17話: 起承転転転転転転転転
体が動かない。よくわからないが動かない。瞼は開かず、耳は遠いが、人工的な風が頭、胴体、そして足で吹き抜けていることはわかる。嗅覚や味覚は何故か使えない。服は…着ている。似たようなくだりだ。死に戻りか何かだろうか…異世界はもうこりごりだ…現世も嫌だけど。さあ目を開けないと。16話前と同じように自由意志を取り戻すのだ。
「目覚めるな」という男の声が、唐突に響いた。何のことだかわからないが、何か頭がおかしいやつが近くにでもいるのだろうか。考えが及ばない。
ゴミが舞っていそうなタイル状の白い天井には、ポツポツと穴が空いている。その下に通るカーテンレールと、視界を覆っている布。これで夜を明かそうものなら、腰が砕けてしまいそうなほど硬いベッド。どこか懐かしい、この場所がどこかを推測するとしたら――学校の保健室!
そうか、私は出来過ぎた悪い夢を見ていたとでも言うのか。そもそも、私はここで何時間寝ていたのか、全く見当がつかぬ。あるいは、今見ている世界そのものが黄泉の世界かもしれない。死後の世界も、ずいぶんと現代的なことで。
さて、先程私に話しかけてきた男は、一体どこにいらっしゃる。このカーテンの中に、それらしき人物はいないものだから、なおさら不気味である。しかし、外から聞こえた声にしては、ひどく鮮明である。幻であったらどうしよう。さまざまな思慮が巡ったが、いくら案じても、すぐに答えが出る代物ではなさそうだったため、しばらくは考えないことにした。
この勢いのまま、体を起こそうと試みたが、目を開けた以外はイマイチ体が思うように動かない。腕の神経には、ノイズが走っており、その実情を伺うことはできない。足も同様だ。先ほど取り戻した、自由意思はどこへ行った。いくら命令を送っても、いくら念じても、金縛りにあったように、動かない体がそこにあるだけ。
直後、視界とは別に、頭の中とても言おうか。どこか記憶違いだが、確かに私の中でトラウマだったのであろう記憶たちが、一斉に滲み出てきた。それは空想にとどまらず、殴られた時には痛みがあり、破片が刺さるような鋭さもあり、確かな暑さを感じ、血を吐く感覚があり、何かの使命感に駆られ、急激に心が締め付けられるような感覚もあるほどには、高評価をつけたくなる臨場感であった。それを持ってして、腕や足とのコミュニケーションが復活したようだった。ここまで覚えているのであれば、何時の話だったか、もう少し見当がつきそうなものだが。
これほどの惨劇を目の当たりにしているにもかかわらず、今や叫ぶこともままならぬ。叫びとは、恐怖の捌け口の一つであったことを、再認識させられる。私の成果物である開いた眼球は、いつの間に瞬きを忘れ、乾燥してしまいそうである。少しすると、無許可でカーテンを開けたくせして、私の偽りの覚醒に気づいた先生たちが若干焦りながら、何か電話をしている様子が聞こえる。
電話が終わったと思ったら、その先生は私に、
「聞こえますか?」
と、優しく話しかけてくれた。私は失礼な人間ではないので、すぐに、
(聞こえますよ!)
と返したつもりであったが、どうも括弧が鉤括弧になってくれないのである。これでは会話にならないことなど、先生は知る由もないため、
「聞こえますかー?」
と続けてくださったので、負けじと私も、
(聞こえますよー!)
と、どこかの五十路のスキンヘッドの芸人のように、声を張り上げたつもりであったが、やはり虚しかった。その先生は、諦めるのも早かったようだった。
しばらくと言うまでもなく、応援は到着した。首が動かないので、何人の人がきたのかを知ることはできないが、足音から推察すると、4〜5人と言ったところか。久々に起きただけと言うのに、どうしてここまでの騒ぎになるのかは、理解に苦しむところがある。
とは言っても、人が多くても、やることは所詮一緒である。野次馬を増やしたのか、と考えると、妙に腹立たしくなる。
さっきと同じ先生は言った。
「聞こえますかー?」
私は久々の人工の光がそれなりにしんどく、少し疲れていたので、若干後ろめたさは覚えながらも、少々だるさを醸しながら、
(聞こえますよ。)
と返したが、やはり鉤括弧にはならぬ。どうにかならぬものかと、少し寂しさの混じった考えを巡らそうとしたら、
(聞こえるわい!何回言わせんじゃボケ!)
という声が聞こえたので、若干の希望を持った。まさか、この男は括弧で会話できるというのか。いいや、そんな人間が、この世界に存在するというのか。気になって仕方がなかったのでので、私はたまらず括弧で会話できる男に話しかけた。
(君、私のいうことがわかるのか?)
(え?お前誰?)
(それこそあなたは誰?)
(もう誰でもいいだろ…)
(うーん…君は、私の言うことがわかるのかな?)
(わかるさ。だからなんだよ?)
