがに覚えてないだろ」
「お、覚えてない…かなあ…」
エルは、アランをじっと見つめた。一度見たら二度と忘れられなさそうなほど整った容姿のアランに、エルは頭を抱える。
「いや、覚えてる、覚えてると思います…!」
「考えすぎだよ。万が一怪しまれてもしらばっくれるよ」
「あの、もう少し細かく設定を考えませんか?例えば、もともとどこに住んでたとか、何をしていたとか…」
「エリィ?扉の前で何やってんだい」
エメラルドが勢いよく扉を開けた。エルは、ひっ、と悲鳴をあげて背筋を伸ばした。エメラルドはエルを見た後、ん?と首を傾げてアランを見た。
「…アンタ…」
エメラルドはまじまじとアランを見る。エルは、背中に冷や汗がだらだらと流れる。
「良い男だねえ〜!こんな田舎になんでこんな男がいるんだい?」
エメラルドは両手を合わせてそう手放しにアランを褒めた。エルはエメラルドの様子を見て、あれ、覚えてない…?と心の中で呟いた。
アランはエルの隣に立つと、はじめまして、とエメラルドに頭を下げた。
「彼女と、結婚を前提にお付き合いさせていただきたくてご挨拶に伺いました」
アランの言葉に、エメラルドが固まる。エルは、またそんないきなり…!と冷や汗をかきながらアランを見上げた。
先ほどまでアランの容姿にきゃっきゃしていたエメラルドは、急に鬼のような表情に変わった。
「うちのエリィとけっこんだあ…?!」
エメラルドはギリギリとアランを睨みつける。アランは怯えずに真摯な態度でエメラルドと対峙する。エルはおどおどと、アランとエメラルドを交互に見る。
すると、騒ぎを聞きつけたダンが、どうした…、とやってきた。エメラルドはダンに、エリィと結婚を前提に付き合いたい男だって…!と怒りながら説明した。ダンは目を丸くしたあと、エルの方を見た。そして、嬉しそうに目を細めた。
「…そうか」
そう言ったダンに、エメラルドが、ああ?!と威嚇した。
「エリィの夫になりたいとかぬかす奴だよ?!甘い顔をしちゃ駄目!」
「…エリィが良いなら、俺は何でもいい」
ダンの言葉に、そりゃアタシだってそうだけど…、とエメラルドが口ごもる。エメラルドはしばらく黙ったあと、キッとエルの方を睨んだ。
「エリィ!」
「は、はい!」
エメラルドに声を上げられて、エルは背筋を伸ばした。エメラルドはじっとエルを見つめた。
「…この男が、好きなんだね?」
エメラルドはそうエルに尋ねた。エルはエメラルドの方を見つめた。そして、はい、と頷いた。そんなエルに、エメラルドは少しだけ唇をゆがめて目を潤ませたあと、口元を緩めた。
「…ならいい!!ノープロブレム!!」
とりあえず中にはいんな!とエメラルドは促した。
エルとアランは、エメラルドとダンと向かい合って椅子に座った。
エメラルドは、で、とアランの方を見た。
「アンタ、名前は?」
「申し遅れました、アランともう、」
「あーっ、あ、あっ、あ…、あー…、アイル…、アイルです…!」
普通に自己紹介を始めたアランに割り込んで、エルが偽名を告げた。エルは、エメラルドとダンに2人とも偽名で接することになる、ということに罪悪感がわいた。しかし、これからエルとアランは、エリィとアイルとして生き直すのだと思えば、それでいいような気もした。
エメラルドは、アイルね、と頷いた。
エルは、それで…、とおずおずと2人の方を見た。
「アイルをここで住まわせることはできますか?」
エルがそう聞くやいなや、椅子に座っていたダンがひっくり返った。エメラルドが、大丈夫?とダンに尋ねた。ダンはしばらく呆然としたまま床に横たわったあと、ゆっくり椅子と共に起き上がった。
「…すまない、アイルがエリィと同じ屋根の下にこれから住んでもいいかと聞かれたのかと思って…」
「そう言ってたじゃないか」
エメラルドの言葉に、またダンはひっくり返った。エメラルドは呆れたように床に横たわるダンを見た。
「結婚を前提にって言ってんだから、そりゃ上手く事が進めば遅かれ早かれ一緒に住む事になるだろ」
「……」
「あんなにエリィがボーイフレンドを連れてきたことに喜んでたくせに、なんで現実的な話をし始めたら急に面倒くさい父親みたいになるのさ」
エメラルドは小さくため息をついた。ダンは起き上がると、深呼吸をした。
「…エメラルドが良いのなら…」
「アタシは構わないよ。エリィの選んだ人だ、二言はない。それに、家族が増えてアタシは嬉しいくらいさ」
エメラルドはそう言って笑う。エルはそんなエメラルドにつられて笑う。
「さあて、とりあえず今日は店を休むかな。婿の歓迎をしなくちゃ」
エメラルドはそう言って立ち上がった。するとダンがすかさず、仮の婿だ仮の、とつけ足した。エメラルドは呆れたように、最初のどっしり構えたセリフはなんだったんだい…、とため息をついた。エルとアランは顔を見合わせて、そして笑った。
ダンの用意した食事を囲んで、アランの歓迎会が開かれた。
