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25 元商人の娘の望み2

ロゼの部屋で、エルは着替えをして、そして怪我の治療を受けた。エルの頬は痛々しく腫れ上がっており、そして、蹴られたためか体の数カ所に打撲痕や擦り傷があった。


エルは窓越しに聞こえてくる雨音を、ぼんやりと聞いていた。ロゼが侍女にいれさせた紅茶の匂いが漂っていたけれど、エルはこれまでのお茶会のときのように心が躍ることはなかった。

 

「少しは落ち着いた?」


ロゼが紅茶を持った侍女と共にやってきた。エルは虚ろな目でロゼを見上げた。ロゼはそんなエルにも優しく微笑むと、エルの向かい側に座った。侍女がテーブルに2人分の紅茶を並べた。


「もうすぐでお茶菓子も来るから」


ロゼはそう、優しくエルに言った。エルはぼんやりと、ティーカップから立ち上がる湯気を眺めたとき、熱い紅茶を飲むことを想像して、急に口の中が痛んで、エルは目を伏せた。


「(…こんなことになるのなら、あんな事件、解決しなくてもよかったのかな…)」


不意にそんなことが頭をよぎった。ネルが死んで、シェリーの努力も叶わなかったこの結末は、あまりにも酷い選択だったとエルは狼狽した。

ルーナの手紙の存在なんか知らなければよかっただろうか。あのままヴェルドと結婚して、そしてシェリーと結婚したアランの愛人になって。そして侍女としてネルを雇えばよかったのだろうか。そうしたら、エルはネルと一緒にいられた。ルーナだって顔に一生残るような大きな傷をつけられることもなかった。もしかしてそれが本当の最善だったのだろうか。


「(…いや、違う…)」


エルはそう、詰まる喉を感じながら心の中で呟く。手紙を蔑ろにしていたらルーナの両親の無罪は証明できなかった。それに、ネルは執拗に真犯人の名前を知ることに拘っていた。きっと平民の無力さを知るネルにとって最初から、犯人の名前を聞いて、その犯人を刺殺することが唯一自分のできる仕返しで、そして、望みだったのだろう。


「(…ネルは悪かったのだろうか……)」


エルはそんなことを考える。家族を全員焼き殺して、そして、その命すらぞんざいに扱う犯人を殺すことが、そんなに悪いことなのだろうか。


「(…いいえ、悪い、ネルは間違いなく悪いことをした。人を殺した。ましてや尋問でも無実が証明された貴族を殺してしまったんだもの…)」


エルは一瞬冷静になる。しかし、沸き上がる不満が抑えきれない。感情ばかりが押し寄せて冷静でいられない自分に、エルは頭をかきむしる。ロゼは、そんなエルを心配そうに見つめる。


「(…もうここから出たい…離れたい…こんなところ……)」


エルはそんな考えで頭がいっぱいになると、勢いよくたちあがった。そして、驚いた顔で見上げるロゼに頭を下げた。


「…ご迷惑をおかけいたしました」


エルはそう言うと、逃げるようにロゼの前から去った。ロゼはエルを呼び止めたけれど、それを聞かずにエルは走り去った。






ロゼの部屋を出て、エルは城の廊下を走った。城を歩く貴族や使用人たちが怪訝な目でエルを見ている。殺傷事件がまたこの城で起きて、そして今度はとうとう上級貴族が死んてしまい、異様な空気が城に流れていた。けれど、エルはそんなことお構いなく走った。息を切らして、ロゼが用意したワンピースを揺らして、ただただここから逃げ出したくて、遠ざかりたくて、必死に走った。


「待つんだ」


エルが気が付かないうちに、前方から歩いてきていたらしいアランがエルの前に立ちはだかった。エルはよろめきながらアランを見上げた。

肩で息をして荒い呼吸を繰り返し、エルは虚ろな目でアランを睨むように見上げた。アランはそんなエルに悲しそうに眉をひそめたあと、ゆっくりと優しい顔をした。


「どこへ行くんだ」


アランは、エルを落ち着かせるように優しく尋ねた。エルはしばらく黙ったあと、港町に帰ります、と言った。


「もともと、あの日にここをでる予定でしたから」


エルはそう、無感情に言い放つと、軽く頭を下げてアランの横を通り抜けようとした。しかし、アランはそれを阻むように体を動かして、エルの前に立った。


「外は大雨だ。この雨はしばらく続くらしい。ここからあの町へは遠い。この雨が止んでから出ていったほうが安全だ」

「……」

「君はひどい怪我をしている。そんな状態で帰っては、家族も心配する」


アランは、エルを諭すように優しく言った。エルは、頭にエメラルドとダンの顔が浮かんで、急にはっとした。廊下の窓には大粒の雨が打ち付けられている。アランは黙り込むエルに、ほら、と優しく話しかけると手招きをした。エルは一度だけアランのほうを見上げて、そして力なく頷いた。







アランの部屋へ、エルはアランに連れられてやってきた。アランが部屋の扉を開けると、従者に支えられて杖をつくヴェルドがいた。アランはヴェルドの方へ駆け寄った。


「もう歩けるのか?」

「そんなわけないだろ。いつまでもここにいられないから、尋問が終わったタイミングで家に帰ろうと思ってたんだよ」


ヴェルドはそう言うと、アランの後ろにいたエルの方を見た。そして、眉をひそめると気まずそうにエルから目をそらした。


「…パーク侯爵の件は、大まかには聞いた」

「…そうか」


アランは静かに呟く。ヴェルドは軽く咳払いをした。


「とにかく、余計なことは考えるな、休むことだけに専念しろ」


ヴェルドはエルの方は見ずにそうそっけなく言うと、従者に支えられて歩き出した。アランはそんなヴェルドを見て心配そうな顔をする。


「何もこんな雨の日に去ることないだろ」

「家には雨がやんだら帰る。取り敢えず宿舎に戻る」

「それも雨が止んでからで構わないのに」

「いいんだ。…俺がいると休めるものも休めないだろ」


ヴェルドはそう言うと、従者とともにアランの部屋から去った。アランはヴェルドを見送った後、エルの方を見た。


「取り敢えず、部屋で休むといい。また食事の準備ができたら呼ぶよ」


アランはそう言うと、エルを書斎に促した。エルは、うまく頭がまわらないまま、ただ黙って頷くと、アランの書斎に入った。

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