21 愛する人へ4
エルは、エミリーの迎えによりこの城を去る2人を見送るために、城の裏門に向かった。
フィリップスとメリーベルは最後に忘れ物がないか確認をしに行っているようで、エルが着いたときにはエミリーしかいなかった。2人の荷物をハリソン家の使用人が馬車に積み込む様子を眺めながら、エルはエミリーを見つめた。
「本当に、お2人がエミリー様のところで働けることになるなんて…」
エルは安心と、それと同じくらいの戸惑いの気持ちを持ってエミリーに話しかけた。あんなに激怒していたハリソン公爵が、まさか2人が家に来ることを許可したのが、エルにはとても意外だったのだ。エミリーは、ふふん、と笑った。
「どうやら陛下が、先の戦争で活躍したフィリップス様を平民に落としてしまうのを、大変気にかけてくださっていたみたいなのよ。どうにかならないのかってお父様にご相談されてたみたいで、さすがのお父様も陛下が憂慮していらっしゃるのならって、私の提案を受け入れてくださったのよ」
結局、陛下のことが一番大事なんだから、とエミリーは嬉しそうに笑う。エルはその横顔を見つめて微笑む。
「これから、フィリップス様とメリーベル様はエミリー様のお屋敷で働かれるんですよね?」
「そうよ。メリーベルは私の身の回りの世話。フィリップス様は私の護衛よ」
エミリーの言葉にエルは、お二人にぴったりのお仕事ですね、と微笑む。すると、フィリップスとメリーベルがこちらへやってきた。
「エリィ」
メリーベルはエルのもとへやってきた。エルも駆け寄り、メリーベルの手を取った。
「メリーベル様、本当に、本当に良かったです」
エルはメリーベルの目を見てそう心から安心した気持ちで微笑んだ。メリーベルはエルの目を見つめて、優しく微笑む。
「もう様付けはやめてくれ。僕はもう貴族でも、城で働く先輩でもない」
「えっ…」
メリーベルの言葉にエルは戸惑う。フィリップスは、確かにそうだね、と笑う。エルは2人を交互に見た後、メリーベルをおずおずと見つめた。
「め……メリーベル……」
言いながら、エルはなんだか近しすぎて恥ずかしくて、頬が紅潮した。そんなエルを見て、うん、とメリーベルは嬉しそうに笑った。そんなメリーベルを見つめて、エルははにかんだ。
フィリップスは2人を見て微笑んだ後、晴れ渡る空を見上げた。
「これから私たち、エミリー様のもとで一からやり直せるね」
フィリップスは、どこか安心したように口元を緩める。メリーベルはそんなフィリップスを見上げて、やだわ、と笑った。
「エミリー゛様゛だなんて、やめてくださいフィリップス様」
「これから私は貴女に仕える身分なんだ。エミリー様こそ、様付けはやめてください」
フィリップスにそう言われて、エミリーは戸惑う。口籠るエミリーをフィリップスは真っ直ぐに見つめる。
「貴女に助けてもらった命です。かならず貴女の事を守ります」
フィリップスにそう告げられて、エミリーは頬をじわじわと赤く染める。
「ふぃ…ふぃ、フィリップス様…!」
両手のひらを合わせて、きらきら輝く瞳でフィリップスを見上げるエミリーを見て、メリーベルは優しく微笑む。
エミリーは、軽く咳払いをしたあと、フィリップスを見上げて真剣な目で口を開いた。
「私だって必ず、貴方達をお守り致します」
エミリーはそう伝える。これからしばらくは、この事件を面白がる周囲からの心ない言葉や視線が彼らに振りかかることもあるだろう。けれど、それをきっと乗り越えていけるのだと、エミリーのこの目を見れば信じられるようなくらい、心強い瞳だった。フィリップスとメリーベルは少し目を丸くした後、はい、と頷いて微笑んだ。
「…そういえば、ヘレナ様も今日お城を出られるんじゃなかったかしら?」
エミリーがエルに尋ねた。ヘレナ、という名前にメリーベルとフィリップスは表情を暗くした。あの件があってから、2人は一切ヘレナと会うどころか連絡すら取れていない。
エルはエミリーの方を見て、え、ええ…、と曖昧に頷いた。
「ヘレナ様のご厚意で、先に2人へのお見送りをしてきても良いということになりまして…」
「そう…。ヘレナさまも心残りでしょうね」
エミリーはそうため息をつく。そして、少しずつめらめらと怒りだした。
「ラインハルト殿下は一切庇ってくださらなかったようですしね。あんなの裏切りよ。あんなに愛し合っていたくせに…!ヘレナ様があんまりにも気の毒よ!こんな仕打ちないわ!!」
「ええ…ほ、ほんとうに…」
エルの曖昧な返事に、エミリーは怪訝そうにエルの方を見た。
「…あなた、侍女代理を短期間とは言えしていたんでしょう?もっと怒らないの?」
「えっ…ええと…」
