ⅩⅦ 逆鱗に触れる
ずんっとサルコテアの尾の方から地面が揺れる。圧し潰されていたエフィルミアが籠手に炎を纏いながら立ち上がっていた。彼女の意志に呼応するかのようにそれは火柱となって竜王の尾を弾き飛ばした。セレーネが片刃剣を叩きつける。炎と水、二つの元素から成る雷の魔力を伴った刃が尾の先端を叩き斬る。
その隙に、再度レヴィはトライデントを構えて突っ込んだ。口から滴る竜人の血が刃に触れて反応する。鋼鉄の刃が竜の顎のように変化し咆哮を放つ。
「その槍……! 竜人の秘技によって鍛えられたか!」
サルコテアが驚きと共に好戦的な笑みを浮かべた。が、彼の相手はレヴィだけではない。宙を舞う二本の戦斧、ゴーレムが放った岩石が竜王を大地に叩き伏せようとする。が、岩石は咆哮に寄って砕かれ、更に上昇することで戦斧は容易く躱される。
「貴様らなど眼中にない」
再び放たれた火炎。だが、それはヘレンやチュチーリアを狙ったものではなかった。砦側の城壁に直撃し、熱で溶けながら外側へと弾ける。爆炎の中で何かが動く影があった。
首無騎士が二角獣に跨り、城内へとなだれ込んでくる。一体どこから湧いて出たのか。殆ど警戒していなかった位置からの出現にアリエスとジェミニの両軍は混乱状態に陥っていた。
「行って! こいつはアタシが抑える!」
レヴィの決断は早かった。セレーネ、それにチュチーリアはすぐさまゴーレムを率いて反撃に向かうが、ヘレンは躊躇していた。奇襲を受けた今、態勢を整えなければ総崩れとなるだろう。だが、竜王をこのまま放置するのも危険すぎる。
頭上で幾つもの火炎が球状になり、落下する。対し竜の顎となった刃が火を噴いて激突する。黒煙が周囲を覆う。その隙にヘレンに身を寄せ――ゴンっと額をぶつけた。
「さっさと行く! アイツはアタシの獲物!!」
「えっと、ヘレンさん、私もついてるようチュチーリア様に頼まれましたので! 絶対にレヴィちゃんは死なせません!」
ソフィア・アタナシウス――ソフィーが傍に立ち、勇ましく錫杖を持った拳を握った。今や生身ではない……ゴーレムの腕を見て、レヴィは顔を曇らせた。腕だけではない。両脚も武骨なゴーレムのものだ。
「……私もお忘れなく! 絶対二人とも守ってみせるんだから!」
エフィルミアが歯を食いしばり、満身創痍の身体に鞭打つように叫んだ。籠手に灯った魔力の炎は未だ消えていない。
「ん、分かった……えっと、助けが必要だったら叫んで」
「うん分かった!! ぜったい叫ばないから!」
その場から去りつつ叫んだヘレンに、意地を張って返す。レヴィは背中の翼を広げ羽ばたかせる。凄まじい風圧と共に、宙に体が浮く。煙の中から飛び出した瞬間、サルコテアと目が合った。
開いた口から吐かれた炎を三又槍を回転させて弾き、お返しとばかりに炎を顎に変化した刃から吐き返す。だが、それは竜を焼き尽くすには至らない。鱗に弾かれ、それは辺り一面に黒煙をまき散らしたに過ぎなかった。
だが、レヴィの狙いはこれだった。濃く辺り一面を覆う煙幕はサルコテアの視界をも奪った。
「小娘……竜人の刃で何を為すかと思えば、このような小細工、竜にあるまじき戦い、失望したぞ」
「小細工結構! アタシはそうやって泥臭く生きてきたんだから」
このような戦いは誇り高き竜とは正反対。異端とも言えるだろう。だが、レヴィの一族は……人間と竜が結ばれたその時から異端だった。だから人間からも竜からも疎まれ続けた。どちらにも完全には染まり切ることができない。
「人間なぞ捨て、我と共に来い。竜のなんたるかを教え、導いてやろうではないか」
レヴィは思わず笑いだしたくなった。先程まで人間の言葉を「甘言」であると吐き捨てていたのに、自らはその「甘言」で揺さぶるのか、と。
