27 元令嬢と王子様
馬車に揺られながら、エルは呆然としていた。ただただ無心で、ネルの家族の眠る場所へ向かった。
ネルの家族の墓は、小さな教会の墓地にあった。エルは、ネルの家の墓を探して、そしてそこに道中で買った花を供えた。エルはしゃがみ込み、そして、その墓にネルのブレスレットを置いた。綺麗な花のブレスレットが、太陽に反射して輝く。
エルは、墓の前にしゃがみ込んだまま、そのブレスレットを見つめた。
「ねえ、ネル」
エルは静かにそう話しかける。
「あなたがどれだけ1人で苦しんでいたのか、私は最期までわかってあげられなかったね」
風が吹き、墓に供えた花やエルの髪が揺らされる。
「わかってくれなんて頼んでないって、あなたなら言うのかな」
エルはそう問いかける。返事などもちろんない。自分以外誰もいない、しんと静かな辺りに、エルの心臓は掴まれたように痛み出す。
痛みを抱えながら、両手を重ねてエルは祈る。祈ることしかできない。これでよかっただなんて思いたくないけれど、それでも、空の上にいるネルのことをただ祈った。
「ネル、さようなら…」
また馬車に乗って、エルは自分の両親とネルの妹が眠る教会へ向かった。
辺りはもうすっかり夕暮れに染まっていて、予定していたよりも帰る時間が遅くなりそうだとエルは思った。
エルは両親の墓に向かった。花を供えて、そして、これから自分は港町で生きていくことを伝えた。いつでも自分の幸せを願ってくれた両親ならきっと、エルのした選択を肯定してくれると、エルはそう信じられた。
「(…お父様、お母様…)」
エルは優しい両親の顔を思い出す。エルは両手を重ねて彼らのことを祈った。
そして、次にネルの妹が眠る墓の前に来た。エルは彼女の前にも花を供えた。
「きっともうすぐ、帰れますから…」
エルはそうネルの妹に話しかける。そして、エルは両手を重ねて祈る。
すると、背後から足音がした。エルははっとして振り返った。すると、そこにはアランの姿があった。
「…あ…」
エルは動揺して立ち上がった。アランはエルの方を神妙な顔で見ていた。
「どうして、ここに…」
エルは動揺を隠せないままそう尋ねた。アランはエルの方をまっすぐに見つめた。
「…ミシェルの話を兄さんたちと終えて、…こんな状況の君を1人にできないと思って追いかけてきたんだ。そうしたら、城の馬車がここへ向かうのが見えたから」
「……」
「……君は、なぜここに?」
アランはどこか重々しくエルに尋ねた。エルは息を呑んだ。突然のことに動揺して、自分がこれまでどんな嘘で誤魔化してきたのか、咄嗟に思い出せなかった。
「(…祖母の墓がある、んだっけ?母?父?どういう設定にしていたんだっけ……)」
焦るとどんどん混乱した。エルは背中に汗をかきながら、えっと…、と言葉を探した。
「(…だめだ、動揺するのが一番怪しい)」
エルはそう自分に言い聞かせるが、聡いアランには普段よりもさらに気をつけなくてはいけないのに、などと考えると、余計に焦った。
「(だめだ…嘘ばかりついていたから、こういうときにめちゃくちゃになるんだ…)」
エルはそんな今更な後悔をする。いっそ本当のことを言おうかという考えが過ぎる。けれど、もう城では生きないと決めた以上、エルが生きていたという事実はアランを苦しめるという考えに至る。母の墓がここにあるということにしていたことを思い出したエルはようやく口を開いた。
「母のお墓があるんです、ここに」
「君の?」
「はい。生まれは港町なんですが、私、赤ちゃんの頃から母とここに住んでいて、5年前くらいに母が死んで、それからエメラルドさんとダンさんと住み始めたんです」
エルはようやく、すらすらとそれっぽい嘘を吐いた。なんとか説明できたことに安堵しながらもふと、エメラルドが前にアランに、エルは幼い頃から店の手伝いをしていたと話していたことを思い出して青ざめた。
「(…だめだ、嘘で取り繕ってばかりだからこんなことに……)」
この場面で致命的なミスをしてしまい、エルは頭を抱えたくなった。
しかし、アランは一切の疑いを持たない顔で、へえ、と相づちを打った。
「そうだったのか」
エルは、納得した顔をしたアランを見て一瞬固まってしまった。
アランは、不思議な縁だな、と教会の墓地を見渡しながら言った。エルは少し呆然としながらそんなアランを見つめた。
「(…さすがのアラン殿下でも、あんなちょっとした会話はさすがに覚えてなかったか…)」
「…実は、初めてエルの墓に来たんだ。ずっと勇気が出なくて、…エルの死を真正面から見つめられなくて」
