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21 愛する人へ5

4人を見送ってから、エルは久しぶりに使用人としての仕事を再開した。ヘレナの侍女代理の仕事は今日で終了したため、久しぶりの掃除仕事に、エルはどこか新鮮な気持ちでいた。




自分の持ち場に向かうと、アランとハーン侯爵が何やら話しているのが見えて、エルは咄嗟に植木に身を隠した。ハーン侯爵は、深々とアランに頭を下げていた。


「…此度のこと、深くお詫びいたします」


以前の大きな声とは違い、随分憔悴した声のハーン侯爵だった。アランはじっと彼を見つめた。


「…いや。長らく王家に忠誠を誓ってきた名家が、この件で終わることがなくてよかった」

「…もったいないお言葉です」


ハーン侯爵のやつれた様子に、アランは少しだけ眉をひそめる。


「…殿下は最初から最後まで、妹のことをかばってくださっていたと伺っております。…国王陛下にまでご進言いただいたとか」


ハーン侯爵の言葉に、アランは、いや、と頭を振った。


「騎士団で尽力してくれた彼女にとって、すこしでもいい結果がでたのならいいが」

「…本当に…お恥ずかしいことです…」


ハーン侯爵はがっくりと項垂れた。


「もうしばらくはこの城に顔向けできません。…明日から領地へ戻れることが救いです」

「…」

「…本当に、本当に…なぜ奴らは普通に生きられんのか…」


ハーン侯爵はそう、苦しそうに噛み締める。


「…お恥ずかしい話、私の叔父も奴らのような病気で家を出たのです。血は争えない…と言うのでしょうか」


ハーン侯爵はゆっくりと顔を上げた。その瞳にはうっすらと涙がにじんでいた。


「…本当に大馬鹿な弟と妹です。なんで普通に生きようとして、普通に幸せになろうとせんのか…。嫁をもらったり嫁いだりして、家族を持って…、そんな普通の幸せを与えてやりたかった。あんな奴らでも、可愛い可愛い、私のきょうだいでしたから…」


小さな嗚咽を漏らすと、ハーン侯爵は、申し訳ありません無様なところを…、と謝った。アランは、いや、と頭を振った。


「…彼らはハリソン公爵家にいるようだから、また会いに行けばいい。もう家のことは関係なくなったんだ。何度も話せばいつか、…どこかで折り合いがつくかもしれない」


アランは、そう慰めるようにハーン侯爵に言った。しかしハーン侯爵は、いえ、と頭を振った。


「もう二度と奴らには会いません。それがけじめです」


ハーン侯爵は、そう言い切った。アランは彼の目を見ると、そうか、と返した。

ハーン侯爵はまた深々と頭を下げると、アランの前から去った。

エルは、ハーン侯爵の背中をぼんやりと見つめた。彼の涙は痛々しいほどフィリップスとメリーベルへの想いに溢れていて、彼らの生き苦しさを作った一人であるはずなのに、エルは彼を悪いとは思い切れなかった。


「…なにをしている」


背後からエドワードに声をかけられて、エルは飛び跳ねてしまった。その時、向こうにいたアランと目が合い、エルは気まずい気持ちで頭を下げた。

すると、アランはエルの方に歩いてきた。そして、エルの顔を見ると少しだけ安心したように微笑んだ。


「…体調はどうだ?」

「え?」


アランに突然そう尋ねられて、エルは固まる。


「前に会った時、顔色が悪かったから」


アランにそう言われて、エルは最後に彼にあった時の切羽詰まった自分を思い出す。エルは、あのときは失礼いたしました、と頭を下げた後、今はすっかり、と微笑んだ。そんなエルを見て、またアランは口元を優しく緩めた。


「…まさかお前が、父上にまで話をしに行くなんてな」


エドワードはじろりとアランを睨んだ。アランは、たいした話はしてないよ、とはぐらかした。エドワードは、じと目でアランを見たあと、はあ、とため息をついた。


「父上も結局、お前が一番可愛いんだ。三兄弟の中で一番出来がいいからな」


エドワードの言葉に、アランは一瞬だけ悲しそうな顔をした後、ゆっくりと笑った。


「父さん、ハーン侯爵家の騎士のことをずっと気にしてたみたいだから」

「お前がそいつの、先の戦争での活躍をわざわざ説きに行ったからだろ」

「体が悪いみたいだから、気晴らしになればと思って話し相手をしにいっただけさ」

「普段そんなことしないくせに、一体どういう風の吹き回しだ」


そう言って、じとっとエドワードが睨む。アランは、そんなことはないさ、とはぐらかす。エドワードはそんなアランに、はあ、とため息をつく。


「…お前、父上に可愛がられていたように、兄上にも随分可愛がられていたようだが、今後はどうなるかわからんぞ」


エドワードが腕を組んでそう忠告する。アランは、やめてよ、と苦笑する。


「俺は兄さんと争う気はないよ」

「お前にその気がなくても、周りはその気がある。とうとう兄上は同盟国の姫君と離縁までしてしまった。今後どうなるかわからんぞ」


エルは、2人の話がよく分からずに、2人を順番に見る。そんなエルに気がついたアランが、気まずそうに咳払いをすると、それじゃあ、と言うとその場から去った。そんなアランに、エドワードが何度目かのため息をつく。


