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律と欲望の夜  作者: 冷泉 伽夜
第三夜 静寂と沈黙の雨
100/103

踏みにじられた尊厳 1


 送迎車が停まる。


 窓の景色を見れば、そこに建つのはこぎれいでしっかりとしたラブホテルだった。古いチープなホテルか壁の薄いアパートに呼び出されることがほとんどのユイは、目を疑う。


「ユイさん、ここの308号室ね」


 どうやら間違いないようだ。


 返事をしてドアを開けたユイに、運転席に座るスタッフが振り返る。


「NGにしてる子多いけど、金払いはいい客だから。困らせないようにね。ただでさえ、人気ないんだし」


「……はい」


 車から降りて、ドアを閉める。ホテルに入り、指示された部屋に向かえば、出てきたのは清潔感のあるガタイのいい男性だった。人当たりのいい笑みを浮かべ、部屋の中に手を向ける。


「どうぞどうぞ、さ、入って」


「お邪魔します」


 ユイがいつも相手にしているのは、中年のおじさんがほとんどだ。プレイ前のシャワーをケチる不潔な人が多い。たまにいる若者も、横柄なヤンチャタイプか、なにも話さない根暗タイプのどちらかだ。


 しかし今回の男性は、どのタイプでもない。真面目で、会話のできる大人といった印象だ。 


 部屋はデザインの凝ったかわいらしい内装で、ユイが思わずあたりを見渡してしまうほどだった。いつも訪れるような、ベッドが最低限整えられているだけの狭い部屋とは大違いだ。


 余裕しゃくしゃくとベッドに腰掛けた男性を見下ろす。


「時間は、どうしますか?」


「120分で」


「あ、はい……」


 これもまた珍しい。


 激安デリヘルは短い時間で抜くのがスタンダード。通常の四倍かかる時間を選ぶ客は、なかなかいない。困惑しながら電話でスタッフに伝え、前払いで料金を請求する。


 シャワーを浴びてもらおうとしたが、その前に話をしようと、男はとなりをぽんぽんとたたいた。120分もあるしいいか、と、ユイは促されるがまま腰を下ろす。


「それ、どうしたの?」


「ああ……」


 やはりこの客も、顔を指さして聞いてきた。またかと思いつつ、事情を説明する。適当にごまかしても包帯の中身を見たがるのは同じなので、包み隠さず伝えていた。


「そうだったんだ。そりゃあ、大変だったねぇ」


 それを皮切りに、さまざまなことを聞いてくる。


 本名はなんだ、お昼の仕事は何をしているのか、子どもはいるのか、今彼氏はいるのか、風俗の仕事はどうだ――。


 さすがに、すべてをぽんぽんと馬鹿正直に答えることはない。プライベートに踏み込ませないよう、ほんの少しの事実を混ぜたウソで返していく。


「そうかそうか。家計のために働いてるんだ?」


「物価も高いし、子どもの学費も貯めておきたいので」


「子どもに不自由させらんないもんねぇ。ユイさんみたいな人こそ報われてほしいよ。こういう仕事、ホスト通いするためにやってますって女の子も多いからさ」


 一瞬ドキリとしたが、うまく相づちを打って逃げることができた。


「ユイさん、やけどがなかったらすごく美人だったんだろうな。見た感じ、スタイルもめっちゃいいと思うんだよね」


「いえ、そんなことは……」


 男がそばに置いていたバッグを漁る。ごそごそと取りだしたのは、ごつごつとした大きい一眼レフカメラだ。


「どうかな? 写真、とってもいい?」


 プロが使うような、手入れが行き届いているしっかりとしたカメラに、ユイの顔が引きつる。


「撮ったらユイさんにも見せてあげるからさ」


「いや、私は、ちょっと……」


「え~? ほかの女の子たちは撮らせてくれるよ? きみの店のフミちゃんとかぁ、モエちゃんとか」


 男性が話すたびに、嫌悪感と恐怖がじわじわを湧きあがってくる。


 先ほどまで穏やかに会話が続いていたからこそ、すでに断りにくい空気ができ上がっていた。決して良くはない頭で、反感を買わずに切り抜ける方法を必死に考える。


「すみません。私、やっぱりその、恥ずかしいですし」


「そんなことないよ、大丈夫だって! デリヘル嬢ならこういうのよろこんでOKするもんだよ」


「いや、でも私はちょっと、無理なので……」


 その場の空気がスッと凍り付くのを、肌で感じ取った。ユイがバツの悪さを感じる中、男はあっけらかんと笑う。


「ああ、そう。わかったわかった。無理強いはしないよ」


 カメラをバッグにしまう男に、安堵(あんど)の息をついた。


 なんとか断れたものの、不安と恐怖は消え去ってくれない。これまで罵倒してきたどの客よりも危険だと、頭の中で響く警鐘が鳴りやまなかった。


 それでも、報酬を受け取った以上仕事はこなさなければならない。とりあえず早々にシャワーを浴びるよううながした。


 包帯を巻いたまま浴室に入るユイは、男性の体を洗っていく。それが終わればベッドに移動し、相手が希望するプレイを始めていった。


 終始笑みを浮かべて相手をするユイだったが、早く帰りたくて仕方がない。


「ほんとにだめ?」


「だめです」


「どこにも出さないよ?」


「ほんとにだめなんで」


 シャワーを浴びているときも、ベッドでのプレイ中も、撮影の催促がしつこい。


「うわ……すごい体してる」


 男性の上にのっているときの反応に、ユイは眉尻を下げる。


「そうですよ、だから写真はダメなんです」


「いやいやこれがいいんだよ。だからね、一枚だけでも」


「だめですって」


「顔もちゃんと隠すからさぁ」


「ごめんなさい、ほんとうに無理なんです」


 この調子で120分は地獄だ。はやく解放されたい。


 腰を動かすユイの表情が、ふと、ゆがむ。


「ちょ、ちょっと待ってください! だめです!」

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