とりとめもない話で談笑をしたあと、そういえば、とエメラルドが言った。
「アイルは明日からこの店に出るかい?」
エメラルドはアイルを見つめて、うーん、と考え込んだ。
「厨房…もいいが、ウェイターだな。うん。客がわんさか釣れそうだ」
エメラルドが自分で言いながら、うんうん、と頷く。エルは、アラン目当てに客が来るのが容易に想像できて、変な噂が立たないか危惧した。しかし、この町に住む以上、彼の見た目が話題になるのは避けようのないことかと諦めた。
「(…まあ、アラン殿下はしらを切ると言ってたし、彼なら上手いことかわすんだろうな…)」
「…もし可能であれば、他に決まりそうな仕事があるんです」
アランはエメラルドとダンに言った。エメラルドは、そうなのかい?と呟いた。アランは、はい、と頷いた。
「この町の教会で子どもに勉強を教える人を募集していて、話をしたら頼みたいと言われました。もちろん、そこでの仕事がない日はこの店を手伝わせてください」
「無理はしなくていいけど…、へえ教師ねえ、いいじゃないか」
エメラルドはそう言って笑った。エルは、前に教会で子どもたちに懐かれていたアランを思い出して、小さく微笑んだ。
アランは、この店を手伝わせていただきたいんですが…、と少し言いよどんだ。
「俺は少し足が悪くて、普通の人より時間がかかると思います。ご迷惑にならないか、それが気がかりで」
「何言ってんだ。そういう事情があるなら、遅いだけのことで誰も何も言わないよ。仮に何か言うヤツがいても、アタシが追い返してやるから」
エメラルドはそうはっきりと言った。アランは目を少し丸くしたあと、ありがとうございます、と微笑んだ。
歓迎会が終わり、エルとアランは部屋に戻った。アランは、しばらくの間は空いていた部屋に住むことになった。
エルが部屋で寝る支度をしていると、扉がノックされた。扉を開けると、エメラルドがいた。
「これ、アイルに持っていっておやり」
エメラルドはそう言うと、寝間着をエルに手渡した。エルは、ありがとうございます、と言ってそれを受け取った。エメラルドは優しい目でエルを見つめていた。エルは、エメラルドを見つめ返して、そして深々と頭を下げた。
「私たちのこと、受け入れてくださってありがとうございます」
「いいや。…アンタ、帰ってからずっと浮かなかったから、…安心した」
エメラルドはそう言って微笑む。エルは少し慌てて、ご心配をお掛けして…、と頭を下げた。エメラルドは、いーからいーから!とエルの背中を叩いた。
「幸せになりな。いい男じゃないか。…ま、なんか違うなと思ったら別れたらいいんだから」
エメラルドはそう言って笑う。エルは目を丸くしたあと、小さく吹き出して、そして、はい、と微笑んだ。
エルは、アランの部屋をノックして、返事を聞いてから扉を開けた。窓から夜空を眺めていたらしいアランが、エルの方を見て、やあ、と言った。
「どうかしたの?」
「寝間着です。エメラルドさんから預かりました」
「ああ、ありがとう」
アランはエルの手から寝間着を受け取った。そして、それをテーブルに置くと、また窓から空を見た。
「ここは、星がきれいに見えるな」
アランはそう言った。エルはアランの隣に行って、アランの見上げる星空を見た。
「海の側から見る星もきれいなんですよ」
「へえ、見に行きたいな」
「ええ、また行きましょう。ご案内します」
エルはアランの方を見てそう微笑む。そんなことが約束できる今が途方もなく幸せで、エルは胸が震える。アランはエルを見つめて、ありがとう、と優しく返事をする。
この世界にある美しいものを、これからこの人とたくさん見ていきたいと、エルは思う。ここでならやっと、一緒にいられるのだから。
アランは、不意にエルを抱きしめた。エルはアランの体温やにおいを感じながら、小さく微笑む。
「まだ夢をみているみたいだ。こうやってまた、君と一緒にいられるなんて」
アランはそう言ってエルの背中に手を回す。エルは、アランの肩に顔を埋めて、目を閉じる。エルはしばらくアランに抱きついたあと、彼の肩から顔を上げると、触れるだけのキスをした。アランは少し目を丸くすると、じわじわと頬を赤く染めた。
「それは…卑怯だな、とてもじゃないが看過できない」
「ひ、卑怯?」
「あれだけ牽制されて、君に何もできるわけがない俺に対する挑発行為だ」
アランはそう少しだけ口をとがらせると、またエルを抱きしめた。エルはアランの腕の中で、これは何もしていないうちにはいるのだろうかと考える。
「(…そんなことは、どうだっていい)」
エルはアランに頬を寄せて、そう心の中で思う。手の届く距離にアランがいて、明日も一緒にいられる。今はそれだけで充分なのだ。
エルは、アランが耳まで赤くなっていることに気がつくと、アランの頬を両手で包んだ。アランは少し驚いたような顔をすると、どうしたんだ、と優しく尋ねた。そんなアランがたまらなく愛おしくて大切で、エルはまたアランにキスをした。




