22 元令嬢の初恋の成れの果て4
とうとう、エルがこの城から出る日が来た。この日は特に仕事はなく、朝起きたらそのままここから出ていくことになっていた。
ほとんどない荷物をまとめて、エルは使用人宿舎から出た。ここで仲良くしていた使用人たちとは昨日お別れを済ませた。エミリーやロゼにも別れを告げに行くべきか一瞬よぎったけれど、自分から彼女たちに会いに行く方法などなかったため、エルは諦めることにした。彼女たちに会えるタイミングを待つよりも、1日も早くここから出たかったからである。
エルは眩しい朝日を浴びながら、宿舎を振り返った。長いような短いような、とにかくたくさんのことがあったここでの生活だった、とエルは思う。エルは宿舎に頭を下げると、裏口に向かった。
「おーい」
すると、ネルに呼び止められた。エルは振り向いて、…ネル、と彼女の名前を呼んだ。ネルはエルの前にやってくると、エルと目を合わせた。
「今日が出ていく日だったよね」
「…ええ」
エルは頷いた。ネルはエルの浮かない様子を見て、少し目をそらしたあと、小さくため息をついた。
「良いように使われて終わった、…って、思ってる?」
「……」
エルは、もうその話をしたくなくて目を伏せた。そして、いいの、と言った。
「もう、…慣れてしまったから。これであなたの望みも一部叶うんでしょう?それだけが救いよ」
「私にツバでも吐いとく?」
ネルはからかうように言ったけれど、エルは笑わずに頭を横に振った。
「いい。…やっぱり私は、あなたに感謝してるから」
「かんしゃあ?」
ネルは鼻で笑った。あんたってほんとにバカだね、とおなかを抱えて笑うネルを見て、エルは力なく笑った。
「本当にごめんなさい、それとありがとうネル。…さようなら」
エルはそう言うとネルに背中を向けた。ネルはそんなエルの背中に、ねえ、と声をかけた。
「もうあの事件のことは忘れたら。私はもう、報酬をもらえる予定だから、それでチャラにしてやってもいいから」
エルはネルのほうを振り向いた。そしてまた力なく笑うと、目を伏せたまま歩き出した。ネルは、そんなエルにこれ以上何も言わなかった。
裏口まで向かう途中、エルはお城の中庭を通っていた。よく掃除をしていたあの人気のない中庭で、裏口の近くにあるため、どうしても通らなくてはいけなかった。なんとなく苦しい気持ちで歩いていると、エルはまた声をかけられた。振り向くと、そこにはシェリーがいた。
「あっ…」
エルは声を漏らしたあと、頭を下げた。シェリーは、お久しぶり、と少しつんとした様子で言った。シェリーは前までとは違い、健康そうな肌の色になっていた。表情も柔らかく、つきものが取れたようになっていた。おそらくアランとの結婚が決まり、重圧から解かれたからだろう。
「(……この人をヴェルドが選んだということは、あの事件の犯人はやっぱり……)」
エルは、そんな確信に行き着く。ヴェルドは、今のパーク派の勢いと、アランを支持する強さを組み合わせれば国王になれると思っていたから、あの火事の犯人を言いたくなかったのだ。
「(…ご結婚おめでとうございますと、言わなくてはいけない…わかってはいる……)」
エルは唇を震わせながら、頭では言わなくてはいけないとわかっている言葉が紡げなかった。自分を殺そうとした家の令嬢とアランが結婚して、そしてアランが国王になるという結末に、エルはどうにもやるせなかったからだ。
そんなエルの気持ちを知るわけがないシェリーが、いい天気ね、と空を見上げていった。彼女の美しい横顔を眺めて、エルは胸の奥がざわついた。
「(…でも、この方はアラン殿下のことがずっと…お好きだった…)」
エルはそんなことを考えて目を伏せた。自分を殺したのは彼女の父親であって、彼女は関係ない。アランを恋い慕ってくれる彼女となら、アランも幸せになれるのかもしれない。ましてや彼女は聡明で明るく、そして美しい。
パーク派が力を持てば他国に戦争をしかける国になるとか、もうそんなことはエルにはどうでもよかった。どうせ自分の力の及ばないところの話だし、自分に何ができるわけでもない。それに、周りの国だって戦争をしかけていく流れになっているのなら、この国がそれに乗るのだって間違いじゃないのかもしれない。どちらにせよこの国の行く末なんて、今のエルにはもうどうだってよかった。
「(…アラン殿下がこの方と幸せになる未来を、私は祈るしかない)」
エルは、そう思うとやっと、シェリーに頭を下げられた。
「ご婚約、おめでとうございます」
エルに言われて、あらありがとう、とシェリーは微笑んだ。その幸せな女性の眩しいほどの美しさに、エルは心臓が捻り潰される。エルは、自分の心に隠れていた醜い感情に動揺する。アランには自分を忘れて幸せになってほしいなんて戯言だったのだろうかと、エルは自分にさえ失望した。
「(…私と彼女は、何が違ったのだろう…)」
エルはそんなことを考える。アランと結婚できる彼女と、できなかった自分、一体何が違うのだろう。
戻れない過去ばかり眩しくて、エルは自分が歪みそうになる。彼女のようにはなれない自分が悔しくて、苦しくて、切なくて、虚しくて、それでもやっぱり心の奥底で、アランにはどうか幸せになってほしいという本心も共存していた。
エルはもう一度彼女の目を見て、そしてなんとか口元を緩めて微笑んだ。シェリーはそんなエルを見ると、すっと目を逸らして、そして、どこかもじもじと口をとがらせたり戻したりを繰り返したあと、ぱっとエルの方を見た。
