ⅩⅩ 自分にしかできないこと
キャンサー帝国の南砦では、アリエス王国、キャンサー帝国、ジェミニ評議界共和国、そして新たにパイシース海王国から送られてきた船団の長が軍議に参加していた。
キャンサーはモロス・アガメムノンを中心に纏まっていたが、彼はつい先ほどの戦いでマナを多く失っており、この場に出れる程の体力は無かった。
その為、副将であるソクラティス・メネラオスがこの場に出ている。
彼はモロスと違い英雄のような力は無いが、キャンサーに残った民をどうにか纏め上げており、その気質は武将というよりも為政者に近い。パイシースやジェミに掛け合って物資の補給を依頼したのも彼である。
そんなパイシースから物資の支援に来たのは「タイガーシャーク」号の船長、ネルソン・ニミッツ、その配下のドレイク、そしてパイシースの船団の間では、幸運の女神と称えられているシーア・ウンディーネの3人だ。
正確にはもう一人……と言っていいのか、幸運を運ぶ妖精「フォルトゥーナ」もいた。彼女はシーア・ウンディーネと共にあり、彼女らが守護する船団はどんな嵐でも一隻も沈む事が無く目的地に辿り着けるのだという。実際、今回の船旅でも竜王に襲われたにもかかわらず、一隻も欠ける事無くキャンサーに辿り着く事に成功している。
ジェミニ評議界共和国は今回の戦いで軍団の維持に関わる補給、資金の殆どを担っている。軍団の主力を担うのはアリエス王国だったが、その生命線を握っているのがかの国だ。とはいえ、彼らも全てをアリエスに任せているわけではなく、テンプルナイツの騎士セレーネ・ヒュペリオンやチュチーリア・ヘファイストス等を中心とした精鋭騎士団を派遣している。
そしてアリエス王国。ガルディアン・ド・レキリーブル騎士団ガルディアン・デ・レーヴ伯(イズルの義兄)ことユーゴ・レーヴ。
もう一人イズル・ヴォルゴールもいるのだが、彼は諸事情によりこの場にはいない。代わりによこされたのが……。
「ぐぅ」
「……寝ないでください、国際問題になりますので」
ヘレン・ワーグナー、今回の戦いの功績者――否、これまでのアリエス王国と魔王軍との戦いにおける功績者だ。今回、竜王を倒したのはキャンサー帝国の竜娘レヴィだったが、そこまでの道筋を敷いたのは彼女だ。竜王の配下である竜や魔物を何体もその強靭な斧で叩き斬ってきた。
イズルがレヴィを連れて何やらすることがあると言い残して、カルキノスの亡骸(そびえ立つ山のように大きな遺骸だ)へと向かって行ってしまい、せめても、と連れて着たのだが、これは間違いだったかもしれないと、ユーゴは思った。
この娘、昼でも夜でも構わずよく眠る。それが魔王タナトスの呪いのせいであるとは知っているものの、この軍議の場においてそれは、あまりに他国の諸将に対して無礼が過ぎる。
かといってユーゴにはイズルのように、この娘の頬を引っ張って起こすといった事も自然とは出来なかった。どうしても妻のレティシア(イズルの姉)の事が頭に浮かぶ。
噂というのは恐ろしいもので、本人にその気が無くとも歪んで伝えられがちだ。ここでヘレンに何かしたことがどんな尾ひれ背びれが付いて、我妻に伝わるか――それを想像して、ユーゴは口頭での注意にとどめる。
「うん、だいひょうふー、おひへるはらー」
対するヘレンはこんな調子で、頭を机に突っ伏したまま答える。
「……この国の立場、終わったかな」とユーゴは思わず天を仰いだ。既に他の主だった者は座り、今更退席させるわけにもいかない。こんな事ならエルフの娘を連れてきた方がマシだった。
「オイ起きろ、寝坊助娘、そんなに寝るのが好きなら永遠に寝かせてやってもいいんだぞ?」
「いひゃい、やめへよぉ……」
ヘレンに苦戦するユーゴを見かねてか、チュチーリアがその若緑色の髪を思いっきり引っ張って起こした。「タイガーシャーク」号の船員達は面食らったような顔になっているのを見て、ユーゴは「どうか彼女の事は気にしないでください……」と一言。
「だだだだめですよ! そんな風に引っ張ったら髪が傷んじゃいます! ドレイクさんみたいに禿げ頭になっちゃう!」