アランはそう、エル・ダニエルの墓を見つめて言った。エルはその横顔を見つめる。アランはエルの方を見た。夕焼けに照らされたアランの髪がきらきらと輝く。エルの目に痛いほど、綺麗に。
「俺はしばらくここにいるよ。君は用が済んだなら早く帰ったほうがいい。じきに暗くなる」
アランはエルにそう言った。エルは何も言えずに、彼に掛ける言葉を持たずに、ただ、はい、と頷くと立ち上り、待たせていた馬車に向かった。
深夜に城に着くと、エルはアランの部屋の書斎で泥のように眠った。
翌朝目を覚ますと、朝食の時間はとっくに過ぎていた。エルは、前に途中までまとめた荷物を、またまとめ始めた。その作業はすぐに終わり、エルは静かな部屋でそこまで多くない荷物をじっと見つめる。少しの着替え、お金、そして、メリーベルからもらった本。
エルは小さく深呼吸をすると、それらを使い込んだ鞄に詰め込んで書斎から出た。
アランの部屋には誰もいなかった。エルは静かな部屋を見渡して、深く頭を下げた。そして、何も言わずに部屋から出ていった。
城の廊下を歩きながら、エルは短いような長いような時間過ごした景色をぼんやり見つめる。ここからやっと出て行ける清々しさも、思い出の有り余るここから離れる悲しさも、今は鈍くしか感じ取れない。ただ早くここから去りたくて、エルは足を進めた。
中庭に出てくると、エルはマリアの姿を見かけた。マリアはエルに気がつくと、あっ、と声を漏らした。
「エリィ、聞いたわよ、ここを出ていくって」
マリアはエルに近づいて、そしてエルの手を握るとそう不安そうに言った。エルはマリアを見つめて、そして、はい、と頷いた。マリアはエルの返事に息を呑んだ。
「いつ?いつここから去るの?」
「…今日です」
エルの答えにマリアは一瞬絶句した。
「そんな急に…。ひどいわ、私に何も言ってくれないなんて…」
マリアは悲しそうに眉をひそめた。エルは目を伏せて、ごめんなさい…、と頭を下げた。マリアはそんなエルを見つめて目を少し丸くして、そしてまた悲しそうな顔をした。
「…いいえ、私のほうがごめんなさい、責めているわけじゃないの。あなたの辛い気持ちも痛いほどわかるもの」
「……」
「…私たち、もう会えないのかしら?」
マリアが確かめるようにエルに尋ねる。エルは何も言えずに黙り込む。
マリアの言葉に、エルは心臓が握り潰される。こんなに優しい人を、大好きな人を、大切な人を置いて、自分はこの城からなぜ去ろうとしているのか。マリアへの気持ちが溢れるけれど、それでもエルの中で決めた心は揺るがなかった。エルは力なく頭を振った。
「…わからない。…ごめんなさい」
「……エリィ、」
「…マリア様のことは大好きだけれど、でも、私はやっぱりここでは生きていけない」
「……」
エルの言葉に、マリアはそれ以上何も言わずにエルを抱きしめた。エルは、頬を寄せるマリアを感じながら瞳を閉じた。
マリアはゆっくりエルから体を離した。エルはマリアを見つめる。マリアは瞳に涙をためて、それでもエルを笑顔で見つめた。
「どうか…どうかお健やかに」
マリアはそう、エルに願う。エルは唇を震わせて、何も言えず、ただ黙って頷いた。
「あなたたち…」
後ろから声をかけられて、振り向くとシェリーがいた。エルは目を丸くして彼女を見つめた。
「シェリー様…」
「……早くここから去ったほうがいい」
憔悴した様子のシェリーがそう二人に告げた。エルとマリアは困惑しながらお互い目を追わせた後、シェリーの方を見た。
「ええと…どういうことでしょう?」
マリアがシェリーに尋ねた。シェリーは2人の方へさらに近づいた。
「…私の家が主体になって、クーデターを起こそうとしている。お父様は隣国とも前からつながってた。その力も借りて、私の叔父が、王家と遠縁の男を新しい王だという主張を通すつもりよ。もうじきに、この城で戦いが起きる。こっちが勝てる訳のないひどい力の差よ。この城だってめちゃくちゃになる。早くここから逃げたほうがいい」
シェリーの言葉に、エルとマリアは言葉を失う。
エルは、不意にアランの顔が浮かんだ。
「(…なぜあの時、アラン殿下は私の嘘に納得してくれたんだろう)」
エルはこんな時にそんなことが頭を過った。聡いアランが、なぜあの時エルの嘘の説明を素直に受け入れたのか。エルの中での疑問が、不確かな確信へと変わる。
「た、た、大変、そんなこと…、え、エリィ、取り敢えず私と一緒に逃げましょう、巻き込まれては…」