(ならよかった。私は今、話そうとしても言葉が鉤括弧にならなくて、ひどく困っているのだよ。)
(お前その表現好きだな。)
(悪いか。)
(あんま過去の思いつきに縋ってると梯子外しならぬ括弧外しをされちまうぜ。)
それはもう会話にならない。あ、言ったそばから外されてしまった。一体どうしてくれるんだ。
んなこと言われても困るのは読者だけだろ。会話できているならいいじゃん。
そんな事を言われても、我々は文字の中に存在している。落とし前をつけてもらわないと、登場人物が混じってしまうぞ。
それが何になるんだよ。
読者の解釈なしには、我々は実体を持てないでしょう。
きな臭いし自分が頭良いみたいな変な自信がある喋り方で気持ち悪いぞ。そもそも実体なんて…
実体…?動く体のことか?…君にはあるのかい?
あるんだけどさ…動かないねえ。だからお前さ、瞬き代行してもらってもいいか?
いやいや、私も体が動かないんだ。同じように瞬きができない。
ええ、お前もかよ。使えねえな。これじゃあ目が乾いて使えなくなっちまうよ…
そもそもさあ、同時に瞬きが出来なくなるなんてことあんのか?話が出来すぎている。
おいおい、やめてくれ。
なんの話だよ?今から俺が熱弁しようしたのを折るだけのものか?聞かせてもらおうじゃないの。
ちょっと落ち着いてくれ!
何日和ってんだよ、早くしろよ。まさかなんか話されるとまずいことでもあるのかよ?
なんもないなら話に戻るが——
違う、続けて喋られると…!
それがなんだよ!?
誰が話しているのか、本当にわからなくなってしまう。
この文字は誰の意思なのだろうか?そもそも、私が会話していた相手は誰だ?その前に、今話しているのは誰だ?私は誰に話しているのか?読者か?独り言か?それとも実態のないあの男か?これは喋っているのか?思想の覚書か?
私は、誰だ?
「私は、誰だ!?」
今まで平文で会話していたのを嘲笑うかのように、金縛りは前触れもなく解けた。乾いている目、カピカピの鼻、ヘルペスのある唇、特徴のない耳、五体満足の四肢、蠢く腹の臓器、怠惰な生命を支える、報われぬ努力を続ける心臓。全て私のものだ。逆に、こんなにもらってもいいのか。
まずやるべきことは、目を潤すとかその辺りだと思うのだが、自分の意思で確かに体は動かせるのに、今度は自分の意思を、自分で制御できないのである。あきらかに不必要な行動であるため、抗う意思こそ確かにあるが、そんなものはパフォーマンスにすぎないらしい。
先ほど現れなかった、恐怖からくる叫びの分もまとめて、衝動へ変換された。ひ弱な喉が潰れ始めているのも理解したうえで、ただ叫び続けるしかなかった。先生たちは、あまりに唐突な出来事に、思わずぎょっとした視線を私に送りつけたが、それが少しだけ、快感だった。
ただ睨むだけなら、私の中に蔓延るマゾヒズムが喜ぶだけで済むのだが、衝動に負けて右腕を上げた瞬間、何が気に入らなかったのか、私にはわからないが、彼女らは前触れもなく、実力行使に出た。
まず腕を押さえられた。次いで足を、そして破廉恥にも股を。体が動くことの喜びを表現して、何が悪いのだろうか。先生たちへの怒りが強くなるにつれ、喉の痛みがより酷いものになっていくこと、歯ぎしりの音が響くことだけがわかった。
魔物でも体に巣食っているのか、と思ってしまう程の慟哭の中で、私は自分に暗示をかけるため、言葉を絞り出した。
「私はここにいる!この体を持っている!それ以外の何だ!何が邪魔する!」
間もなく私は、いつの間に現れた、男の先生に頭を押さえつけられた。その手には、若干の怒りが、滲んでいた。何に怒っているのかが、全く掴めなかったので、ただただ恐怖が増幅した。
すぐ、最初に対応に当たっていた女の先生が言った。
「ちょっとチクッとしますからねー」
意味がわからない。私に何を突っ込む気だ?まさか、本当に魔物にでもされてしまうのだろうか。この未来有望な好青年に何をする。あるいは確かに手に入れた、この自由意志を、外部の手で引き剥がそうというのか。そんな邪智暴虐を人権侵害と呼ばず何と呼ぶ——
針の感覚がすれば、流石にそれなりの諦観を覚えた。しかし何者かは、もう少し抗え、と囁く。悪魔か天使かはわからないが、尚も衝動は無視できない程に強く、その中でもどこまで動かせば先生たちの押さえつける力が強くなるか、というチキンレースを楽しもう、などと余裕をこいていたら、本当に力が抜けてきてしまった。一瞬の出来事だった。あれだけ漲っていた体から瑞々しさが抜けていく。どこかの管が締まっているわけでもなく、ただ脱力して行くのである。もう少し、暴れられるうちに暴れておけばよかったか。
あゝ、このまま魔物にされてしまうのだな。もとから私は実験体だったのか。何故誰も教えてくれなかったんだ。魔物になっても、私の記憶は残っているのだろうか。誰かは忘れないでいてくれるだろうか。そしてこれから、私は何人もの命を奪うのか。考えてもどうしょうもなく、ただ不安を増幅させるようなトピックも、有事の今には娯楽だった。
私はどこまで行っても、無力だ。




