雪月との出会い
華乃子は新しい職場に対する不安と共に文芸部の部屋の扉を潜ると、頭を下げて挨拶をした。
「鷹村華乃子です……。よろしくお願いします……」
頭を下げたままでいると、文芸部の編集長は満面の笑みで迎えてくれた。
「いやあ、我が社の気鋭のモボ・モガ通である鷹村さんを我が部に迎えることが出来て嬉しいよ。うちの部で是非作品を華やかにして欲しい。ささ、こっちへ来て。先生を紹介しよう」
そう言って応接室に促される。部屋の一角に衝立で囲われた其処には、涼やかでやさしそうだが、やや白い顔をした風貌の男性が座って居た。
人の良さそうな月のカーブを描くやさしい双眸。眉はやさしい様子の少し垂れた曲線を描いている。鼻筋はすっと通っており、唇は薄くおだやかな笑みを浮かべていた。前髪が中央で左右にふんわりと分かれていて、やわらかい髪の毛は彼がお辞儀をするとさらりと顔の輪郭に沿って流れた。
「こんにちは。雪月と申します。お世話になります」
自己紹介をしてお辞儀をする声がやわらかく響く。しかし顔色はやはり少し悪く、自分はこの人の体調管理も任されるのだな、と感じた。仕事の内容を紹介されても居ないのに、既に仕事を見つけてしまって、それが流行の最先端でないことに、華乃子は少し心の中で下を俯き、嘆息した。
「初めまして、鷹村華乃子と申します……。文芸部とは畑違いの婦人部に居たので、先生のお力になれるかどうか分かりませんが……、が、頑張りますのでよろしくお願いします……」
作家の先生と担当者とだったら、先生の方が上だ。それなのに華乃子が頭を下げると、そんな、僕の方こそお世話になります、とまた頭を下げられてしまう。
「僕には芥川先生や漱石先生、子規先生方のような文才はありません。どうか気楽に接してください」
そういってまた穏やかに微笑む。華乃子は『作家先生』の想像図を覆されて、ぽかんとした。どうやら雪月は、自分を謙遜する性質の人間であるらしい。
顔色と同じく白くて細い腕が着物の袖から見える。原稿料が足りなくて栄養が摂れず健康状態のよくない作家はいくらでも居ると知っているから、取り敢えずは安くて栄養豊富な食事からなのだな、と華乃子は思った。
まずは、僕の本を読んでみますか。
そう誘われて雪月の家を訪れた。古くて小さな長屋の家で、風通しが良いと言えば聞こえはいいが、冬は寒かろう。
「照れますね、女性を家にお招きするのは」
そういって雪月は口元に笑みを湛え、どうぞ、と玄関を開けた。部屋に上がると、書きかけの原稿用紙や資料と思われる書物が散らばっていた。
「あの、先生……。お顔色があまり良くなくお見受けしますが……、お食事……などは、どうされていますか……?」
華乃子が遠慮気味に問うと、雪月は、食事、ですか……、と返事を躊躇った。その様子に、雪月の返事の内容が分かった華乃子は、若干雪月を問い詰めるような声を発してしまった
「まさか……、召し上がってらっしゃらないとは……、おっしゃいませんよね……?」
「ああ、そういうことはないのですが、何と申しましょうか、あまりお腹が減らないので」
そういって雪月は遠慮気味に微笑む。
やはり。こんなことに見事命中したくはないが、食欲がないからと言って、食事を抜いては駄目だ。雪月の白い顔や身体は、やはり食生活が不十分だったからだったのだ。
「先生……。ご執筆に精力的なのは良いことだと思うのですが、体あってのご執筆だと思うのです……。夕食だけでも……、きちんとしたものを召し上がってくださいませんか……?」
華乃子の言葉に雪月先生は、困ったように、そうですねえ……、と煮え切らない様子だ。手間のことを考えているのであれば、新しい職場で早速華乃子の仕事が決まる。
「あの……、も、もし……ご迷惑でなければ、……私が、お作りしましょうか……?」
「え、いやそんな。そこまでしていただくわけには」
雪月は丁寧に華乃子の申し出を拒絶しようとしたが、それでも家事に慣れない男の人が下女もなく、毎日食事を作るのは大変だ。華乃子は子爵の長女でありながら、父や継母からの蔑視の結果、居を別宅に移されてはなゑと一緒に家事をしていたので、はなゑに教えを乞うたこともあり家事全般一通りできる。給料のいくらかには余裕があるし、それを雪月の食費に回せないこともない。
「あの……、私もまだ先生の担当になったばかりで、何がお役に立てるか分かっていないのです……。ですので、出来ることから、させてください……」
畳に手をつき頭を下げて、華乃子は、そう、雪月に懇願した。雪月は困ったように笑っていた。