「誰が禿げじゃ! フサフサしとるわい!!」
「ふさふさなのはお髭でしょー? 前の方はつるつるじゃーん」
……こっちもこっちで少しズレた感性の者達であるらしい。シーアがチュチーリアを止め、「髪」の話をされてドレイクが激怒し、妖精フォルトゥーナが茶々を入れて、乱闘となるのを船長のネルソンは止めもせず、静かに告げる。
「では、こちらも……彼らの事は気にしないようお願いいたします」
どうやら英雄に手を焼かされているのは、あちらも同じらしい。妙な親近感が湧いてユーゴは苦笑をこぼした。
「……両国ともよろしいか、これは親睦を深める為の談笑ではございません。一つの国、否、世界の行く先が決まるかもしれない戦いの軍議ですぞ」
キャンサー帝国代表のソクラティスが諫めるような言葉を掛け、パイシース船団の者達は争いを止めた。流石にこの場の深刻さは彼らも理解しているのだろう。
「前回、我らは北の砦を攻める段取りでした……が」とユーゴは話を切り出した。隣でヘレンはうつらうつらとしていて、寝ているのか起きているのか分からないが、無視する。
「竜王の侵攻によって出鼻をくじかれた。幸い、そこの寝坊助娘と竜人娘のおかげで、竜王は討ち取れたのだが」
チュチーリアがぐりぐりと、ヘレンの頬を指先で弄りながら続ける。結局北の砦を取り戻すには至らず、彼らは南の砦に釘付けにされることとなる。しかもあの戦いの後、魔王軍側の魔人や魔物の動きは活発化しており、南の砦付近に集結しつつあった。
付近を偵察する斥候の話によれば、彼らは海から這い上がるように出現しているとのことだった。その海の向こうの空は厚い積雲に覆われており、その下では幾つもの竜巻が渦巻いているとも。
「ヒュドラはまず十中八九そこにいるでしょう」
そう告げたのは『タイガーシャーク』号の船長ネルソンだった。彼は海の戦いに長けており、風と海の流れを読む力、船団を纏め上げるカリスマ性により、多くの悪竜を討ち取って来た。その彼が言うのであれば、間違いないだろう。
と、なれば、北の砦を奪還するよりも、ヒュドラを討ちに行くのが得策だろう。彼女を討てば、その配下である魔物も消える。北の砦を取り戻すよりも得る物は多い。
――だが。
「海の向こうに籠ったヒュドラを一体どうやって討伐するというのか? ここは北の砦を取り戻し、体制を盤石にすべきではないかね?」
そう言ったのはキャンサーのソクラティスだ。文官気質の彼は、勝てるかどうか分からない相手との戦いよりもガタガタになっている国の立て直しを図りたい様子だった。それもまた間違いではない。
しかしユーゴは――アリエス王国とジェミニにはタイムリミットがあった。一つは食糧を始めとした補給事情。パイシース海王国の海路を頼らないといけない程、物資の調達は至難だった。ユーゴはイズルと相談の上、かなり余裕を持った補給路の確保をしたつもりだったが、現実は彼らが思い描いた絵図程、甘くはなかった。
予定通りに揃わない補給物資、本国からここに来る途中まででで魔物や山賊に襲われる等、想定していた『数』が現場まで届かない事態が発生していた。
――転移魔法等を駆使してもこの様、魔法が無ければこれ程の行軍を維持することもままならなかったでしょう。
更にはここまでついてきてくれた騎士団やそれを支える兵団の士気問題。騎士団の多くはユーゴやイズルを慕う者達で編成されており、当初の士気は高かった。
だが、長い行軍、そして普通の戦とは違う人間の兵よりも遥かに強い魔物、竜、更には竜王と対峙してきて疲弊している。故郷に帰りたがっている者も一人二人ではない。
騎士団がそんな有様で、下に付く兵団や補給を担当する輜重部隊が耐えられる筈も無く、脱走者も出るようになっていた。ここから逃げたところで生き延びられるとは到底思えないが、限界を迎えた人間がそこまで頭が回るわけもなし。
今のところ、ペルゼィックを始めとして威勢のいい者が鼓舞し、致命的な混乱には至ってないが、それもいつまで持つことか。
