そっと背中を押す言葉
時計の針は午後六時に差しかかろうとしていた。二人が暮らす小さなアパートは少しずつ暗くなり、外の陽射しは早い夕暮れの柔らかなオレンジ色の靄へと変わりつつあった。
ヒミコは昼過ぎから、バイオレットが仕事から帰ってくるのを待ち続けていた。冷蔵庫の静かな唸りと、古い床板が時折立てる軋みだけが、空虚な時間を共に過ごす相手だった。
親友が本当にまた小説を書き始めると決めたのかどうか、考えずにはいられなかった。
待っている間、ヒミコはすでにいくつもの用事を片付けていた。夕食を作り、シャワーを浴び、求人へ応募し、履歴書をまた新しく書き直した。
ソファに腰を下ろし、漫画を読んでくつろごうとした矢先、玄関の扉が開く音が突然聞こえてきた。
その音を聞くと、ヒミコはすぐに立ち上がり、いつものようにバイオレットを迎えに向かった。
「おかえり、ヴィオ。先にシャワー入る? 何か食べる? それとも、話し合いがどうだったか聞かせてくれる……あ、そうだ。本当に二人の間、何もないんだよね?」
ヒミコはまた、朝コンビニで中断したところからバイオレットをからかい始めた。
しかしバイオレットは黙ったまま靴を脱ぎ、丁寧に靴棚へ並べた。長いシフトのあとの疲れが肩の傾きにわずかに滲んでいたが、表情はいつも通り読み取りづらいままだった。
「赤和女さんとは何もないって、もう言った」
ヒミコは友人がジャケットを脱ぎ、いつも好んで着ている全身黒のゴシック調の服が現れるのを見ていた。バイオレットはそのまま奥へと進み、ヒミコの料理でまだほのかに温かい小さなキッチンカウンターの前を通り過ぎ、リビングの窓の下に据えられた質素なダイニングテーブルへと向かった。
「それに、もし私が彼を手伝うことにして、事業が本当にうまくいったら、彼もようやく借金を返せるようになるかもしれない」
ヒミコは戸惑いながらもその後をついていった。
「え、あなたが加わって手伝わなきゃいけないなんて、私は一言も言ってないよ。借金を先に回収して、それからVTuberを試すことを考えてみればって言っただけ。でも、そのオファーが具体的に小説家系VTuberの話だったなんて、一言も聞いてなかったんだけど」
ヒミコは、バイオレットが初対面のときにアカメから渡されたパンフレットをダイニングテーブルの上に置くのを見ていた。
「言わなかっただけ」
ヒミコは椅子に腰を下ろし、パンフレットを手に取った。興味深そうな表情を隠さないまま、片脚を体の下に折り込んだ、何か気になることがあるときいつもする座り方で腰を落ち着ける。
彼女はゆっくりとページをめくって読み進めた。ページが進むたびに眉が少しずつ上がっていく。
「へえ、彼がもう小説書いてるなんて知らなかった」
ヒミコが読み続けている間、バイオレットは浴室の扉を開けてお湯の栓をひねった。廊下にはすでに湯気がかすかに立ち上り始めていた。
「もう読んだ。話は面白いと思う。だから、何か手伝えることがあるんじゃないかって考え始めたの」
バイオレットはそれから浴室の戸口に立ち、片手を枠に添えた。表情は表面上落ち着いていたが、その奥にはもう少し思慮深い何かが漂っていた。
「正直、赤和女さんがまた私を訪ねてきて、オファーへの返事を催促してくるとは思ってなかった」
ヒミコは反射的に両手をテーブルに叩きつけ、立ち上がった。
「ちょっと待って。ヴィオ、シャワー浴び終わったら、これ全部ちゃんと話し合わないと」
バイオレットはいつもと変わらない平坦な表情で彼女を見返した。
「うん、私もあなたに話したいことがある」
ヒミコはダイニングテーブルからバイオレットの方へ歩み寄り、扉を閉める間もなく彼女を抱きしめた。
「心配しないで、私が手伝うから」
かなり背の高い友人に抱きしめられたまま身動きせず、顔をわずかにヒミコの肩に押し付けられ、平坦な表情も布地にいくらか埋もれながら、バイオレットは離してほしいと告げた。
「離してくれる? シャワー終わるまで待ってて」
ヒミコは首を横に振り、さらに長く抱きしめ続けた。
