吹雪の中で
雪月は千雪を憎く思った。華乃子を傷付けるものは誰であっても許さない。引き留めた千雪を置いて雪月が屋敷を玄関に向かって早足で歩いていると、沙雪に呼び止められた。
「雪月さま! あの娘はお止めください! 仮に半妖であっても、郷の血を汚すだけです!」
沙雪を始め、雪女の郷の住人が純血を望んでいることは知っている。力こそ全てと考えるあやかしが、血が濁ることを好まないのは当然だろう。しかし雪月が愛したのは華乃子だ。純粋な心で幼い雪月を見つけ、差別のない対応で雪月の心を満たしてくれた。あの時華乃子が与えてくれたやさしさによって芽生えた気持ちがなければ、雪月は何時まで経っても男の雪女という重い責務を負えなかっただろう。
あの時幼いなりだった雪月も、華乃子を想う気持ちを糧に成長した。あやかしは力によって取れる形態が異なる。力の弱かった雪月は人間には雪だるまにしか見えなかったし、華乃子には子供の姿にしか見えなかった。華乃子を想うことで、雪月は雪女としての力を見る見るうちに増し、人間の青年の姿を取れるようになった。彼女の前に再び姿を現せたのも、また、華乃子のおかげなのだ。
華乃子を、いっときだって見捨てることなんて出来ない。
その想いが、脚を動かす。
それを引き留めたのは、やはり冷静にとんだ冷ややかな一言だった。
「私は千雪に賛成する。血よりも力で示させたらどうだ」
はっと雪月が振り返った其処には一族の長、光雪が居た。
「かーしゃ!」
子供に連れられて、屋敷からかなり離れたところまで来てしまった。丘の向こうに屋敷の屋根は見えるけれど、雪が吹雪く中、子供の足で此処まで来ることが出来るのがすごい。
「かーしゃ!」
子供が何度もそう呼んで、指をさすので、吹雪の中子供が指し示す方を見る。するとそこには雪雲の隙間から現世の書店の様子が映し出されていた。
書店の店頭にはまだあのヒットが続いているのか、雪月の本が並べられている。
「……こんなところから、現世を見ることが出来るのね……」
そして、こういうところから見た現世に映った父に、母は好意を抱いたのだろう。……雪女の郷にはない、建築物や洋装、文化など、そういってものの、現世への憧れとともに……。
「成程……。こうやって手が届きそうで届かない絵で見るから、余計にじれったいわね……」
華乃子の袴の裾を握る子供も、目をきらきらさせて浮かび上がる現世の絵に見入っている。子供に目線を合わせるために雪の中でしゃがみこんで、華乃子は子供に語り掛けた。
「……あなたもまた行きたいの? 現世に……」
幸せに、なれないよ?
そういう思いで話し掛けると、子供がにこお、と笑って、華乃子にしがみついてきた。
「かーしゃ!」
「ふふ……、なんだかあなたにお母さんって呼ばれるのも、悪くないわね……」
無条件で華乃子を慕ってくれる、数少ない存在だ。心があたたまってしまうのを、止められない。ぽんぽんと子供の頭を撫でてやっていると、不意に目の前に見えていた現世がぼんやりとしてかき消えてしまった。
「ふえええん」
子供は現世が視えなくなってしまったことで泣いてしまう。雪もひどくなってきて、そろそろ屋敷に帰りたくなって来た。
「そろそろ屋敷に戻ろうか」
子供にそう話し掛けて手を握ると、吹雪の空中から沙雪が白い着物の雪女三人とともに現れた。
「雪樹様! お探ししました! まだ宙を舞うことは出来ますまい、我らがお連れします」
そう言って沙雪が雪樹を抱き上げてしまう。雪樹は嫌がって泣くが、沙雪は雪樹を放さない。
「沙雪さん、泣いているじゃないですか! 私が抱きますから、私も一緒に連れて帰ってくださいよ!」
華乃子は沙雪にそう頼むが、沙雪はちらと華乃子を見ただけで何も言わなかった。
「何を言う、人間の分際で。此処で凍え死なないだけでもありがたいと思え。雪月さまと番うことを望むなら、これしきの雪、自分で歩いて見せろ」
