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律と欲望の夜  作者: 冷泉 伽夜
第三夜 静寂と沈黙の雨
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暴かれた罪


 工場のパートはいつもどおり、眠くなるような単純作業の繰り返し。


 休憩時間のチャイムが鳴り、場を離れようとしたときだった。


 足がひっかかり、前のめりに横転する。機材にぶつかることなく、床に倒れる程度で済んだ。


 たくさんの機械が並び、切断機もある危険な場所で大事に至らなかったのは、幸運としか言いようがない。


「ちょっとぉ、マジでやめてくださいよ」


 一回り年の離れた若い女の子が、床に突っ伏すユイを見下ろす。


「そんなところで倒られたら迷惑なんですけど~。仕事の邪魔しないでもらえます?」


「すみません……」


 自分の体にも、商品にも、なにもないようでよかった。ユイはほっと息をついて立ち上がる。


 くすくすと笑う声を背中で聞きながらその場を後にし、食堂へ向かった。


 いつものように、壁際のパイプ椅子で、背中を丸めながら安いパンをほおばる。


 そこかしこから向けられる視線に、ひそひそ声。最近になってやたらと増えている気がする。


 顔を向ければ、テーブルで社食を食べる男性パートたちが、にやけながら顔をそらした。どうせ、また、顔のやけどで何か言われているのだ。もう慣れている。


 もともと、ドライな職場だ。仲のいいパートがいるわけでもない。


 だからこそ、この時点ではまだ、なにも気づかなかった。




          †




 パート勤務が終われば、子どもを預けてデリヘル出勤だ。


 あの一件以来、この上なく本番交渉をしてくる客が増えた。その姿はあまりにも醜く、あまりにもしつこい。嫌で嫌で仕方がない。


 それでもお金をもらえるならと、抵抗することはなくなっていた。一度体を許したあの日から、ずるずると深みにはまっていく。


「最近、ユイさん調子いいね」


 プレイを終え、事務所に戻っていく送迎車の中、運転するスタッフのご機嫌な声が響いた。


「ようやく指名客がついてきたじゃないの。この調子でよろしくね。自分にできること考えて、お客さんをもっと満足させられるようにね」


 デリヘル側は最初から、ユイをフォローするつもりがない。どんな方法であれ、稼いでくれればそれでいいのだ。辞めるなら辞めるでかまわない。ユイがひとり消えたところで、何も変わらないのだから。


 事務所に戻れば、ユイとは入れ替わりに数人の女の子が出てくる。その際、腫れものを見るような目を向けられたことに気づいた。


 怪訝(けげん)に思いながらも、狭い待機室へと入る。そこには、今日も目元のメイクに力の入っているリアがいた。壁に背をつけるよう膝を抱え、スマホを見下ろしている。


 ――二人きりだ。前回会ったときのこともあり、気まずい。


 お疲れさまとあいさつはして、離れた位置に置かれた古い座布団に、膝を曲げて座る。


「ユイさん、やばいっすねぇ」


 下卑(げび)た笑みを浮かべるリアが、四つん這いで近づいてきた。


「ネットの提示版にめっちゃ書かれてますよ。ユイさんが、本番できちゃうって」


「……え?」


「しかも、これ。まずいですよ、ユイさぁん」


 ほら、と、スマホの画面を見せつけてきた。そこに表示されているものに、ユイは言葉を失う。思わず吐き気がこみあげて、口を手で押さえた。


「本番するにしても、盗撮対策はちゃんとしなきゃ~」


 画面に映るのは、個人サイトのページだ。のせられた動画が音声なしで再生されている。


 客の上に乗るユイの、本番中の裸体。顔も、モザイクがかかることなく映っていた。


 背景には見覚えがある。初めて本番行為に及んだ、あのホテルだ。


「この人、界隈(かいわい)じゃあ結構有名で、みんな警戒してるんですよ。ちなみにこれ、スタッフもみんな知ってるんで」


 リアはスマホの画面を自身のほうに戻した。


「この再生数とコメントの数だと、全国各地で見られてるんじゃないかな。あははっ、やばー。ユイさん有名人じゃん!」


 他人事(ひとごと)のように笑うリアに、ユイもしばらくは自分事とは思えなかった。


 だんだんと状況を飲み込んで頭が働きだす中、パートでの出来事を思い出す。


 あのとき向けられていた視線と嘲笑は、軽蔑や好奇心が混ざるものだった。――動画の存在を知り、視られていたのだ。そう考えると、ユイに対する同僚たちの言動に、すべて合点がいく。


 自覚したユイの心臓は、これ以上にないほど激しい脈を打ち始めた。喉からはなにも、言葉が出てこない。呼吸をするので精一杯のその顔は、じょじょに血の気が引いていく。


「わかるでしょ。ここのスタッフに相談しても無駄ですよ」


 リアの口角がこれでもかと上がり、その声も跳ね上がる。


「なんとかしてくれるわけ、ないんですから。ま、せいぜいこれからは気を付けてくださいよ。……もう、手遅れだろうけど」


「リアさーん、指名入ったよ~」


「は~い」


 呼ばれたリアはバッグをもって、狭い待機室を出ていった。一人残されたユイは、頭を抱える。


 正直。自分の裸がさらされたことに関してはどうでもいい。どうでもよくはないが、それよりも恐ろしいことがある。動画がきっかけになって、元夫やその家族に自分たちの居場所がバレるかもしれないのだ。


 どうしよう。逃げなければ。もう人として扱われないあの場所に戻りたくない。子どもを渡すわけにはいかない。でも、どうやって逃げる? どこに逃げる? お金はまだ貯まっていないのに――。


 ユイの全身は、小刻みに震えていた。


 ――それから、どのように仕事をこなしたのか、なにも覚えていない。なんとか時間いっぱいに男の相手をして、金を手にし、託児所へ子どもを迎えに行く。


 渡された子どもを大事に抱え、帰宅する足はおぼつかない。眠りについている子どもの呼吸をじかに感じながら立ち止まる。どす黒く濁ったその目は、虚空を見つめていた。


 ユイの事情など知ったことではないとばかりに、缶チューハイに口をつけてはしゃぐ若者や、回らない舌で歌うサラリーマンがすれ違っていく。


 ――どうしよう。まずは警察に相談して……。でもなんて言えばいい? 本番行為したら盗撮されていて――? これは、自業自得だ。相談する権利もない――相手もそれをわかっててやってるんだ――。


 頭の中でぐるぐると思考を巡らせても。なにをすべきか、その答えは、いまだに出てこない。


 



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