絡まりよどむ悪意
閉店間際の「Aquarius」。
ヘルプホストのレオは、休憩がてら男子トイレのドアを開けた。
男子トイレも女子トイレ同様広々としており、鏡付きの洗面台に、個室が二つ並ぶ仕様となっている。
「……うわっ。びっくりした」
思わず胸を手で押さえる。
ドアの影に隠れられる位置で、律が腕を組んでたたずんでいた。
「こんなとこでなにしてんすか、律さん」
「店長には言うなよ。俺がここにいること」
レオはあきれながら、苦笑する。
「見つかるのも時間の問題だと思いますけど」
「いいだろ、俺、結構働いたぞ。初回のほとんどついたんじゃね? もう店長に見つかりたくねえの」
「律さん。初回客にも評判いいからついてほしいんすよ~」
「指名少ないんだからおまえがつけよ」
「俺だってつきたいっすけど、律さんのが確実ですもん」
「そういうとこだぞ、指名が少ないの」
「ションベンしにきただけなんすから説教やめてくださいよ」
レオは逃げるように、そそくさと個室に入っていく。
短く息をつく律は、その場から動こうとしない。閉店まで、意地でもここから出るつもりはなかった。
トイレの中でもBGMが響く中、ふと、ドアの向こうからかすかに女性の声が聞こえてくる。
「あのおばさん笑えるんだけど」
聞き覚えのある声だ。それはだんだんこちらに近づいてきていた。
「マジでやばいやつに引っかかってんだもん」
「おまえ最悪じゃん」
ふざけながら返すホストに、明るい声が続く。
「やけどのさ、グロいあとも丸見え。あんなんじゃすぐ身バレしちゃうね。ネットでも結構知られたサイトみたいだし、もう普通の生活送れないんじゃない?」
「おまえ、やり方えぐすぎ」
「いいじゃん。これで律の指名が一人減ったんだし。店にとっても都合いいでしょ。ホストクラブ来て水だけの客なんて客じゃないんだからさ」
「よく言うよ、無理やり連れてきたのおまえなのにさ~」
「だあって、まさかマジでハマると思ってないし。あんなおばさん、ホストに相手されるわけないじゃん」
「もういいから、トイレ行って来いよ」
「はあい。すぐ戻るから待ってて」
厚底ヒールの重い足音が、ドアの向こうを横切っていく。少し開けてのぞいてみれば、女子トイレに入っていく女性が一瞬見えた。
ツインテールに、フリルのついたチェックのミニスカート。
間違いない。ユイを無理やり連れてきた、リアだ。
ドアを閉め、ジャケットの内ポケットからスマホを取りだす。いつも店で使うスマホとは違い、白いカバーがはまっていた。
電話をかけ、耳に当てる。
「もしもし、優希? 今どんな感じ? ……そう。じゃあ、俺がそっち行くまでに調べてほしいことがあるんだけど」
†
「ごめんね。ユノちゃん。今日は雨だから客足が遠のいてるみたいで」
キャストに帰宅を促すメイコの申し訳なさげな声が、事務所に響いている。
「そうそう。ほんとうにごめんなさい。今から下におりて、部長がいる車に乗ってくれる?」
連日雨が続く中、この日は特にお茶を引く子が多かった。ドライバーにもひとりずつ連絡を入れていく。
「あ、ミズキくん、今どこかな? ……じゃあ、そのまま戻って、ヒナさんとチナミさんを送っていって。……うん。雨だから気を付けてね」
メイコが電話を続ける中、律はデスクに座る優希の後ろに立ち、パソコンの画面を見下ろしていた。優希が険しい顔つきでマウスを動かす。
「社長がおっしゃってたの、この子ですか?」
画面に表示されたのは、デリヘルレポートブログの記事だ。タイトルですでに「顔に大やけど」の文字が入っていた。
律の眉間にしわが寄る。優希がゆっくりと、下へスクロールしていった。
『どこまでほんとかはわからないが、DV夫に脅されて働かされてるらしい。体中にある生々しい傷が、その凄惨さを物語っていた……((汗』
女性の身体的特徴に限らず、女性から聞き出したプライベートの内容までこれでもかと書き出している。
「本番交渉大成功!」の大文字のあと、隠し撮りされた動画がのせられていた。律は身をかがめ、無音で流れ始めた動画を凝視する。
そこに映る女性は間違いなく、ユイだった。苦虫をつぶすような顔で大きなため息をつく。
優希が顔をしかめ、動画を視ないよう視線を逸らした。
「吐き気がしますよ。生本番やらNNみたいなソープ用語出しやがって。こいつらのせいでデリヘル嬢とやれるなんて勘違いする男が増えるんすよね」
「盗撮、だな」
「ですね。角度的に。女の子たぶん気づいてないですし。男の顔一切映らないようになってますから」
動画の下には金額が表示されている。動画の全編を勝手に売り物にしているようだ。
「ちょっと、なんの話?」
ようやく電話を終えたメイコが二人のもとへ寄る。なにを見ているのかと、パソコンをのぞき込んだ。
「あ、会社で変なもの見て!」
「違います! 近澤さんから送られたサイトのうちの一つです! 社長に調べるよう言われて……」
「え~? ほんとですか?」
いぶかしげに律を見て、もう一度画面を見るメイコ。記事に貼ってある動画が、繰り返し流れていた。
メイコは目をぱちくりとさせ、優希が座るイスの背もたれに手を置き、さらにのぞきこむ。
「この人……」
「メイコさん、知ってる人っすか?」
「あ……いや……」
何度も瞬きをしながら、ゆっくりと身を引いていく。律はその姿を横目に、優希へ指示を出した。
「女の子たちには、今後も気を付けるよう連絡回しといて。隠し撮りする客の特徴とか、カメラの確認方法とか、防ぎ方とか、そういうのをまとめたうえで」
「了解です」
「このサイトのことは今後も注意しながら見といて」
「はい」
物憂げな顔で考え込んでいるメイコの肩を、軽くたたく。洋室に向かう律の姿を見て、メイコも続いた。
部屋の手前で立ち止まる律は、声を抑える。
「そういえば、前に採用を見送ったって子も、顔にやけどがあったって言ってたね」
メイコは返事をせず、ため息をつきながら顔を伏せた。
「たとえ本人だったとしても、メイコさんのせいじゃない。とりあえず俺たちは、うちにいる女の子たちのことを守らないと」
「……はい」
律は再び、メイコの肩をポンとたたいた。