「こっ…このまま無事アラン殿下と結婚したら、私、ここに住むことになるし、その…そうしたら、あなたのお世話になることだって…あるわよね?」
シェリーはそう言うと、エルの様子を伺うようにじっと見つめた。エルは少し目を丸くして、えっ、と声をもらした。するとシェリーは、ほ、ほら…、と少しあわてて続けた。
「あなた、ここの使用人でしょ?侍女もしてたとか聞くし、その、私の世話をすることだってきっとあるでしょう?」
「あっ、あの…私、今日でこのお城での仕事を辞めるんです」
「えっ…」
エルの言葉に、シェリーはあからさまに表情を曇らせた。エルは、そんなシェリーが不思議で首を傾げた。
「あの…何かありましたか?」
「………いいえ、べつに…」
そう言いながらもすっかり落胆した様子のシェリーに、彼女の気持ちがわからずにエルは困惑した。エルは、ええと…、と戸惑いながらも頭を下げた。
「それでは私、これで失礼いたします」
エルは深々とシェリーに頭を下げて、そして彼女の前から逃げるように去ろうとした。しかしシェリーは、ばっとエルの腕をつかんだ。
「ま、待って!」
シェリーはエルの腕を引いてエルを立ち止まらせた。エルは驚いて彼女の目を見た。
「い…行かないで…」
シェリーは、消え入りそうな声で言った。エルは、彼女の行動の意図が読めずに困惑する。シェリーは、目を左右に動かしたあと、ほら…、と声を漏らした。
「このお城に私、知り合いがほとんどいないし…、あなたがお世話をしてくれるなら…馴染みやすい…かなって……」
シェリーは、どうかしら…?とエルの方を見た。エルは、アランと結婚したシェリーの世話をする自分を想像して咄嗟に、い、嫌です!と頭で考えるよりも先にそう返していた。
「(…幸せになったアラン殿下が見たくてここに来た、なんて言ってたくせに…)」
エルはまた自分に失望する。それでも、好きな人に幸せになって欲しい気持ちと、別の人と幸せになった好きな人を見たくない気持ちは共存してもしょうがないと、自分で自分に言い聞かせる。
シェリーは、エルに断られてあからさまにがっかりした顔をした。エルは、シェリーの手からするりと抜けて、そして、頭を深く下げた。
「私もう…帰りたいんです、自分の家に…」
ごめんなさい…、と謝ると、エルは走ってシェリーの前から逃げ出した。
とうとう、裏口の前にエルは来た。小さく深呼吸をして、エルはその戸を開けた。もう二度と、ここへは来ないだろう、そんな覚悟でエルは一歩踏み出そうとした。
「…お前が、ローレンス伯爵の言っていた使用人か」
聞き慣れない低い声がして、エルは体を震わせた。恐る恐る振り向くと、そこにはなんとパーク侯爵が立っていた。エルは驚きと恐怖で声すら出なかった。
「…まさか本当に、生きていたとは…」
パーク侯爵はそう言うと、エルをまじまじと見た。エルは、自分はエルじゃない、ということすら恐怖で言えずにただ固まる。
「……後は任せたぞ」
パーク侯爵はそう言うと、後ろに控えていた一人の男を残して去っていった。エルは恐怖で頭がうまく回らないまま立ちすくむ。
男はエルの方に近づいてきた。そして、腰のあたりに手を当てると、何かを取り出した。エルは、それを確認して体が震えた。その手にあったのは、小さな剣だったからである。
「(……殺される…)」
エルはそう察すると慌てて逃げ出した。しかし、男はもちろん追いかけてくる。男はすぐにエルに追いつくと、エルに剣を振り上げた。それに驚いたエルはよろめいて転んだ。そのため、振り上げた剣から奇跡的に逃れられた。しかし、エルは転んだ拍子に腰を抜かしたのか、立ち上がれなかった。男はまた剣をエルに振り上げた。
殺される。そう思ってエルは固く目を閉じた。すると、誰かに上から覆いかぶさられるのをエルは感じた。
「えっ……」
目を開けると、なんと、ヴェルドがエルを剣から身を挺して庇っていた。ヴェルドを刺した男は震えながら、れ、レグラス卿…、と呟くと走って逃げていってしまった。
「う…、ヴェルド…、ヴェルド…!」
エルは、自分にかぶさってぐったりとするヴェルドの肩を叩いた。すると、自分の手にヴェルドの血がついていることに気がつく。短い悲鳴を上げたあと、ヴェルドを確認すると、脇腹に剣が刺さっていた。そこからは止め処無く血が流れ続けている。
「うそ…ヴェルド…、なんで、なんで…!」
「……俺が知りたい……」
ヴェルドは苦しそうにそう声を絞り出した。
「お前なんか…いなくなればいいと…今でも思い続けているのに……」
ヴェルドはそうかすれた声で言ったあと、それ以上は何も話さなくなった。座り込んだままのエルは、ヴェルドを胸に抱きながら、頭の中が真っ白になる。
周りには誰もいない。自分がこの、自分より大きな男を抱えてどこかへ行くのは不可能だ。
「どうしたら…どうしたらいい…誰か……誰か……っ!!」
エルは、どんどん生気を失うヴェルドの顔を見つめながら、震える手で彼の肩を抱いた。
「誰か…!誰か助けて……!!」
だれか……、とエルは絶望しながらうなだれる。
心臓が痛むのを感じながら、エルは唇を強く強く噛み締める。
「どうした…」
聞きたかった声がして、顔を上げるとアランがいた。アランは、顔面蒼白で座り込むエルと倒れたヴェルドを見ると、手に持っていた本を落として走って近寄ってきた。
アランはエルの腕のなかにいたヴェルドの息を確認すると、彼を抱き上げた。そして、こっちへ、とエルに言った。エルは何も考えられないまま、走り出すアランを追いかけた。