「…本当に、どうなってしまうんだ」


エドワードはそう呟くと、歩き出した。エルはその背中を見送りながら、話はわからないけれど、どこか不穏な空気が漂っていることだけは感じ取れた。









中庭での掃除を終えて、エルはまた別の持ち場へ向かおうと歩いていた。すると、ハロルドの姿が見えた。エルは、あ、と声を漏らして立ち止まった。するとハロルドは、エルに気がつくと嫌そうな顔をした。エルは頭を下げて、ハロルドが去るのを待った。しかしハロルドは、エルのほうへ歩いてきた。


「…お前、俺のことを笑ってないだろうな」


ハロルドから予想外の言葉をかけられて、エルは、えっ、と声を漏らして顔を上げた。


「…あの、…なぜ?」

「…」


ハロルドは怪訝な顔でエルを見下ろした。エルはそんなハロルドを見ながら、もしかして、フィリップスに愛人になれと言って断られていたことだろうか、と思いつく。

彼はおそらく、ずっとフィリップスのことが好きで、しかし男だと思っていたから思いを打ち明けられずにいたが、ある日女だとわかってあんな話を持ちかけたのだろう。

素直に好きだと伝えていれば、彼にとってこんな終わり方にはならなかったのではないだろうか、とエルは考える。しかし、彼が素直に好きだなんて言えるのだろうか。ただでさえ普段から女性を下に見て馬鹿にしている彼に。

エルは、じっとハロルドを見上げた。ハロルドは、エルに、なんだ、と苛立った声で返した。


「……いえ、なにも」


エルは、喉の奥まで言葉がでかかったが、言うのをやめた。エルが彼に諭したところで、田舎女のくせに偉そうに、と鼻で笑われるのがオチだからである。

ハロルドは、エルに舌打ちをすると、荒々しい歩調で去っていった。エルはその背中をちらりと見た後、自分の行くべき場所へ向かった。













エルが仕事を終えると、すっかり辺りは夕暮れになっていた。久しぶりに体をこんなにも動かしたことで、エルは疲れ切っていた。早く宿舎へ戻ろうと歩いていたら、エルは久しぶりにネルの姿を見かけた。エルは走って彼女の元へ向かった。


「ネル!」


エルが呼ぶと、ああ、とネルは少し目を丸くしてエルの方を見た。


「ずいぶん久しぶり。軟禁生活はどうだった?」

「まあ…想像していたよりは楽しかった…かな」


エルは、ヘレナとの生活を思い出してそんなことを言った。ネルは、相変わらずお気楽なこと、と鼻で笑った。いつも通りのネルを見て、エルはなぜか心が震えるほど安心した。思えばここ暫くの間、色々なことが起こりすぎて、心がひどく慌ただしかった。

ネルはまじまじとエルを見ると、少しだけ眉をひそめた。


「なんか…痩せたね、あんた」

「え?」


痩せたと言うか、やつれたか、とネルが言う。エルは自分の頬に手を当てて、そんなことないわよ、と笑う。ネルはそんなエルを横目で見た後、視線をそらして空を見上げた。


「大方、あの双子にはお世話になったからとかなんとか言って、余計な首をつっこんでたじゃないの」

「よ、余計な…」


エルが苦笑いをすると、ネルは真顔で、お人好しは身を滅ぼすよ、とつぶやく。エルは、そんなネルに少し不満げに唇を噛んだあと、いいの、と言った。


「大好きな人のためだから、頑張りたかったのよ」

「自分の頬をこけさせてまでやることかね?」

「そ、そんなにやつれてないわよ…。それに結局、たいしたことはなにもできなかった。…こんな終わり方で本当によかったのかも、わからない…」


エルは目を伏せて小さく眉をひそめた。これでよかった、と手放しに喜べる結果ではなく、ただただ自分の相変わらずの無力さに情けなくなる。

ネルは少しの間黙った後、えらいことになったね、と話題を変えるようにエルに話しかけた。


「ラインハルト殿下の粗探しかと思えば、ヘレナ妃の粗探しになるなんて」

「え?」

「…相変わらず何も分かってないみたいだな」


ネルは呆れたようにため息をついた。エルは、ごめんなさい…、と謝る。ネルは、つまり、とだるそうに口を開く。


「ラインハルト殿下が次期国王に近いってのは、長兄だからってのと、同盟国の姫君と結婚してたからだ。そうだったのにあんなことがあって離婚してしまった。ってなると、次期国王としての決定打に欠けるようになるんだ。そこをパークは狙ってたってわけだ」


エルは、ネルの目を見て胸の奥がもやもやとするのを感じる。


「(……ヘレナ様が母国に帰りたがってたとはいえ、…自分の都合でみんなをこの城から追い出してしまうなんて…)」


エルは、かつて自分を殺そうとした相手の身勝手さに腹の奥が気持ち悪く渦巻く。彼らがあの隠し事をしていたことは責められるべきことなのだろう。けれど、正義の顔をした自己都合の偽善に責め立てられた事が、エルはどうにもやるせない気持ちになる。

ネルは、これからもっといろいろ動きそうだね、と呟く。エルは、ネルの言葉を聞きながら、さっきアランとエドワードが話していたのは、次期国王の話だったのか、と今更気がついた。


「(…どうしたら、アラン殿下にとって良い方向へ行くんだろう…)」


エルは、そんなことを考える。しかし考えてもわかるはずがなく、エルは頭が痛くなる。隣を歩くネルが、早く夕飯食べに行くか、と声をかけてきたので、うん、とエルはどこか気の抜けた声で返した。






その数日後、国王は永遠の眠りについた。

お城の中は深い悲しみに染まり、そして、国中が王の死を悼んだ。



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