――だが。
「この地の守り神であるカルキノスは、“竜人”であったヒュドラ様に味方しようとして勇者ソムヌスに討たれた。人間の仕業によって魔人に降るしかなかった姫君を‥‥…守ろうとしてだ」
レヴィの動きが一瞬止まる。その事実をレヴィは知っている。カルキノスはキャンサーの守り神……そう聞かされていた幼少期。その巨体をレヴィは実際に目にした事がある。
幼過ぎて朧げながら、その匂いも実際に触ってみた感触も覚えていた。そして……もしかしたらだが。声を掛けてもらった思い出もあった。
『おぬし竜人の娘……懐かしいのう。百年ぶりか――あぁ、こんなにも穢れを知らぬとは』
「人間はかつて竜を追い立て、竜人を奴隷とした。テュポン王とエキドナ様は決起し、生き残った竜と竜人達を率い、自ら魔に降ったのだ」
思えば、カルキノスの言葉は震えていたように思えた。湿って、塩辛かった……あれは海の近くにいたからだと、潮風のせいだと思っていたが。
「そしてその勇猛果敢な戦いぶりに感化され奮起したカルキノスをも、時の勇者ソムヌスは無慈悲にも斬り捨てたのだ。竜人の姫君であるヒュドラ様を守ったばかりに敵と見なされたのだ」
サルコテアの巨大な翼が煙を払う。目の前で棒立ちになっているレヴィを囲うように腕を広げる。傍にいたソフィーとも、エフィルミアとも分断するように。レヴィが無抵抗にしているせいだろう。二人とも息を呑んでその場で、自身の身を護るように武器を構えるしかなかった。
「……るな」
「なんだ?」
言葉が纏まる前に突いて出る。怪訝そうに首を傾げた竜王サルコテアを、レヴィは臆することなく正面から見据えた。
「お前の勝手な妄想で、爺ちゃんを語るな……彼は、優しすぎるだけ。勇猛とか名誉だとかそんなのとは無縁のただただ優しくてでっかい蟹」
レヴィが成長した後に出会った師匠のモロスは勇者の元仲間だった。彼はソムヌスがカルキノスを斬ったことも包み隠さず、ただ淡々と話してくれた。魔人であるヒュドラを庇い、激しく抵抗した為、人間に危害が加わる前に一刀で斬り伏せたのだ、と。
人間側から見れば魔人は敵。それを庇った守護神は錯乱したのか、或いは敵に操られていたとでも思うところだろう。一方の竜側から見れば、自分達を護ろうと立ち上がってくれたのだと、その武力でもって勇者に立ち向かったのだと思われたことだろう。
誰も彼自身の考えを聞こうともしない。勝手に自分の都合のいいように解釈している。
「きっと爺ちゃん……カルキノスはお終いにしたかっただけなんだ。人間のせいで竜人が堕ちて、その竜人が人間を殺して回るそんな地獄みたいな巡り合わせを」
不思議と、モロスが勇者ソムヌスを信じ続ける理由が分かった気がする。竜人の末裔にして魔人に堕ちたヒュドラを庇うカルキノスをただ邪魔になったから排除したのではなく――カルキノスが身を挺したその意図をソムヌスは正確に理解していたのではないか。
守護神カルキノスは人間だけの味方ではなく、その地に住む者の味方だった事。竜人が堕ちたその理由を人間が察することができるそのきっかけになれば、と。
「それも貴様が勝手に妄想したに過ぎんのではないか? 小娘よ」
「アンタよりかはまだ理解ある妄想だと思うけど!!」
カルキノスと一度会った事がある、それは根拠としては薄いかもしれない。だから、ここでこれ以上竜王と問答を続けるつもりはなかった。それは相手も同じだったらしい。
巨大な手から開いた爪が左右から迫る。火を噴く三又槍をその場に叩き付けた。吹き出す火の勢いに乗って後ろに跳ぶ。
竜王の翼が真っ赤に燃え上がり、のど袋が膨れ上がる。時間稼ぎをしていたのはレヴィ達だけではなかったようだ。
――まずい……!