「これまで勇者達が何故少人数で行動するのか……その理由が分かった気がします」
自分達に時間が無い……という現状をソクラティスに説明してから、独白するようにユーゴは呟いた。
人間離れした……神話にまで手が届く程の力を持った英雄達が魔王を討伐してきたその歴史をユーゴは知っている。自分達のような地に足の付いた人間がいくら束になろうと、勝てないのだ、と――ユーゴは思い知らされる。
「皆がいたから、ここまで来れたんだよ」
ヘレンがぽつりと呟いた。ユーゴは驚いて彼女を見た。ちゃんと全部聞いていたのか……という少し間の抜けた驚き。
「勇者には勇者しかできないことがある。けど、こんなに大勢の人を動かすことは出来なかった筈。それはおじさんやイズル達にしかできなかった事だよ」
ユーゴは自嘲すら混じっていた独白を恥じる。一人の強い英雄さえいれば何もかも上手く行く。そんな他人任せで根拠の無い希望に縋ってここまで来たのではない。魔王を倒す為に、自分に出来る事をしようと思ってここまで来たのではないか。
「やはり、私は長に向いていない。弱気が口にでるようでは――ところで」
「何?」というヘレンの眼前にユーゴは人差し指を向けた。
「私は“おじさん”ではありません」
その後、作戦方針は『ヒュドラの討伐』で進んだ。リスクは高いが、今後北の砦を奪還してもその先に繋がらないという結論に至った為だ。ヒュドラの討伐の為にはそもそも彼女の『根城』へ到達しなければならない。
「我々の任務は物資の“運搬”だ。戦いに協力しろとまでは言われていないのだが……」とネルソンは意味ありげに一同を見渡す。……そして、とてつもない期待の眼を向けるシーアと目が合い、思わず視線を逸らした。
「船長! 勿論助太刀するんですよね! ヒュドラを討伐すれば、海路も安全、海王様からの覚えもめでたくなりますし!」
「……全く白々しいね、海王様からどう思われようとか全く気にしてないだろう、君達」
ごほんと咳払い、ネルソンは含みのある笑いを浮かべた。
「“物資の運搬中”に“意図しない戦闘”の発生は、よくあることだ。君達が口車を合わせてくれるなら、“輸送”を引き受けよう」
その申し出をユーゴは快く引き受けた。過去のパイシースとの戦を知るアリエス王国国王がこの場にいたら苦い顔をしそうだが、ユーゴはこの場で一番利益がある手――もしかしたら今後の両国の関係にとっても――を取る。
だが、ヒュドラの討伐はそう容易い事ではない。どころか、ソクラティスは「不可能だ」と言った。
「ヒュドラは数多の竜の首を持つ魔人。その首はいくら切り飛ばそうとも無限に生えてくる。不死身なのだ、彼女は!」
そのしぶとさは勇者ソムヌスですら遂には仕留められずに逃げられ、今の勇者ジェイソンですら苦戦したほどであるという。
ユーゴ達のような凡人はもとより、ヘレン達英雄の武術で仕留められるかどうか……。アリエス王国が誇る魔道部隊は空からの攻撃が可能だが、ヒュドラがいると思しき空域は海も空も荒れており、まともに飛行することすらできないという。
パイシースの誇る『タイガーシャーク』号を筆頭とした船団は行ける、とネルソンは豪語するが、辿り着いたところで討伐が出来なければ意味は無い。
再び話が行き詰まり掛けた時だった。
「えっと、申し訳ありません。もう作戦方針、決まっちゃいましたよね……?」
イズルが戻って来た。傍にはあの竜人の娘であり、竜王を討伐したレヴィ・メルビレイもいる。彼女を最後に見た時、どこか心の迷いというか逡巡があるように思えたが、今はそれが消えているような気がした。一体この短い間に何があったのか、ユーゴには知る由もないが。
「イズル君、軍議を放ってまでやらない事がなんなのか、私はまだ聞いていませんよ。返答如何によっては、謹慎処分もありうる」
その言葉にイズルは臆さなかった。むしろその毅然とした姿にユーゴの方が圧倒されそうだった。
「罰はいくらでも受けます。けど、それは――俺にしかできない事を為してからでもいいですか?」




