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律と欲望の夜  作者: 冷泉 伽夜
第三夜 静寂と沈黙の雨
99/103

声が響く場所 2




          †




「ご注文ですね、おうかがいします~」


 喫茶店の仕事に慣れてきたスズは、いつものように、呼び止めた客のもとへ向かう。


 その席に座るのは、ニューハーフバーに務める二人。ふくよかなニューハーフにモデル体型のニューハーフ。どちらも出勤前のすっぴんだ。ふくよかニューハーフは、カツラも取っており、見た目は男性だが口調は女性だった。


「やだあんた。今日もきゃんきゃんした声が聞こえると思ったらいたのね?」


「毎日いますよ」


 モデルニューハーフがおしとやかに言う。


「客が多いから毎日大変でしょ。がんばってるのね、店長さん」


「まだ店長じゃないんですよ~」


「あら、そうなの?」


 世間話もそこそこに、注文を取り始めるスズ。


 そしてそれは、このいつもどおりの忙しさの中で起こった。


「いや、だからぁ、できないってどういうことなんだって言ってんだよ!」


 談笑で騒がしい店内を、男の怒号が塗り替える。声がしたほうを見れば、テーブル席のそばに立つアルバイトの女性が、青白い顔で委縮しながら震えていた。


「馬鹿みたいにマニュアルどおりのセリフ繰り返しやがって」


「すみません……」


「申し訳ありません、だろ? 俺がいつもこの店でこれ頼むってわかってんだろうが!」


 一人で来ている中年の客は、テーブルを叩きながら立ち上がる。クラッチバッグ片手にアルバイトを指さした。


「ほんとこの店はこういうところがなってないんだよな! 店長を出せよ店長を!」


「申し訳ありません……」


「これが銀座の喫茶店だったらもう終わりだぞ! あっちはもっと客のことかんがえてっからな?」


 アルバイトは涙目になり、なにも返すことができない。


「あらあら……」


 バックヤードから出てきた翠が対応しようとフロアに向かう。しかし目の前をさっそうとスズが横切った。


「お客様、大変申し訳ございません。私のほうでお話を聞かせていただきます」


 アルバイトの女の子に先ほど取った注文を握らせて、厨房に戻るよう体を押した。ぺこりと頭を下げた女の子は厨房に戻っていく。


「おまえみたいな小さい女が店長なわけないだろ、気持ち悪い声しやがって!」


「申し訳ございません。これでも店長の代理でして……。お客様が望まれた商品が売り切れだったということでよろしいでしょうか?」


 スズは、ニューハーフの二人が座る席に向かう際、男性の席をちらりと見ている。バイト店員はメニュー表を渡し、提供できない商品を説明していた。その理由まできっちりと伝えていたバイトに問題はなかったはずだ。


「いっつもこれ食べに来てんのに売り切れなんておかしいだろ! どうしてくれんだ俺の昼飯をよ! 店長なら客がなに食べるかしっかり把握しとけよ!」


 スズは改めて、バイト店員と同じように伝える。


「申し訳ございません。本日はエビが切れておりまして、エビを使ったメニューの提供ができないんです」


「だったら食材買い足して作ればいいだろ! そういうところだぞ! 臨機応変に対応しろよ、客商売なら!」


 ここは飲み屋ではない。下手に笑って対応すれば逆上される。シラフの場ではごまかしもきかない。


 とにかく毅然(きぜん)とした対応を心掛けるしかなかった。


「当店では特定の店舗から取り寄せる形になっておりますので、料理の品質の点からそのような対応は致しかねます。申し訳ございません」


 深々と頭を下げるスズに、客は指を差しながら唾をまき散らす。


「俺が通ってる銀座の店なら引き受けるぞ!」


「申し訳ございません。当店では致しかねます」


 高音ながらもはっきりとした返しに、中年の男は顔を赤くさせ、プルプルと震えていた。


「なんだこの店は! 店長すら話が通じねえじゃねえか!」


「申し訳ございません」


「もういい! 帰る!」


 客はスズを突き飛ばすように押す。なんとか倒れずに済んだスズに、これ見よがしに吐き捨てた。


「このうるせえクソばばあがよ!」


 店の出入り口に歩いていく客のあとを、スズは平然とついていく。


「次回いらした際には提供できるようにいたしますので、ぜひ、またのご来店を」


「二度と来ねえよ、こんなとこ!」


 ドアを乱暴に閉めながら出ていった。ドアについた鈴が跳ね動き、いつもよりけたたましく鳴り響く。


 くるりと振り返り、客に「お騒がせしました」と頭を下げ、厨房にさっと戻っていった。奥で待機していたアルバイトの女性たちが近寄ってくる。


「大丈夫ですか? さっきの人やばかったですね」


「あぁ……。全然大丈夫だよ。でもお客様を怒らせたまま帰っちゃったから、あんまりよくないよね」


 責任者として自分が対応しなければとしゃしゃり出たが、あれで正解だったのかいまいちわからない。


「いいですよ、そんなこと気にしなくて!」


 スズのもとに来たアルバイトの中には、先ほど怒鳴られていた女性もいた。いまだに元気のない顔でうつむいている。


「大丈夫? 怖かったよね、あの人」


「すみません。私のせいで……」


「大丈夫大丈夫。対応に問題はなかったよ。ちゃんと事前に伝えてたの見てたから。もしまたこういうことがあったら、私が変わるからね」


 今回はたまたまうまくいったものの、今後は喫茶店の店長として対応をちゃんと考えなければならない。


 バイトリーダーが不快げに腕を組み、スズにこっそりと話しかける。


「あの人、『銀座の人』ですよ。若いバイト捕まえては、俺は銀座で稼いでるって自慢する人」


「え~? なにそれ? 変な人~」


「銀座銀座ってここは銀座じゃねえっつうの! しかもなにあの捨て台詞! 小学生か!」


 そのとき、厨房奥にあるバックヤードから、パンパンと手を打つ音がした。その場にいるみなが顔を向けると、翠が真剣な声を放つ。


「こらこら、みんな仕事中よ。私語はつつしんで」


 バイトたちは返事をして、ホールに出る。


 翠はスズを見つめ、恐ろしいほどに柔らかい笑みを浮かべていた。静かにバックヤードへ戻っていくその姿に、勤務時間が終わったら反省会になるだろうなと、スズは苦笑して身構えるのだった。

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