マリアがエルの腕を引いた。エルはマリアの声は耳に入らないまま、その手からすり抜けて走り出した。
先ほど歩いた道を戻って、エルはアランの部屋にたどり着いた。そして、ノックもせずに扉を開けた。するとそこには、マイクと共に戦の支度をするアランの姿があった。
アランはエルの姿を見ても、どこか落ち着いた顔をしていた。エルは肩で息をしながらアランを見た。
マイクは、エリィさん!と声を上げた。
「今、パーク派の軍勢がこの城に向っているという一報が入っています。早く逃げてください」
エルは、マイクの方は見ずにただアランの方を見た。アランはエルの目を静かに見つめたあと、マイク、と声をかけた。
「兄さんたちに伝えてきてくれ。こちらは準備ができたと」
「は、はい…」
マイクは、非常事態に気が動転しているのを隠せない様子で、慌てて部屋から出た。マイクが扉を開けた時、廊下から人々が慌てるような異常なほど騒がしい音が聞こえてきた。
扉が閉まり、部屋は静かになった。エルは一度深呼吸をした。そして、意を決したように唇を噛んだ。
「…気づいていたんですか」
エルはそう尋ねた。アランはただまっすぐエルを見つめていた。
「…昨日、本当は気がついていたんですか」
エル・ダニエルの墓前でのことをエルは思い出す。アランはエルを見つめたまましばらく黙り込んだ。そして、ああ、と頷いた。
「…薄々、そうではないかとずっと思っていた。自分にとっての都合の良すぎる勘違いだとももちろん思っていた。でもここ数日の君を見てきて、根拠のない確信をしていた」
「……」
エルは、目を伏せた。しかしアランは、でも、と続けた。
「でも昨日、君が゛エリィ゛として生きる選択をしたのを聞いて、俺は受け入れることに決めた。エル・ダニエルはもう死んだんだ、と」
エルは目を見開く。身体が震えだす。アランは窓の外を見た後、早く君もここから逃げるんだ、とエルに促した。
その時、エルは咄嗟にアランの腕をつかみ、そして自分の出せる精一杯の力で引っ張った。
「逃げましょう、私と一緒に」
エルはそうアランに訴えた。
「もうこんな世界のために、あなたがしてあげることなんかない。なんにもない」
エルはそう言ってアランを力尽くで引っ張ろうとした。アランはそんなエルを優しく抱きしめた。
「こんな世界のために、俺は今から戦いに出る訳じゃない」
アランはそうエルに囁く。エルはアランを見上げた。アランはエルと目を合わせると、優しく目を細めた。綺麗なその瞳を見つめながら、エルは目の奥から涙がこみあげた。
「…行かないで…」
エルはそう声を絞り出した。昔からずっと、エルはただ、アランと笑っていたかっただけなのだ。たいそうなことなんか何も望んでいなかった。ただアランのそばにいたかっただけ、それだけ。王妃になりたいわけでも、家を大きくしたいわけでもなかった。それなのに世界が許さなかった。今度はアランすら奪おうとしている。
アランはそう言ったエルに少しだけ目を丸くしたあと、優しく笑い、エルの頬を両手で包んだ。
「愛している」
アランはエルにそう告げると、彼女から手を離した。その時、マイクが勢いよく扉を開けて入ってきた。
「殿下、エドワード殿下の準備が整いました。…ラインハルト陛下は城から脱出されたようですが…」
「…わかった」
アランはそう言うとマイクの方へ歩いた。
「エリィを安全なところへ逃してやってくれ」
「は、はい」
アランはそう言うと部屋から出た。外で待機していた兵士数名がその後に続いて歩きはじめた。
エルは慌ててその背中を追いかけた。部屋の外の廊下は、戦いのために準備をする貴族で慌ただしかった。アランを追いかけようとするエルの腕を、マイクが勢いよく引っ張って止めた。
「駄目です!あなたはこっちです!早く城から逃げでください!」
「離して…、離して…!」
「エリィ!!」
背後からマリアがエルを呼んだ。マイクが、マリア様!と声をかけた。
「早く!こっち!!」
「でも、」
「エリィが逃げないなら私も逃げないから!!」
マリアがエルの手首を掴んで、彼女らしくない勢いでそう叫ぶ。エルはそんな彼女に、はっと息を呑む。マイクは、ほら急いで!とエルの背中を押した。
エルはマリアに手を引かれながら、混乱する城の中を走り、そして、マリアの家の馬車に乗って城から逃げ出した。
パーク家とその派閥が起こしたクーデターは、数日間にわたる厳しい戦いの末、王国軍によって鎮圧された。
クーデターが収まり、国王の無事と王家が守られたことに歓喜する国民のもとに、アラン王子が戦死した知らせが舞い込んだ。