エルは困惑する。エミリーが不思議そうな顔をした時、背後から、あっ、間に合ったわ、というヘレナの声がした。4人が振り向くと、笑顔のヘレナが、彼女の母国の従者を数名連れて手を振っていた。
「ヘレナ様…!」
メリーベルがヘレナの元へ駆け寄った。ヘレナはメリーベルに手を伸ばすと抱きしめた。ヘレナはメリーベルに頬ずりしながら、あら、と声をもらした。
「あなた、少し痩せたんじゃない?」
「ヘレナ様、…僕たちのせいで…」
メリーベルはヘレナを見つめた。しかし、メリーベルは、えっ、と言葉を詰まらせた。見えたヘレナの肌がつやつやで、そして、あんまりにも幸福そうだったからである。
ヘレナは、ほらフィリップスも、と手招きをした。フィリップスはヘレナの異変に困惑しつつも、彼女に近づいて抱きついた。
「よかった、本当によかった。ハリソン公爵家でもがんばってね」
ヘレナはそう2人の背中を撫でる。
エミリーは、感動の別れをする三人を、どこか感情移入できずに見つめる。
「…ねえエリィ、ヘレナ様はなぜあんなにも幸せそうなの?離縁を申し出られた方にはとてもみえないんだけれど…」
「……」
エルは苦笑いを浮かべながら、言葉を選んで、どうやら前々から母国に帰りたかったようで…、と返した。エルから出た予想外の言葉に、エミリーは、えっ、と声をもらした。
双子から離れたヘレナは、彼らを順番に優しい目で見つめた。
「私のことは心配しないで。私…嬉しいの、やっと離婚できて。やっとやっと、自由になれるから」
ヘレナはそう、つやつやの肌で微笑む。メリーベルとフィリップスは目をまるくして、困惑しながらお互いの顔を見つめ合った。
エルは、幸せそうなヘレナを見つめて微笑む。
ラインハルトとの離縁を言いつけられたヘレナの喜びようと言ったら、もんのすごかった、とエルは思い出す。
どうやらずっと、子供が産めないことで窮屈にさせられていたこの立場から、彼女は逃れたかったようである。この一件により、離縁し帰国させられることは、彼女にとっては願ったり叶ったりの結果だったようだ。
うきうきとした様子でヘレナは母国へ手紙を書き、そして、母国の両親も、そういうことなら早く帰ってきなさい、と彼女の帰還を歓迎する様子であったようだった。
「(…結婚が幸せで、離婚が不幸せ…というのなんて、ただの私の決めつけよね)」
エルは、フィリップスとメリーベルの新しい生きる場所ができたことを、自分のことのように喜ぶヘレナを見つめてそんなことを思う。
一体何が正しくて、何が間違っているのか、エルには余計にわからなくなる。なるけれど、でも、この青い空の下で幸せそうに笑う大好きな人たちを見ていると、エルは自分まで胸が温かくなり、頬が緩む。
「それじゃあ、私はもう行くから」
ヘレナはそういうと、フィリップスとメリーベルの手を今一度握った。フィリップスは、さみしそうにしながらも、しかし笑顔でヘレナの手を握り返し、そして、ゆっくりと離した。
しかしメリーベルは、目を伏せてヘレナの手を握ったまま離さなかった。少しの間唇をかみしめた後、ゆっくりとヘレナから手を離した。ヘレナはそんなメリーベルをじっと見つめたけれど、何も言わずに笑顔で彼女から手を離した。
そんな2人を見ていたエミリーは、少し考えたあと、軽く咳払いをした。
「失礼ですけれど、ヘレナ様、帰ってからヘレナ様の身の回りのお世話をする者はおりますのでしょうか?」
「え?」
ヘレナはエミリーの方を見て目を丸くした。そして、え、ええ、おそらく…、と曖昧に返す。
「私の知る者かはわかりませんけれど」
「あら、それは心許ないですわ。母国とはいえ、久しぶりに帰る地、見知った相手がいたほうが心強いでしょうに」
エミリーはそういうと口元に手を当てて、そうねえ、と少しだけ考えると、メリーベルの方を見た。
「あなた、ヘレナ様について行ってはどうかしら」
エミリーの提案に、メリーベルとヘレナは、え、と声を漏らす。
「そんなこと…。私はそうしてもらえたらありがたいけれど、でもせっかくハリソン公爵がご厚意で許可してくださったのに、そのお気持ちを無下にしてしまう」
ヘレナがそう言うと、構わないですわ、とエミリーは頭を振った。
「もともと侍女は足りていますもの。国王陛下は国へ帰られるヘレナ様のことも気にかけていらしたし、そちらのケアだと言えば、お父様もそちらのほうがよいときっとおっしゃります」
「…でも…」
メリーベルは不安そうにフィリップスを見上げた。フィリップスも、メリーベルをじっと見つめる。そして、フィリップスは優しく微笑んだ。
「…離れていても、きっともう大丈夫だ、私も、君も。受け入れてくれる人がいるんだもの。もう決して私たちは、一人じゃない」
「…フィリップス」