「あとちょっとだけ。本当に手伝えるのが嬉しいの。それに、背が低いから正直かわいいと思う」
バイオレットはしばらく抵抗するのをやめた。抗ったところで無駄だった。ヒミコの力には到底かなわない。
友人を抱きしめる満足感を得ると、ヒミコはようやく手を離した。
ヒミコがさらに何か言う前に、バイオレットはすばやく浴室へ入り扉を閉めた。静かなアパートの中に、鍵のかかる小さな音が響いた。
ほどなくして、扉の向こうから水の流れる音が聞こえ始めた。
ヒミコはダイニングテーブルに戻り、バイオレットが置いていったパンフレットを手に取った。
しばらくして、水音が止まった。
バイオレットが全身黒のパジャマ姿で浴室から出てきた。湿った髪の毛先がうっすらと首元に張りついている。シャワーの温かさのおかげか、いつもの落ち着いた表情もわずかに和らいでいた。ダイニングテーブルへ歩いていくと、ヒミコがまだそこに座り、iPhoneを手にしているのが目に入った。薄暗い夕方の光に、画面の明かりがぼんやりと反射している。
「あ、ヴィオ~。あのパンフレット、読み終わったよ」
バイオレットは椅子を引き、彼女の向かいに腰を下ろした。
視線はヒミコの手にあるiPhoneへと移った。
「ゲームでもしてるの?」
ヒミコは首を横に振った。
「ううん。今、赤和女さんの小説の一つを読んでるところ」
ヒミコは画面をバイオレットの方へ向けた。
「話の種類はいろいろあるんだけど、私が一番気になったのは、アドレナリンを増幅させる薬を過剰摂取して突然変異体になっちゃう人の話」
バイオレットは小さくうなずいた。
「それはもう読んだ。設定は面白いと思う。実は、彼を手伝おうか考え始めた理由の一つでもある」
それでも、頭の隅にずっと引っかかっている不安は、まだ完全には消えていなかった。
「ねえ、ヒミコ……」
ヒミコがスマートフォンの画面からバイオレットへ視線を上げた。
「うん? どうしたの、ヴィオ……?」
バイオレットはすぐに、気にかかっていたことを口にした。
「さっき赤和女さんに、まだもう少し時間が必要だって伝えたの。今夜返事をする前に、あなたと話しておきたかったから。でも、前にあなたが言ってたことが本当かもしれないって、それが不安なの」
ヒミコは明らかに困惑した表情になった。
「どういうこと? まだ、親に作家になることを禁止されてて、今の仕事を続けてほしいって言われてるから躊躇ってるの?」
バイオレットは首を横に振った。
「あなたが前に言ってた懸念が、本当に当たっているんじゃないかって怖いの。もし赤和女さんが、あなたが話してくれたあの問題ある創業者たちと、実は同じだったら」
ヒミコは一瞬黙り込んだ。いつもの明るい表情が、薄暗いダイニングの光の中で、もう少し思慮深いものへと変わっていく。
バイオレットは、友人の眉がわずかに寄るのに気づいた。スマートフォンを見つめながら、何かを思い出そうとしているようだった。
数秒後、彼女の表情が変わった。
「あ、思い出した。あれ、話したのもう数週間前だよね。インディーズのVTuber事務所の創業者には問題を抱えた人が多いって、あの話のことだよね?」
ヒミコはiPhoneをテーブルに置いた。
「でも、だからってあなたが彼をきっぱり断るべきってわけじゃない」
バイオレットはまだ確信が持てなかった。この一連の騒動はそもそも、数週間前のヒミコの助言を自分が誤解したところから始まっていた。
そして今、友人はまた彼女の背中を押そうとしている。
「ヴィオ、本気で興味あるなら、まず自分の作品を彼に見せてみなよ。それから、もう一度会う約束を取り付けて。今度は私も一緒に行くから」
バイオレットは視線を落とした。
「まだ確信は持てないよ、ヒミコ」
バイオレットは一度言葉を止めた。
「でも、もし本当にまた書き始めることになったら、あなたも手伝ってもらうからね。この誤解、全部あなたの責任なんだから」
窓の外では、夕方の空がしっとりとした藍色へと深まっていた。二人を包む静かなアパートは、これまで数え切れないほどの夜がそうしてきたのと同じ、心地よい静けさへと落ち着いていった。




