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降りしきる雪をすべて玻璃に~大正乙女あやかし譚~【改稿版】  作者: 遠野まさみ


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華乃子、働きに出る


かくして華乃子は晴れて九頭宮出版の社員となった。初めてする仕事はどんなことでも新鮮でどきどきと興奮してわくわくと胸が高揚した。


華乃子は相変わらず視えてしまうあやかしに悩まされていたが、幸い辛かった過去を経験に、職場ではあらぬものに話し掛けたりすることには気を付けていた所為で、華乃子があやかしを視ることが出来るという噂は流れず、それだけで新しい環境は快適で幸せだった。


今日も着古した着物に風呂敷で会社へ赴く。手に持つのは、はなゑから母の形見だと言って渡されたレース地の日傘だった。母は暑さに弱く、そんな母を気遣って父が母に贈ったこの日傘を、母は春先から晩秋までずっとさしていたという。華乃子も母に似て暑さが苦手だから、母の形見を大切に扱いながら仕事に励んでいた。


配属になったのは婦人部でのファッション雑誌の企画部で、華乃子は寛人の恩に報いようと、一生懸命仕事に励んだ。二年目からは結果も出始め、華乃子の企画が誌面を飾り始めていた頃、その話は突如訪れた。


「あー、鷹村くん。君には移動をしてもらう」


突然の配置換えを言い渡されて、華乃子は編集長である浅井を見つめた。


「な……、何故ですか……? い、今、次の企画の取材も始めていて……」


動揺が収まらない。努力の甲斐あって、華乃子は部の中で存在を認められ始めていた、と思っていた。それが、全く要らない人間だったのだろうか……。華乃子の問いに浅井は困ったような顔をして応えてくれない。そこへ先輩の藤本が立ち上がった。


「貴女の企画が通って来たのは、社長、副社長への忖度、そしてご実家の鷹村家への斟酌(しんしゃく)があったからなのではないかという、疑いがあるからよ」


藤本が華乃子を見下して言う言葉に、華乃子は愕然とした。今の時代、縁故で会社に入ることは珍しくなく、事実社員の半分以上は何かしらの縁故で入社しているし、藤本も人事部長の縁故入社だ。華乃子が九頭宮との縁故で入社していても特に咎められるべき理由にはならない。しかしそれが、仕事に対する圧力になっていたのなら別だ。華乃子は藤本の言葉を、顔を青ざめさせながら聞いた。


「編集長……。私は……、鷹村を捨てて、この会社に入りました……。まさか実家からの圧力があったとは思いませんが……、それが事実だったのだとしたら……、とても残念です……」


俯く華乃子に藤本は、事実だから移動なのよ、と告げた。


「でなければ、私の企画が負けて、ひよっこの貴女の企画ばかりが通る訳ないわ。編集長は貴女の仕事の裏に、貴女の出自を見ておられたのよ」


言葉を失う。視えることで家には見放されてきた。それを押し隠して職業婦人として歩み始めたばかりだったのに、今度は家柄が華乃子の居場所を奪う。この調子では、移動先でだって忖度だの斟酌だのと言われるに違いない。それでも華乃子の生きていく道は、此処しかなかった。


「……分かりました……。……短い間でしたけど、お世話になり、ありがとうございました……」


ゆっくりと、頭を下げる。藤本が、いい気味だわ、とでも言わんばかりに華乃子を見、そして浅井は華乃子に目を合わせてくれなかった。





荷物を纏めて婦人部の部屋を出た華乃子が廊下をとぼとぼと歩いていると、背後から控えめな声で、鷹村さん、と呼ばれた。振り向くと其処には婦人部の佐藤が居り、彼女は少し周囲を気にしたようにしてから、華乃子に近寄った。


「気を落とさないでね。私は貴女がご自分の足で取材を重ね、夜遅くまで記事を書いていたところを見てきたわ。貴女は努力で誌面を勝ち取ってきていたのよ」


佐藤とはこれまであまり話したことはなく、また、そんな風に華乃子のことを見てくれていたことも知らなかった。華乃子の心の中にひとしずくのあたたかい水滴が落ち、それがじわじわと心の奥をあたたかくした。


「……佐藤さん……」


「そ、それだけ伝えておきたかったの。文芸部でも頑張ってね」


佐藤はそれだけ言ってしまうと、逃げるように婦人部の部屋に戻って行った。華乃子は荷物を持ったまま、佐藤が消えた婦人部の扉を見つめた。


……華乃子の実力を認めてくれている人が居た……。


それは華乃子の心を満たし、じわじわと華乃子を嬉しくさせた。


(……悪いことばかりじゃないわ……。ちゃんと頑張れば、認めてくれる人だっている……)


絶望的な状況で明かりがともったような、そんな気持ちになった。そこへ聞き馴染んだ声で呼びかけられた。


「やあ、華乃子ちゃん」


振り向くと、長身に細いストライプのシャツと吊りバンド、縞模様のネクタイにズボンと言ったスタイルの寛人だった。何時だって最先端のファッションで微笑みを絶やさない寛人を見て、華乃子は美しい男性だと何度となく思ったことを今日も思い、微笑みを浮かべる。


「お、おはようございます、九頭宮副社長……」


ぺこりと頭を下げて挨拶をすると、浮かない顔してたね、と微笑まれた。見られていたのか。


「ええと、……その……」


華乃子が何と説明しようかと迷っていると、寛人が言葉を継いだ。


「聞いたよ、移動だって? 君はモダンボーイ、モダンガールを題材に、とてもよい企画を立てていたと思ったけど」


人事部が動いているのなら、副社長である寛人が移動のことを知っていてもおかしくなかった。華乃子の仕事の内容を知っていてくれたのは、おそらく身内びいきだろうけれど、それでも華乃子の職業婦人をファッションの面から支えたかった気持ちを分かってくれた人が此処にも居て、華乃子はほんのり胸があたたかくなった。


「仕方ないです、決まったことは……。私の力が、及ばなかったのだと思います……」


華乃子の言葉に、寛人はそうかい? と問いかけた。


「それにしては、承服しかねる、という顔をしていた。理由に納得していないのなら、僕に言ってみたまえ。それが正しければ、話を元に戻そうじゃないか」


「いえ! そんなことはなく……」


寛人が介入したら、ますます浅井に忖度されるばかりだ。ここは諦めきって文芸部での仕事を頑張るしかない。


「私も……、納得できるお話でした……。文芸部で新たに頑張ります……」


華乃子の返事に、むしろ寛人が納得していないようだった。寛人は、そうかい? と言った後、ひとつ約束をしてくれた。


「君が働く分に、協力は惜しまないよ。そして君の働きが十分だと分かった時に、僕が婦人部へ君を戻してあげよう。それは約束させてもらう」


それではまた権力を傘に仕事をすることになってしまう。しかし寛人の申し出は、頑張って来た婦人部を追い出されたばかりの華乃子の心に染みた。寛人は最後にぽん、と気安く華乃子の肩を叩くと、気遣いの言葉を述べた。


「まあ、何かあったら言いたまえ。僕で相談の乗れることなら乗るよ。他でもない華乃子ちゃんの為だ。カフェーでも、料亭でも、九頭宮の別荘でも、相談に相応しい場所を設けるよ」


そう言って寛人は去って行った。ありがとうございます、と返事をして去って行く背中を見送る。寛人には隠し事が通用しないことを改めて認識して、華乃子は少し赤面した。そう、誰もが相手にしてくれなかった華乃子に心を砕いてくれた寛人に、華乃子はほんのりとした恋心を抱いていたのだ。





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