22 元令嬢の初恋の成れの果て2
「……はい?」
エルはつい、ヴェルドの顔を二度見した。彼は変わらずに冷たい目でエルのことを見ていて、およそ求婚する人間の顔をしていない。
エルは額に手を当てて深呼吸をした後、軽く咳払いをして、今一度ヴェルドを見た。
「…あなたは、私のことが実は好きだったんですか?それとも、数年ぶりに再会して私のことを好きになったんですか?」
「そんなわけがないだろ」
ヴェルドは、そうさも当然のように言う。エルは、思っていた答えが返ってきてとりあえず安心しながら、ですよね、そうですよねと頷いた。そんなエルに、ヴェルドは呆れた顔をする。
「結婚に当人の気持ちは関係ない、と何度説明したら分かる」
意味不明なことを言い出した本人にそう馬鹿にされて、さすがにエルは少し頭に来た。エルはむっとしながらヴェルドを睨んだ。
「…それは、家同士の結婚に価値が見いだせる者同士だから成り立つ話でしょう?あなたは私と結婚してなんの意味があるんですか?そもそも、上流貴族のあなたが、田舎の平民と結婚できるわけがない」
「それは問題ない。古くから縁がある伯爵家にお前を養子にいれるように頼む予定だ」
ヴェルドの答えにエルは一瞬言葉を失う。エルは不可解がどんどん積み重なり、わけがわからなくなる。
ヴェルドに頼まれたという伯爵家にエルを養子にして何の得もない。だから、ヴェルドが何らかの代償をその家に払うことになるはずだ。そこまでしてなぜ彼は自分と結婚したがるのか、エルには皆目見当がつかなかった。
エルはわけがわからなくなり、助けを求めるようにネルを見た。しかしネルはエルを見ようとしない。エルはネルの様子を不穏に思いながらも、またヴェルドを見た。
「…何を、企んでいるんですか」
エルはそう尋ねた。ヴェルドは一度空を見上げた。そして、小さく息を吐くと、ゆっくり話し始めた。
「…国王陛下が亡くなられたことで、次の国王を早急に決めなくてはならない。最有力候補のラインハルト殿下は、同盟国の姫という手札を失った。アランが次の国王になるこれ以上ないくらいの好機だ。三大派閥の筆頭の家の令嬢と結婚ができれば、アランは国王になれる」
ヴェルドはそう、唇をかみしめながら言う。エルは、アランの望まないその話をしつこく進めようとする彼に、うんざりした気持ちで聞いた。エルは、それで、と口を開いた。
「それと、私とあなたとの結婚に、どういう関係があるんですか?」
「アランには、俺の勧める相手と結婚さえすれば、俺の妻を好きにしたらいいと言うつもりだ」
ヴェルドの言葉に、エルは絶句した。冬の冷たい風が体を刺したけれど、それ以上に怒りが体からこみ上げて、かっと頬が熱くなった。エルは、強く眉をひそめてヴェルドを睨んだ。
「あなたはアラン殿下を勘違いしている。あの人はそんな人じゃない」
エルはそう心から否定した。ヴェルドはエルを、自身の妻にすることで自分を隠れ蓑にしたアランの秘密の愛人にしようというのだ。そしてそれを餌のようにして、アランを派閥の令嬢と結婚させて、国王にさせようとしている。フィリップスに詰め寄った下賤なハロルドの顔が浮かんで嫌悪感が起きたエルは、頭を横に振った。
「ありえない。そんな条件、アラン殿下が飲むわけない」
「いいや、あいつは必ず俺の提案を飲む」
ヴェルドはそう自信ありげに言う。エルは眉をひそめてヴェルドを睨む。
「そんなわけがない、絶対にない」
「わからないのか?あいつはお前に情がある。俺とお前か結婚すると聞いて、それを放っておけるはずがない」
ヴェルドは、エルに一歩近づいた。
「お前にとっても良い話だろ。元々結婚するはずだった同士が、時を経てこうやって一緒になれるんだ」
ヴェルドは、そうエルの反応を確かめながら静かに言った。エルは、ヴェルドの言葉に頭が混乱する。自分がかつてアランと結婚するはずだったのはそのとおりだ。それが巡り巡って、愛人という形で一緒になることの何がいい話なのか、エルにはわからなかった。
ヴェルドは、困惑するエルにまた一歩近づいた。
「貴族の身分にだって戻れる。これまでの貧乏生活も終わりだ。ある意味、お前が歩むはずだった人生に多少は戻れているとも言える」
ヴェルドの言葉に、エルはさらにわけがわからなくなる。エルが何かを言おうとしたら、それを遮るようにヴェルドが口を開いた。
「それに、あの使用人にもいい話だ」
ヴェルドは黙り込むネルを顎で指した。エルは、え…、と声をもらした。目をそらしたままのネルを見ながら、もしかしてさっき2人で話していたのはこの話だったのだろうか、という嫌な予感がエルに走る。エルはネルの顔を覗き込む。
「ねえ、ねえネル、ヴェルドに何を吹き込まれたの、ねえ」
ネルは、しぶしぶエルの方を見て、口を開いた。
「…吹き込まれたわけじゃない。良い条件だと思っただけだ」
「いい、条件?」
エルはネルの言葉を繰り返した。するとヴェルドが、そいつとも約束した、と言った。
