21 愛する人へ2
こうして、エルのヘレナの侍女としての生活は一変した。
まず、ヘレナは彼女の部屋に軟禁状態となった。ヘレナの扉の前には必ず兵士が立ち、彼女の外出や客人との面会を制限した。
エルはヘレナの世話をするためにある程度自由に外に出られたけれど、扉の前にいる兵士たちにどこへ何のために行くかを事細かに説明する必要があり、時間が長くかかりすぎると厳しく問い詰められた。
ヘレナは自分の部屋にいられたが、メリーベルとフィリップスは、別の部屋に2人で軟禁されることとなった。彼らはさらに厳しく閉じ込められており、一切外に出ることは許されず、面会も限られた貴族とでなければできなかった。
エルは、そういう状況から、ヘレナの部屋に寝泊まりする生活が続いた。
あと何度か聴取をされる予定とはいえ、メリーベルとフィリップスの入れ替わり事件の片棒を担いでいるヘレナに何らかの罰則が下るのは明らかだった。しかし、ヘレナは変わらずに落ち着いた様子でいた。むしろ、3人の行方を心配するエルを落ち着かせる側にいた。
「…ごめんなさい、私がこんなに後ろ向きで……」
お茶の用意をし終えたエルは、食後のお茶をゆっくり飲むヘレナにそう謝罪した。ヘレナはそんなエルを見つめて優しく微笑んだ。
「普通なら後ろ向きになるわよね。当然よ。このままなら最悪、離縁させられて、母国に返されてしまうんだもの。私がどうかしているだけ」
ヘレナが離縁させられるかもしれない、ということに、エルはまた狼狽える。ヘレナはそんなエルをみて、小さく微笑んだ後、少しだけ表情を暗くした。
「私はまだいいわ。弱小とはいえ一国の姫だもの。…心配なのはあの2人よ」
ヘレナは窓の外を見てしばらく黙り込む。エルはその横顔を見つめる。
「…怖く、ないんですか?」
「え?」
ヘレナがエルの方を見た。エルは、震える唇で言葉を紡ぐ。
「離縁させられたら、って。…私は怖いです。ヘレナ様がここから居なくなってしまったらって思ったら……」
エルはそう言って、服の裾を握りしめた。ヘレナはそんなエルをみて、まあお座りなさい、と優しく言った。エルはおずおずとヘレナの向かい側に座った。ヘレナはエルの目を見て小さく微笑んだ。
「あの人にとっては、願ってもないチャンスでしょうね。私と離婚できるだなんて」
「えっ…」
エルは、ヘレナの言葉に動揺した。あの日のラインハルトと執事の話が蘇って、エルは胸の奥がずんと重くなる。しかしヘレナは、優美な笑みを壊さずに話を続ける。
「…でもそれは、私にとってのチャンスでもある」
「……チャンス?」
エルは恐る恐る尋ねる。ヘレナはにこりと微笑んだが、しかしそれ以上は何も言わなかった。かわりに窓の外を見つめて、小さくため息をついた。
「…あの2人と話がしたい。…なんとか手紙を渡せないかしら…」
ヘレナはそう呟くと、エルの方を見た。そして、お願い、とエルの目を見た。
「なんとかあの2人に私の話を伝えたい。頼れる誰かを探して、あの2人に会って、手紙を渡してきてほしい」
ヘレナはそう言うとソファーから立ち上がり、机に向かった。ペンで文字を書くと、その紙を封に入れてエルに渡した。
「無理なことはわかってる。でもお願い。あの2人を助けるために、なんとかこれを渡してきてほしい」
ヘレナはそう言うとエルの手を握った。エルは、自分に何ができるのかわからないまま頷いた。そして、手紙を持って部屋から出た。
エルは、部屋の前の兵士に適当な用事を告げると走って城の中を移動した。時間もそれほどない。エルは焦る気持ちで頭を巡らせる。
エルは、頼れる誰かと言われてすぐにロゼを思い浮かべた。エドワードの妃であるロゼならば、メリーベルとフィリップスに会うことも可能だろう。エルはロゼの部屋に向かった。
「どうしたの?」
ロゼはエルを見て驚いた顔をした。エルはロゼに頭を下げて、お願いします!と言った。
「メリーベル様とフィリップス様に会いたいんです。どうか、お話を繋いでいただけませんでしょうか?」
厚かましいことは重々承知です、とエルは懇願した。ロゼは困惑した表情を浮かべたあと、ごめんなさい、とかすれた声で言った。エルは、断られるとは思っておらず、えっ…、という声が漏れた。