メリーベルはフィリップスを揺れる瞳で見上げる。そして、うん、と頷いて微笑んだ。フィリップスとメリーベルはまた見つめ合うと、メリーベルはヘレナのそばに向かった。ヘレナは両手を広げてメリーベルを迎え入れ、そして抱きしめた。
「ありがとう、メリーベル」
ヘレナはメリーベルから体を離すと、両手を包んで微笑んだ。メリーベルはヘレナを見つめて、優しく微笑む。エミリーはそんな2人を見つめて、ゆっくり目元を細めた。
ヘレナは、さて、とメリーベルから手を離すとエルたちの方を向いた。
「そろそろここを出るわ。皆、本当にこれまでありが、」
「…ヘレナ」
声がして、皆が振り向くとそこにはラインハルトがいた。ラインハルトは他のみなには目もくれず、ヘレナの傍に向かった。ヘレナは落ち着いた笑顔でラインハルトを見上げた。ラインハルトは、ヘレナを見つめて、ぐっと口元を強張らせた。
ヘレナは、深々と頭を下げた。
「…私の不徳の致すところでこの国の皆様に、そして何よりも貴方様にご迷惑をおかけして、本当に申し訳ありませんでした」
ヘレナはそう謝罪して、ゆっくりと顔を上げた。ラインハルトは、何か言いたげにヘレナを見つめる。
エルが、一体どうしたんだろう、と首を傾げていると、ひそひそとエミリーが話しかけた。
「どうやら殿下、次の妃探しにかなり難航してるみたいよ」
「え?」
「気に入る女性がなかなか見つからないみたい」
小さくため息をつくエミリーを見つめた後、エルは黙り込んでヘレナを見つめるラインハルトの方を見た。
確かに、ヘレナほど頭が良く、教養があり、穏やかで、身分も高く、さらには見た目が美しいご令嬢などなかなかいないだろう。彼女を基準として探せば、それに適う相手というのは探すのになかなか厳しいものがありそうだ。
エルは、まさか彼は今更ヘレナが惜しくなったのだろうか、と察して、怪訝な顔でラインハルトを見つめてしまった。
ラインハルトは、髪を軽くかき上げた後、何かを言おうとヘレナの目を見た。しかし、それを遮るようにヘレナが、ラインハルト様、と口を開いた。
「…貴方様は、国王になりたくて、嫌がる実の妹を他国へお売りになられたのでしょう?その意思を曲げてはいけません。体の丈夫な、立派な後継ぎを産める相手が早く見つかることを、心から願っております」
ほとんど呪詛のようなヘレナの言葉だった。ラインハルトはぐっと言葉を飲み込むと、ああ、当然だ…、と少し動揺した様子で返すと、長い旅路になるが気をつけるように、と早口で言うとこの場を去った。ヘレナは深々とラインハルトに頭を下げた。
「…ヘレナ様も、なかなか言いますね」
フィリップスがそう苦笑する。ヘレナはさわやかな笑顔で、そうかしら、ととぼける。
「それでは本当に、もう行きましょうか」
ヘレナはそう言って、エルたちの方見て微笑む。
ヘレナの隣にいたメリーベルは、エルたちのそばに来た。そして、エミリーの手を握り、ありがとう、フィリップスを頼む、と告げた。エミリーは、ええ、と微笑む。そしてメリーベルは、エルの手を取った。メリーベルは真っ直ぐにエルの瞳を見つめると、優しく微笑んだ。
「達者でな」
メリーベルの言葉に、エルは少し目を丸くしたあと、微笑んだ。そして、はい、と頷く。さみしくてたまらないけれど、最後に、メリーベルに自分の笑顔を覚えていてほしくて、エルは一生懸命に笑った。
最後にメリーベルは、フィリップスと見つめ合った。お互い言葉は交わさずに、ただ覚悟を決めた顔でうなずき合って、そして笑顔で手を振った。他国へメリーベルがいけば、今後そうやすやすと2人は会えなくなる。その覚悟を、2人は決めたようだった。
ヘレナとメリーベルは、ヘレナの従者たちをつれて歩き出した。エルは、深々と2人に頭を下げた。
2人を見送ると、エミリーはフィリップスに、私たちもそろそろ行きましょうか、と声をかけた。フィリップスは、はい、と頷くと、エルに、それじゃあね、と手を振った。エルは、はい、と2人に頭を下げた。エミリーはフィリップスを連れて、待たせている馬車のほうへ歩き出した。エルは、歩き出す2人の背中を見つめながら、見えなくなったヘレナとメリーベルの背中を思い出す。
「(…このお城から、こんな形で追い出されてしまうなんて…)」
もっといい結末はなかったのか、とエルは思う。誰も傷つかず、そして、自分らしく生きられた方法があったのではないか、と。
けれど、どこをどう直せばよかったのか。そもそも何が間違っていて、何が正しかったのかがエルにはわからない。第一、彼らは追い出されたのだろうか。このお城にいることが一番の正解なのだろうか。
「(…わからない、わからない、でも…)」
エルは、もうすぐ冬が来る空を見上げる。最後に見た皆の顔が晴れ渡るこの青空のような笑顔で、それだけがよかったと、そんなことをエルは思った。