「お前が俺と結婚さえすれば、あの事件の犯人を教える、とな。ただし、アランの戴冠式が終わった後だがな」
「…そんなの、アラン殿下がこの話にのらなければ成立しないじゃない」
エルはそうヴェルドに言う。しかしヴェルドは余裕のある表情で、いや、と口元を緩めた。
「あいつは必ず俺の話に乗る。絶対にだ」
「……」
エルはヴェルドから視線を逸らしてネルを見た。そして、ネルの両手を自分の手で包んだ。
「ねえネル、犯人の名前だけ知ってどうするの?名前を教えられただけじゃ、あなたが最初に言っていた望みまでたどり着けない」
エルはネルにそう訴える。しかしネルは、冷徹な瞳でエルを見据えた。
「はなっから、そんなことできるわけないと思ってるよ」
「…え…」
エルは呆然とネルを見た。ネルは、力なく鼻で笑うと、あんた本気にしてた?と言った。
「本当にできると思ってた?平民の私たち2人が、貴族に楯突こうなんて、そんなのができるって?ほんとあんたって、救いようのないお気楽バカだね」
「…でもあなた、言ったじゃない、私に、あの日……」
エルは震える唇で、なんとか言葉を紡いだ。すがるような目でネルを見つめるけれど、ネルはそんなエルを一笑に付した。
「お気楽で世間知らずそうなあんたには、情に訴えるのが一番効くと思ったからそう言っただけだよ。最初っから本気で、妹を取り戻すことなんか望んでない。犯人の絶対的な確信さえ得られれば、私にとってはそれでよかった」
ネルはそう言うと、エルの手を払った。エルは、呆然とネルを見つめた。
「あんたも良かったじゃん。王子と一緒になれるわけだ。しかも、没落貴族だったのが上流貴族にもなれてさ。ばんばいざい。めでたしめでたし。ここまでたどりつけたのもあんたのおかげだしさ、もういいじゃん、この火事は忘れて、いい加減あんたも幸せになったらどうさ」
ネルは、そう冷たくエルに言い放った。エルは、自分を見放したネルに唇をかみしめると、2人で話をさせて、とヴェルドに言い、ネルをヴェルドから離れたところに引っ張った。そして、ヴェルドには聞こえない声でネルに言った。
「証拠が見つかりそうなの、あの火事の、証拠が」
エルは、ネルの腕をゆすりながらそう訴えた。ネルの瞳をまっすぐに見つめて、エルは、それさえあれば、と続けた。
「それがあれば、きっと犯人を見つけられる。妹さんがあなたの元へ帰ってくる。あの事件の真相だって暴ける。だからお願い、こんなことで終わらせないで」
「…あんたは、底なしのバカだよ」
ネルはそう言い放った。エルは、え、と声を漏らして呟いた。ネルは真っ直ぐにエルを見つめた。
「その証拠とやらを、平民の私たち2人が手に入れたところでどうなる?誰が話を聞いてくれる?ましてや超上流貴族のスキャンダルになり得るネタだ。表では適当にあしらわれて、裏で私たちは殺されて終わりだ。大人しくあの貴族の言う事を聞くんだ。私にとってもあんたにとっても、それが最善だ」
ネルは諦めたように言った。エルはわなわなと唇を震わせて、息を大きく吸った。
「どこのなにが最善なの?あなたのもとに妹さんは帰ってこなくて、私は愛人?…何もかもが違う、望んでいたことからあんまりにもかけ離れてる!」
エルはネルにそう強く言い返した。怒りから肩で息をして、エルはネルを睨見つけた。ネルは、そんなエルを哀れなものを見る目で見た。
「望み通りの結果なんか幻想なんだよ、お気楽馬鹿野郎」
ネルはそうゆっくりと話した。エルはそんなネルを見つめた。
「この世界はな、馬鹿馬鹿しくなるほど非情で、腐りたくなるほど上手くいかない。望み通りになるなんてほぼあり得ない。ましてや平民にはもっと起こり得ない。それでも皆、どこかで望みと現実との折り合いをつけるんだ。つけるしかないんだ。この世界で生きていくのなら」
ネルは、言葉を失うエルの肩にゆっくりと手を置いた。そして、エルの片頬に手を添えると、エルの顔を少し上にさせて、自分の方に向けた。
「あんたも、あの王子が好きだったからこんなとこまで来たんだろ?どんな形であれ、それが結ばれるんだ。愛人だからって別に間違いじゃない。それはあんたにとっての正解だ。私も、あんたがそうすることで、私の望みの一部が叶う。この結果は、私たちにとっての正解だ。あんたの決断で、それが叶う。だから、それを選んでくれよ、私のためだって思うのなら」
ネルはそう言うと、ゆっくりエルから手を離した。エルは、何も言えずにネルを見上げた。
「話は済んだか」
ヴェルドが二人に近づいた。言葉を発せられないエルに代わって、ネルが、ああ終わった、と言った。
「なら行くぞ。アランに話をつけに行く」
ヴェルドはそう言うとエルを目で促した。エルは呆然と立ち尽くしたまま動けない。ネルはそんなエルをみて、背中を押した。エルはわけがわからないまま、ヴェルドの後について歩いていくしかなかった。