「そうか、残念だ、竜人の娘よ。せめて我が破滅の熱線で、偽りの仲間と共に葬ってやろう」
口が開く。その熱線を防ぐ程の力はレヴィにはない。だが……。
「どこまで傲慢なのですか、あなたは!!」
竜王の顎に強烈な拳が入った。ソフィーが使った魔法“見えざる手”だ。魔法陣から巨大な腕を出現させることができる魔法で、召喚した腕はソフィーの思うがままに動かすことができる。
彼女が失った手足をゴーレムの物に替えてすぐに動かすことができたのも、この特殊な魔法に精通していたからではないか、とチュチーリアは言っていた。
その巨大な腕が竜王の口、熱線の発射先を逸らそうとする。巨大な竜の腕が組み合い、押し戻される。エフィルミアが意を決して跳ぶ。背後に回り込み、両の拳を組んで頭を叩くも、頑丈な頭蓋に守られた竜はびくともしない。
鉄壁に守られた竜にも弱点がある。だが、それを竜王に悟られずに二人に知らせる手段が無い。
――自分でやるしかない。
幸か不幸か、サルコテアも他の先に倒された竜も弱点を突かれて倒されてはいない……ヘレンは首を落としていたが、あんな人間離れした業はレヴィにはとてもできない。
周囲一帯が焦げるような風が巻き起こり、喉の奥がひりつく。嫌な汗に今にもトライデントを落としそうになる。それでも、成し遂げなければならない。
狙うは首元。頑強な鱗で全身を覆われた竜だが、彼らには例外なく、弱点が存在する。
一枚だけ、たった一枚だけ反対に生えた鱗――逆鱗。
たった一枚。僅かな隙間に紐を通すかのような繊細さ。
三又槍の刃が熱を帯びる。レヴィは尻尾を大地に叩き付ける。小さな竜人の身体がバネのように跳んだ。
今まさに破滅の炎を吐こうとしているサルコテアは、その源へと真っ直ぐ飛んでくるレヴィに意表を突かれたように目を見開いた。
トライデントの切っ先が急所である逆鱗を捉える。刃が吸い込まれるように刺さる――が、貫通するに至らない。分厚い肉の内側に穂先が指先程入るものの、喉まで刺さらなかった。
「竜の逆鱗に触れる者は等しく万死に至る――」
ここを狙うのであれば、それも理解している筈だろう? 怒りに燃えた瞳がそう問い、その口がレヴィを狙うその刹那――、ずんっとトライデントの柄が竜の喉奥へ押し込まれる。
「絶対に死なせません!」
ソフィーのゴーレムの手がトライデントの柄、レヴィの手に自身の手を重ねて押し込む。竜が仰け反る。更に押し込まれ、分厚い肉を突き破り、喉に達した。
「もう誰にも悲しい想いなんてさせないんだから!」
エフィルミアが反対側につき、レヴィを支える。トライデントの刃が一段と激しく燃える。使い手の気魄に同調しているのだと、ようやくレヴィは気づく。
「貫けえええぇっ!」
竜の喉の中で噴き出た炎が刃の形を形成する。サルコテアの目が張り裂けんばかりに開く。喉を炎の刃が貫いた。痛みから逃れようとのたうち回り、口から放たれた熱線は断末魔のように空を虚しく通過していった。
レヴィとソフィー、エフィルミアの三人は互いを支えながら立ち上がった。その後ろには竜王サルコテアの身体が横たわっていた。新たな魔王軍の増援も既に撃退されているようで、至る所にバイコーンとデュラハンが転がり、その体は消えて行く。三人とも一旦城の中へと戻る事にした。
エフィルミアは傷と煤に塗れていたが、変わらない明るさでソフィーと話をしていた。
「あなたがレヴィちゃんが言ってた友達ね!」
「え!? レヴィちゃん、そんな風に言ってくれたの!?」
いや、竜人だと分かっても普通に接するヤツがいるというだけの話しかしてなかった筈だが――二人ともすっかり盛り上がってしまっている。これに水を差すようなことをするのは野暮だろう。それに、友達なのは違いない。
「ソフィーだけじゃない……。アンタも今から友達だから。」
多分、最後の一言は余計だっただろう。馬鹿力な二人にもみくちゃにされた。悪い気分ではない。幸福感すら感じた。その瞳が固まる。
城壁、見張り台の上で誰かが一人倒れているのが見えた。二人を振り払い、跳躍する。見張り台の床は血に染まっていた。
「師匠……!!」
最初のサルコテアの破滅の熱線を相殺したのは、レヴィの師匠――モロス・アガメムノンの戦鎚が放った一撃だった。
四大精霊のうち大地の力を宿した武術。だが、その真価――渾身の一撃を放つ為には使い手の代償を要求する。
モロスはレヴィの腕の中で微かに息をしていた。ふと誰かの気配を感じてレヴィは顔を上げた。
「また無理したのね、この人」
真っ黒な髪の女性。彼女をレヴィは知っていた。
「アイリーン……さん」
モロスの妻であり、かつて幼少の頃、孤児となったレヴィを助けてくれた。モロスは数人の兵士によって城に運ばれた。魔王軍の奇襲により、アリエス王国とジェミニ評議界共和国は進軍計画を遅らせる事となった。
同時刻、海では別の戦いが始まろうとしていた。