「本当にごめんなさい。あの二人の件、エドワード殿下がもうカンカンになっているの。私の立場では面会のつなぎをしてあげられないわ。…あの2人のことは、私ももちろん心配しているんだけれど…」
ロゼはそう言ってため息をついた。エルは、ロゼに断られて頭が真っ白になる。ロゼは、動揺するエルに、でもね、とエルの肩をつかんで目を見た。
「落ち着いてみて。あなたと私は、彼らに騙されていたのよ?性別を偽られて仲良くしてきたの。…それって、…素直に許せるかしら?」
ロゼはそうエルに問う。エルは、え…、と声を漏らす。ロゼはエルの目を見て心配そうに眉をひそめる。
「あなたひどい顔よ。ちゃんと休めている?私が言いたいのはね、騙してきた相手にあなたがそこまでしてあげることがあるのかってことよ。…一度落ち着いて考えてみて」
ロゼはそう言ってエルの背中をさする。エルは、あのお茶会で一緒に仲良くしてきたロゼにそんなことを言われたのがショックで、言葉を失う。エルは、あ、ありがとうございます…、とうわ言のように言って頭を下げると、ロゼの部屋から逃げるように飛び出した。
「(…それもそうだ、ロゼは騙されたと思っている。そう思う人だっている。当然だ…)」
エルは、当然のようにロゼが協力してくれると思い込んでいた自分の浅はかさに呆れながらも、本当に身勝手だけれど、失望していた。ロゼが騙されたと感じることは当然だとわかっている。それでも、あの楽しかった日々が崩れ去ってしまったような気がして、エルにはあまりにもショックだったのだ。
しかし今のエルにショックを受けている暇などない。エルは、他に誰かいないか考えを巡らせた。
「(…ヴェルド…なんて助けてくれるわけがない。マリア様は…姿が見えない…エミリー様は前の様子ではきっと無理だ……)」
エルは、どうしよう、どうしよう、と頭の中が真っ白になる。
「(…誰か…誰か助けて……)」
エルは、走り疲れて息を切らしながらそんなことを考える。自分にできることなどなにもなくて、でも大好きな人たちのために何かをしたいという矛盾にエルは苦しむ。
気がつけば、エルは自分が担当していたあの中庭にたどり着いた。息を切らしながら歩くと、噴水の縁にアランが座って読書をしていた。
エルに気がついたアランが本から顔を上げた。そして、エルのひどい形相に驚いたように目を丸くした。
「…どうしたんだ」
アランは立ち上がると、エルのそばに歩いてきた。エルは肩で息をしながら呆然とアランを見つめる。
「(…この人なら、助けてくれる…。きっと2人と会わせてくれる……)」
エルは頭にそんな考えが過ぎる。エル・ダニエルのこの顔で懇願すればきっと、彼はエルのこの望みを叶えてくれる。
エルは朦朧とする意識で、アランの腕に縋った。そして、アランを見上げた。アランは真っ直ぐにエルの目を見ている。
「(…でも、エドワード殿下はこの件に怒っている……)」
エルは、ロゼの言ったことを思い出して、喉から出かけた言葉が詰まる。教会で見た仲よさげなアランとエドワードを思い出す。この件でアランが肩入れすることで、2人の仲に亀裂が入ったとしたら。
「(…アラン殿下がここで暮らしていく上での不安材料を私が作ったのでは、本末転倒だ……)」
エルは震える唇をかみしめて、ゆっくりアランから手を離した。そして、申し訳ありません、と頭を下げた。
「…ヘレナ様の部屋の前にいる兵士が時間に厳しくて…。急いで走っていたら目眩がして…。本当に失礼なことをいたしました、申し訳ありません…!」
エルは必死に頭を下げて謝罪した。顔を上げた時に、アランの心配そうな顔が見えた。
「…俺に、何か言いたいことがあったんじゃないのか」
アランがそう尋ねる。エルは、いえ、とんでもない、と頭を振る。そして、あっ!と声を漏らした。
「急がないと…。時間が少し長引いただけですっごくしつこく聞かれるんです。申し訳ありません、失礼いたします」
エルは、貼り付けた笑顔でそう言うと、頭をもう一度下げてからアランの前から去った。
走りながらエルは、本当に助けてもらわなくてよかったのかと自問自答した。自分では何もできないくせに、やりたいことばかりたくさんあって、結局誰も救えなかったとしたらどうしよう、とエルは不安になる。他に誰かいないか、何か方法はないかと模索しながら、エルはほとんど泣きそうになった。