雪女たちはそう言って腕をぐるりと大きく振った。すると吹雪がびゅうと吹いて、その風に華乃子がよろけた時に肩に乗っていた兎が着物を滑って転げ落ちた。
大きな雪混じりの風の中に放り出された小さな兎は吹雪の白の中に混じり、飛ばされてしまう。そして吹雪を巻き起こした雪女たちは、沙雪とともに雪樹を伴って飛んで行ってしまった。
華乃子がぽつんと雪の丘に取り残されてしまうと、今まで降りしきっていても何ともなかった雪が、急に肌に刺さるように冷たく感じられた。
「えっ、何!? 急に寒いんだけど!?」
ショールも巻かない着物姿で寒さのあまりに叫ぶと、遠くから高笑いする雪女の声が聞こえた。
「それ見たことか、やはり人間だな! これしきの雪を操れぬくせに雪月さまと番おうだなどと、片腹痛いわ!」
そう言えば、この郷にやってきてから今の今まで、これだけ雪が降っているというのに、凍えるような寒さを感じなかった。幽世というところには温度がないのかと思ったけど、そうじゃない。長屋で雪月が雪を舞わせて見せたように、雪女たちには雪を操る力がある。今まで寒さを感じなかったのは雪女である雪月が渡してくれた兎を通じてまでも、環境を華乃子に合うように整えてくれていたのだろう。それが、雪月も居らず兎も飛んでいってしまった今は、もろに雪の冷たさを感じる。
屋敷の屋根は見えているけれど、正直膝のあたりまで降り積もった雪の中を歩いて帰るのも大変そうだ。そう言えばさっき此処まで来るのに、雪樹は難なく雪の上を歩いていた。あれも雪女の能力なんだろうか。
「いやいやいやいや。なにか考えてる場合じゃない。兎に角歩いて戻らなきゃ」
足を交互に前に出すけれど、積もった雪が邪魔をして、全然前に進めない。さっき雪樹が難なく歩いていたのは、やはり雪女の能力だったのだと思い知る。
「ちょっとおおお、寒いわよおおお!」
雪が吹き付ける中、ガタガタと身を震わせ、首を竦めて、両手を擦りつけて足で雪を掻く。
ざくざくざくざく。
少しずつ進むけれど、来る時に容易かった屋敷からの道のりは、雪樹が居ない今、とてつもなく遠い。吹雪く雪にもう頬の感覚が無くなりそうだった、その時。
『おーい、華乃子! 全然戻ってこないから、探したぞ!』
『こんな吹雪の中、何無茶してるんだ!』
雪の向こうから跳んでくるのは白飛と彼に乗った太助だった。
「太助! 白飛!」
びゅうう、と雪が吹き付ける中、二人が駆けつけ、白飛に乗った太助が白飛から飛び降りて華乃子の足に擦りついた。少しでも華乃子を温めようとしたのだろうけど、それくらいではこの寒さはまぎれない。
『どうしたんだ、こんなところで一人きりで』
「そ、それが、此処まで連れてきてくれた雪女の子供に置いて行かれちゃって……。先生の下さった兎ちゃんも飛ばされてしまったし……」
簡単に事情を説明すると、太助も白飛も雪女たちに怒ってくれた。
『これだから人間に与しないあやかしは駄目なんだ! 人間を認めやしない』
『幽世ではそう言うことがいくらでも起こるぞ。華乃子も気を付けておけ』
二人の意見はごもっともだった。しかし、今はそんなことをしている場合ではない。怒りを前へ進む力に変えなければならない。
「白飛、太助と私を乗せて、屋敷へ帰れる?」
『うむ……。そのつもりで此処まで来たんだが、……ちょっと想像以上に寒くて、身体が固まってしまっている……』
言われて触れば、白飛の薄っぺらい身体がかちかちに凍り始めていた。
「ちょっと……! そんな危険を冒してまで、来てくれなくても良かったのよ!?」
『いやしかし、もともと俺たちは身を投じてでも恩を返す為に華乃子の傍に居るのだし、三人寄れば文殊の知恵と言うだろう。何か策が編み出せないものか……』
白飛の言葉に太助が腕を組んで、ううむ、と悩む。どうしよう。これでは、三人で文殊の知恵どころか、三人で凍ってお陀仏だ。
ああ、せめて此処に一人くらい雪女の味方が居てくれたら……。
そう思って、思いついた。
(……私だって、半分雪女だわ……)




